(16)
八月二十三日。普段ならば閑散としているこの臨海公園でも、今日ばかりは午後七時半を過ぎ夜のとばりが下りると、急激に人混みを増していく。
所狭しと並んだ屋台はそれぞれが暖かみのある光を発し、結果的に辺りを照らしている。仲間ちゃんはそれらに目移りした後、その一つ、正確には店先に何本も突き立てられたリンゴ飴に嬉々として指をさした。
「あ、リンゴ飴。ねえねえ、あれも買いたい」
「仲間ちゃん。もう始まるから後にしよう。待たせるのも悪いし」
「……わかったよー」
今日は総文部の面々で花火大会に来ていた。俺と仲間ちゃん、芽森と飾先輩で分かれて、適当に買い出しして落ち合うことになっている。
焼きそばやたこ焼きの入ったビニール袋を引っ提げて、元いた場所に戻ろうと歩を進める。隣を歩く仲間ちゃんは、涼しげな水色の浴衣姿でカランコロンと下駄を鳴らしていた。
もうすぐ花火の開始時刻になってしまうが、急いで進もうに人混みが予想以上のためになかなか前に行かない。
――破裂音。
それはなんの前触れもなかった。
破裂した瞬間は見れなかったが、開幕にふさわしい鮮やかな一発だったと思う。残像と煙を残して、余韻が遠くに消えていくように響く。
「あー……始まっちゃったね」
仲間ちゃんが言いながら立ち止まって、何も無くなった都会の夜空を見上げている。つられて俺も足を止めた。
「急ごう」
言って数歩進むが、仲間ちゃんは動こうとせず、視界の端から消えてしまった。怪訝に思って振り返ると、彼女は神妙な表情を浮かべていた。
「どうした?」
「……よく考えたら、夏休み中に二人きりになれるのって今くらいしかないなって」
今度はごまかすように「あはっ」と笑った。再び訪れた破裂音とともに、その顔が青白く照らされる。
「すぐ終わる?」
「ん、わかんない。ごめんね。いっつも急で」
俺たち二人は、行き交う人の邪魔にならないように道ばたに移動した。そして目の前には、気まずそうに口を真一文字にした顔がある。
ついにきてしまうのか。仲間ちゃんの言う通り急すぎる。俺は何て言えばいいのだろう。わからない。今まで自分の答え出そうとしてこなかったツケがここで回ってきたような気がした。
でもよく考えれば、シチュエーション的に今しかないわけで。
すると仲間ちゃんは少しうつむいて、とうとうその口を開く。
「あのさ、クリ坊は……」
「…………」
「クリ坊は、『晶穂』についてどう思う?」
「…………は?」
仲間ちゃんの口から出てきた言葉が予想外すぎて、どう反応していいかわからない。多分俺の頭の上には、かつてない大きさの疑問符が浮かんでいることだろう。
その疑問が解かれる前に、仲間ちゃんは続けて言う。
「あ、あのほら、前にクリ坊が貸してくれた。『イリヤ』の」
「……ああ、あの晶穂か」
「うん。多分その晶穂」
仲間ちゃんは、そこでニコッと無邪気に笑った。錦冠菊の光がその顔を煌びやかに彩る。
「どう思うって言われてもな……」
なにせ『イリヤの空、UFOの夏』は、俺のこの世で一番好きな小説なんだ。だからそのヒロインの一人である『須藤晶穂』について、思うところは当然あるのだが、その内容が仲間ちゃんの求めているものなのかがよくわからない。
「じゃあ、好きか嫌いかで言ってみて?」
