第三章 O -ここから始めるエピローグ-
(17)
季節はまた一つ変わり、今日から十月になった。あたしが呪いにかかってから、もうすぐ一年だ。
朝、目が覚めたとき、壁にかかっているはずの制服がないことを確認すると、現実から目を逸らしたくなってもう一度布団をかぶった。
以前ほど悲しくはない。だってもう四回目だし。
期待してなかったわけでもない。というか、あたしは期待して生活しないと自意識が保てなくなってしまうだろう。ともすれば手首を切ってしまうくらい。
だがその期待は見事に裏切られて、呪いはまだあたしの中で蠢いていた。その事実だけで十分不貞寝をする理由にはなる。
八時半ごろ、心を憂鬱にしたまま階段を降りると、居間に隣接した台所に黒野さんが立っていた。どうやら洗い物をしているようだ。
「ん、起きたのか。おはよう」
背中越しにいつも通りの挨拶をしてくる。
「おはよう黒野さん」
住職の一日は『お勤め』という恒例行事から始まるらしい。今は多分、それを終えて朝食をとった後だろう。居間のちゃぶ台を見れば、あたしのものらしき野菜の添えられたハムエッグとトーストが置いてあった。
「制服とか鞄とか、今回もまるっきりなくなってたわ」
「……そうか」
カチャカチャと食器を洗う音を立てながら、黒野さんが返事をした。黒野さんだって、言われなくても事の顛末を知っているとは思うけど。
「朝ご飯、いただきます」
「おう」
冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぎ、座布団に座り、「いただきます」ともう一度言って朝食を食べ始める。よくよく考えれば、寺やちゃぶ台には似つかわしくないラインナップだ。
それとおいしいのだけど今日はなんだか味が薄く感じるのは、多分心境のせいだろう。
「高校の編入の手続き、すぐしないとな」
見上げれば、黒野さんが目の前にコーンスープの入ったカップを置いていた。そのまま座布団に座ってタバコを吸い始める。
「……うん。今回もお願い」
黒野さんが言う『手続き』というのは、政府のごく一部の、『心霊や呪術に精通した人間』に、『呪いによる記憶消去があった』と一報を入れることから始まるものだ。そうすることで、その人を介し、すぐさま教育委員会から高校に編入する手筈が整うらしい。
……それにしても、またあたしは、『あたしを知らない』栗山の前に立たなければならないのか。
あれが特に心をえぐられる瞬間かもしれない。なんせあっちはあたしを忘れてるくせに飄々としていたりするんだ。悲しみや怒りなどの、不の感情が織り交ざって胃液が出そうになる。
あたしはコーンスープを一口すすり、意を決して、黒野さんに近ごろ思っていることを聞いてみることにした。
「……ねぇ、黒野さん」
「なんだ?」
「あたしの呪いって、『いつか』は解けるわよね? このまま何十回も人に忘れられ続けて、おばあちゃんになっても忘れられちゃって、そのまま死んじゃうなんてこと……ないわよね?」
いつの間にか、正座で固定されているはずの膝が笑っていた。……ん、おかしいな。平然と聞いてやるつもりだったのに。
「……芽森」
黒野さんはそんなあたしに憐憫の表情を向けていた。やがて、煙を吐いて滔々と語りだす。
「俺は立場上うかつな事は言えねぇが、これだけは言える。『そんなことは絶対ない』ってな」
その瞬間、あたしは思わず鳥肌が立ってしまった。言われたことがあまりにも希望に満ちていたからだ。
「信じて、いいのかしら」
「ああ。そりゃあ、呪いが解かれずして死んでいった例もあるさ。でもそいつらは全員、亡くなるだいぶ前から呪いを解くため意欲を失っていた。つまり、もうどうでもよくなっていたんだ。芽森。お前は当然、そいつらとは違うだろ?」
「……うん。絶対違う」
あたしはまだ毛ほども諦めていない。面倒になってしまったり、やけになってしまうことは何回かあったけど、それはまた別の問題だと思う。
「それになにより、俺がお前を絶対見捨てない」
「……黒野さん」
目の前の瞳は勇ましくて、力強くて、思わず見蕩れてしまった。
「黒野さんが後十歳くらい若かったら、今の言葉にときめいちゃってたかも」
正直、そうでなくてもときめいている自分がここにいるわけだけど。
「バカヤロ。そういうことは言われるほうも恥ずかしいんだっつの」
そう言って黒野さんはそっぽを向いてしまった。珍しく可愛げあるところを垣間見た気がして、なんだか嬉しくなった。
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