「……物語を通して感情移入できたかっていう意味なら十分好きだけど、なんていうか、序盤の方の晶穂は伊里谷に嫉妬して空回りしてる感じがちょっと苦手だったな。まあ、まだ中学生だし、ある意味すごくリアルな立ち振る舞いだとは思うんだけど」
「……そっか」
仲間ちゃんの気が少し落ちたように感じた。
花火の音が鳴り響いている。その度に目の前の顔は様々な蛍光色に染まり、まるで顔色の変化を誇張するような印象を受けた。
「で、それがなに?」
未だに仲間ちゃんの言わんとしていることがわからない。
「あ、うん。つい最近になって思うことがあってね」
少し言いづらそうに仲間ちゃんが言うと、なお一層言いづらそうに口を動かす。
「えっと、私、最近三枝さんと何かと険悪だったじゃない?」
「……まあな」
「それでさ、初めのころは自分の醜悪さに目が向いちゃってて考えるどころじゃなかったんだけど、そもそも何で私が三枝さんにつっかかるのかっていう根本的な原因が、最近になってようやくわかってきて――」
仲間ちゃんはそこですっと息を吸って、
「私多分、一巻や二巻の頃の晶穂と同じだったんだ。伊里野の気持ちを知らないのに……知ろうともしないのに、勝手に嫉妬して、ムキになって……」
「…………」
もう仲間ちゃんは、自分の気持ちを理解しているようだ。
嫉妬。それはわかりやすく、人に敵意や悪意を向けるには十分すぎる理由になる。その単純さ故に、普通の人間ならすぐに自分の嫉妬心に気づくことができるだろう。だがどうやら仲間ちゃんの場合は勝手が違うらしい。自分自身と晶穂を重ねて初めてのことだったのだ。
そんな風に考察していると、仲間ちゃんは続けて言う。
「でも晶穂は自分が変わらないことを選んで、自分を突き通して、それでも伊里野とお互いを認めあって、最終的には仲良くなれたでしょ? そういう生き方ってすごく素敵だなって、思って」
そこまで言って、仲間ちゃんは真っ直ぐ俺を見た。
「だから私も、こんな感じの性格のままで、三枝さんと仲良くなろうと思う」
「……そうか」
「うん。だからクリ坊にはそれを見守っててほしいんだ」
「ああ、わかった」
俺ははっきりと言った。それくらいならおやすいご用だ。
どうやらこれが仲間ちゃんの言いたかったことらしい。思っていたものと違ったが、これだって仲間ちゃんの本心なわけで、聞けたことには意味があるだろう。
「てなわけで、つまんないことで時間とらせてごめんね。行こっか」
仲間ちゃんは言って歩きだした。俺もそれに続く。
俺たちは歩きながら会話を続けた。
「うーん、仲良くなるにはまずどうしたらいいのかなぁ」
仲間ちゃんの言葉に、俺は首を少し捻って考える。
「そうだな、初めは名前で呼んでみたりすればいいんじゃないか?」
「ふむ。芽森……『芽森ちゃん』か。……ん? あれ? 不思議としっくりくるような……」
すると仲間ちゃんは、「あ、そうだ」と手を打って言う。
「クリ坊は、私のこと名前で呼んでよ」
「えと、いつからそんな話になったっけ?」
「だって、クリ坊は三枝さんも飾先輩も名前で呼んでるでしょ? 私だけ不公平じゃんか」
……もう俺の中では『仲間ちゃん』で定着してしまっているんですが。今から呼び名を変えるには、膨大な時間と要力を必要とする気がするんですが?
そんな感じで俺が言葉に詰まっていると、仲間ちゃんは気さくに話す。
「三枝さんのですら、ちょくちょく私を名前で呼んでるしねー。私が溺れたときもさ、何度も何度も、『美夏! 美夏!』って呼ばれてた気がして……。私あれほど名前で呼ばないでって言ったのになぁ。まいっちゃうよ」
内容とは裏腹に仲間ちゃんは、はにかみながら言ってみせた。
「……あのときは、仲間ちゃんがなかなか目を覚まさないから芽森も必死だったんだろ。すぐに目を覚ましてくれれば人工呼吸なんか――」
「人工呼吸?」
言って仲間ちゃんは足を止めた。
「! うえぁ! なんでもない!」
ビクッと体が仰け反って、背中が通行人にぶつかってしまう。「すいません」と一言言って、仲間ちゃんを見ると、その場で固まっていた。
「……もしかして……あのとき、クリ坊が人工呼吸してくれたの?」
「い、いやいや、そんなわけないだろ」
「そうだよね。お医者さんにも自力で助かったって聞いてるし。そんなはず……そんなはず……!」
仲間ちゃんはくわっと前を向いて、何を思ったか俺の両肩を持って無理矢理道ばたに追いやった。
「ちょ、なにする」
「そんなはず……あるよ!」
「ち、違っ」
「違わないよ! クリ坊が人工呼吸してくれたんでしょ!? だってあのとき――」
俺の両肩からするり手が降りた。
突如、仲間ちゃんの顔は急激に熱を帯びたように真っ赤になる。そして自身の口元に手を当てた。
「……ここらへんが、暖かかったんだもん」
依然、花火の音が何度も聞こえてくる。しかし、さきほどまでと同じ音量とは思えないほど漠然としなかった。
「どうしようクリ坊……私今……すごくドキドキしてる……苦しいよ」
そんな報告いらない。
「……じゃあ、どっか座るか?」
「だからさ――」
仲間ちゃんは愁いを帯びた瞳を俺の顔から離さず、微動だにしない。
「もっかい、じんこーこきゅー……して?」
目眩がした。
こんなかわいい子に、こんな顔でこんなこと言われてしまったのだから、当然のことなのかもしれない。ついでにこんなシチュエーションでもあるのだから。
「な、仲間ちゃん」
俺は今、夏の妖精にしてやられているだけなんだ。頭ではわかっていても、心臓から全身に向けて熱がこもっていく。今すぐ冷ますのは少し無理そうだ。
気づけば、ビニール袋が足下にあって、俺の両手は仲間ちゃんの両肩に添えられていた。体が制御不能になっているわけではない。明らかに俺の意志で動かしている。
少しずつ、仲間ちゃんに顔を近づけた。周りの人影は疎らにあるのだが、ほとんどの人がひたすら花火を鑑賞しているので、気にとめずにいることもできる。
艶やかで柔らかそうな唇は、海で見た血色を失ったものとは違う。それどころか、普段よりも色気を感じるのは、おそらく薄く紅を塗っているからだろう。
目の前の光景の何もかもが、俺のためにお膳立てされているようで、ともすれば、誰かが仕掛けた罠としか思えない。しかし、この罠に飛び込まずに後悔するなんて人としてどうかしているようにも思えてくる。仲間ちゃんの顔が目前に迫って、視界が暗くなり始める。もう引き返すことはできない。そう心に決めたころ、声にならないような震え声が聞こえてきた。
「あ……うぁ」
知っている声だが、最近やっと聞き慣れてきた声でもある。
振り向くと、そこには芽森がいた。黄色を基調とした華やかな浴衣に身を包んでいる。
「芽森……!」
「ふ、二人が遅いから、様子を……見に行ってたんだけど……」
芽森は呆然と立ち尽くした後、俺と仲間ちゃんを交互に一瞥した。そして、気が抜けた顔のまま瞳から一つ二つと滴をこぼす。
「やだ、あたし、泣いてるの? 馬鹿みたい……」
「芽森!」『違うんだ!』と続けようするが、その言葉は喉に引っかかったままだった。当たり前だ。そもそも何も違わない。
「つっ……」
芽森は辺りに涙の滴を飛ばしつつ振り返った。そして、そうこうしているうちに走り去ってしまう。いや、そうこうどころか、何もできなかった。
そんな自分への戒めなのか、俺の脳裏には芽森の振り返った瞬間の顔が焼き付いているようだった。写真を現像するかのごとくじわじわと思い浮かべていくと、自意識がはっきりと保てるようになってくる。
……俺は一体、何をしているんだ?
その疑問だけで、自然と足が動く。
だが、そこで声がかかって俺は動きを止めた。
「クリ坊、行っちゃうの?」
俺は振り返って答える。
「ああ」
「……そっか」
仲間ちゃんが残念そうな顔をしたのは一瞬で、すぐに真顔になって、
「じゃあその前に、一つだけ言わせて?」
そう言い始めると、一気に大量の花火が打ちあがったようで、笛のような甲高い音が辺りに響く。
「私、クリ坊のことが大好き」
一斉に咲き乱れた音に負けることはなく、一切のフィルターを通さず、その告白は耳に届いた。
「んよし、ほら! いってこい!」
すぐさまトンっと肩を小突かれる。
「返事くらい言わせてくれよ」
「いーんだいーんだ。ちゃんと言えただけで私は満足だから」
仲間ちゃんは満面の笑みを浮かべていた。その顔が取り繕ったものなのか考えている暇はない。
「……悪い」
俺は言いながら振り返り、走り出した。
彼が、クリ坊が行ってしまった。
ふぅ、と一息付いて夜空を見上げれば、花火大会は最高潮の盛り上がりをみせていた。畳みかけるように弾けて、重なり合った火花が煌々と辺りを照らせば、公園のあちこちで歓声が沸き起こる。
私の夏は多分、もう終わってしまった。
考えてみれば、三枝さんに耳打ちして勝負を挑んだ時点でもう決着はついていたし、私の夏も終わりかけだったのかもしれない。あのとき、『二日目の鎌倉観光でクリ坊と二人きりになる権利』をかけて戦ったけど、勝ち負け以前の結果に終わってしまったし。
そしてこの花火大会が終わったら、本当の意味の夏も終りに向かってしまうのだろう。そんな気がする。
それに関しては毎年のことなので、悲しくはない。けれど、目前に終わりが迫っていると思うと、少しだけ時の流れが恐ろしく感じる。
感傷に浸っていると、近くの茂みからガサッと音がした。……なんだろう。虫じゃないな。熊?
なんて思っていたら、ザンッと音を立ててそいつは現れた。
「めもり~ん」
「おわっ! ……ってあれ?」
茂みから出てきたのは、なんと飾先輩だった。
「どこにいるんだ~。先に行かないでくれ~」
よく見てみると、せっかくの艶やかな紫の浴衣が葉っぱや泥で台無しになっている。被り物のように頭に戦隊モノのお面を付けて、左手に提げているビニール袋は枝でズタボロといった感じだ。……私が言うのもなんだけど、やはりこの人は相当の変人だと思う。
「しっかりしてください! 私です! 仲間です!」
「む、お、おお、仲間君。はて、栗山君は一緒ではないのか?」
「あ、はい……」
私が曖昧な返事をすると、飾先輩は急に神妙な顔をした。
「何かあったのか?」
「……花火、一緒に観ませんか? 独りで観てると、なんか耐えられそうにないんで」
私は笑ってみせようと、できるだけ口角をあげた。
「……ふむ。まあいいだろう」
飾先輩はそれ以上詮索してこない。単に面倒なだけかもしれないけど、それが飾先輩の良いところだと思う。
私と飾先輩はベンチに腰掛けて、買ったものを適当に食べつつ夜空を見上げた。依然として、クライマックスを彩る花火はやかましいほどの音を立てて、嫌になるほど眩しい。
「最後の最後で、夏は私に味方してくれませんでした。私の今の気持ちだって、目に映るものほど力強くなくて、線香花火みたいに弱々しいものですよ」
自然と口から出た言葉だった。視界の端では、飾先輩がニヤリと笑う。
「ほう、なかなか詩人めいたことを言うじゃないか。流石は文学を嗜んでいるだけのことはある」
「か、からかわないでくださいっ」
「からかってなどいないさ。では私も、詩人ぶってみようかな」
「……どうぞ」
すると飾先輩は滔々と語り始める。
「この花火は、私の知っている仲間君そのものだと思うぞ。はつらつとしていて華やかで、どんな漆黒の暗闇だろうとたちまちキャンバスに変えてしまう」
恥ずかしげもなく、飾先輩はそれを言ってみせた。でもこればかりは見当違いだ。
「……でも、『今の』私の心はこんなに明るくないですってば」
「それでも、仲間君は暗闇の間を縫って場を照らしてくれるじゃないか。この花火大会だって、毎年おこなっているものだろう? どんなに暗闇が長く続こうと、適材適所でここぞというときに花開いてくれる。それが仲間君だ」
……正直、こじつけにもほどがあると思う。でも、こんなときでも私を誉めてくれる飾先輩は否が応でも大きく見えてしまう。
「ありがとうございます。でもなんか、比喩ばっかりで頭が痛くなってきました」
「ははっ、君もまだまだだな」
飾先輩はニカッと軽快に笑った。あ、やば、涙が、
「ふえぇぇん。飾せんぱーい」
「のわっ、何だ!?」
とりあえず、飾先輩のおっぱいに顔を埋めてみることにした。
おお、私のより全然柔らかいぞ。
俺は、臨海公園の海沿いをひたすら走った。
走りながら、こんなことにならないと自分の気持ちに気づけないことを猛烈に恥じた。なにが追求だ。そもそも見つけるものじゃない。
結局、公園の一番端まで走って、そこに芽森の後ろ姿を見つけた。
「芽森!!」
俺の上げた声で、後ろ姿がビクッと跳ねた。俺はそれに近づきつつ、さらに言う。
「芽森! 聞いてくれ! 俺は、お前が――」
「遅い!!」
「え……」
芽森はくるっとこちらを振り返った。その目には、まだ涙が浮かんでいた。
「何もかも遅いのよ! やることなすこと全部!」
芽森は言いながらどんどん語気を強めていく。
「あんたあたしに会ってから呪いについて何時間考えた!? ていうか、最近考えたことある!? ないわよね!? どうせあたしとはゆっくり仲良くなればいいって、軽い気持ちで考えてたんでしょ!」
「…………」
軽い気持ち……たしかにそうだ。俺は心のどこかで、『何もしないこと』が最善の策だと思っていた。ちやほやするよりはよほど良いと、そう思っていた。しかし、当事者ある芽森が違うと言うのならそれが正しいのかもしれない。
「絶対そうよ。そうに決まってる。あたしをほうって、美夏とキスしようとしてたのが何よりの証拠なんだもん……」
芽森はまた後ろを向いてしまった。
「あ、あれはだな……その……」
まずい。何も言い訳が思いつかない。しかももう告白できる空気ではなくなってしまった。
必死に頭を回したが、本当に、正真正銘、これっぽっちも何をしていいかわからなくて、俺は芽森を後ろから抱きしめた。……もう卑怯だと思ってくれてかまわない。
「栗山……」
芽森の吐息が腕にかかった
「ごめんな。芽森」
「……今まであんたと付き合って、いろんな時間を共にして、それでも呪いは解けなかったの……だから『ゆっくり』じゃ、もっと駄目なのよ……十月まで、もう一ヶ月ちょっとしかないじゃない……」
芽森の言葉は悲壮感に満ちていた。自らの経験則を吐露するだけで心を痛めてしまう芽森が、ただひたすら『かわいそう』だと思った。
俺に言えることはただの一つだけだった。
「お前が好きだ」
言うと、辺りに沈黙が訪れた。いつの間にか花火は終わっていて、人のざわめきとリンリンと虫の鳴く声だけが聞こえてくる。
何秒くらいたっただろう。芽森がゆっくりと話し始める。
「なんで栗山は、何度もあたしを好きになってくれるの?」
なんで。と聞かれてしまうと、どうしても答えに詰まってしまう。
以前、芽森と趣味についての話で盛り上がったとき、その笑顔に心を奪われたのは事実だろうが、それだけのことならば『芽森がかわいいから』という理由になってしまう。
別にこの理由でいいのかもいしれない。だけど、もし誰かにこの理由だと言い切られてしまったら、俺はむきになって『そうじゃないんだ』と反論してしまいそうだ。
俺は、恋愛感情とは言葉にできないもの、つまりは損得勘定を抜きにし、付き合いの中で互いに何の利益があるかとかを考えないものだと思っていたから。
ゆえに、『一緒にいると楽しいから』、とも違う。
『楽しい』という感情を与え合うことだってそれぞれの利益なのだから、必ずしも恋愛感情に繋がらないだろう。そもそも、仲間ちゃんや飾先輩といたって楽しいことには変わりないのだし。
心中に存在しているあらゆる要因を捨てて捨てて、それでも最後に残ってしまった、搾りかすのような判然としないもの。おそらく、それが恋愛感情なのだ。
つまりその中に理屈という概念が存在しないのだろう。よって説明できるわけがなく、言うべきことは初めから決まっていた。
「そんなのわかんねぇよ。好きなもんは好きなんだ」
「……なにそれ。答えになってない」
芽森がそうぼやくように言うと、再び辺りがしんと静まり返る。俺がその静寂に気づいてから数秒たって、芽森の声が再びその背中を通して聞こえてくる。
「あたしがどんなに不器用に立ち振る舞っても、さっきみたいに怒鳴り散らしても、十発ぐらい思いっきりビンタしても、栗山は、最後にはこうやって抱きしめてくれる……。そのときはすっごく嬉しいんだけどさ、後ですっごく不安になるの。もう数ヶ月もすれば抱きしめてくれなくなっちゃうんじゃないかって……」
芽森の言葉を聞いた俺は、少しずつ腕を解いた。そして芽森の前に回って、
「なあ、俺たちやり直そう。これからは、もう躊躇しないから」
「……でも、もう無理よ。今から何かしたって空しいだけだわ」
依然芽森は消極的だった。当たり前か。何の根拠も示せていないし。
根拠はなくとも、俺たちは前に進むことしか出来ない。そもそもの改善策がそれしかないのだから。たとえ結果的に芽森を傷つけてしまう行為だとしても、俺がひたすらに芽森を知っていき、ひたすらに想うしかない。つまり、心を鬼にするほかないのだ。
しかし、芽森にそれを説明したところで納得はしてくれないだろう。それならどうすればいい。考えろ。有無を言わさず芽森と仲良くなる方法。そんなものがあるのか? 俺の記憶の中で芽森に初めて会ったころのことを思い出してみる。何かないのか。何か……そうだ。
「ぷっ」
つい吹き出してしまった。いやぁ、まあ、これはちょっと言っていいものか。
芽森は「なによ……」と言って、怪訝そうな顔をしていた。俺は思いついたことを口に出し始める。
「なあ芽森、七月にお前が転校してきた日のこと、覚えてる?」
「もちろん覚えてるけど……」
芽森は一層怪訝そうな顔をして、こちらを見る。
「あの日はたしか、無理やり芽森のうちに連れて行かれたんだっけ?」
「……そんなわけないじゃない。ちゃんとあんたの合意を得て、一緒に歩いてうちまで行ったんじゃない」
「ん、いや少し違うな。俺はたしか、お前に『来てくれたらなんでもするから』って言われたんから付いて行ったんだよ」
「へ?」
「そんで俺はまだ何もしてもらってない」
きょとんとした顔をする芽森。そして意味を汲み取ったのか、ふいに慌てだす。
「だ、だから付き合えって言うの!? 無茶苦茶なこと言わないで! そんなの冗談にっ――」
再び、俺は芽森を抱きしめた。今後は正面から。
「もう……これで頼むよ。お前と一緒にいたいんだ」
「……馬鹿。これだって、あたしが『抱きしめられたら嬉しい』って言ったからなんでしょ? やり方は汚いし、言うことはクッサいし、なんであんたは……いっつもこう……」
言葉はそこで途切れ、再び辺りが静寂に包まれる。やがて、ずずっと鼻水をすする音が聞こえてきた。
「ううっ」
どうやら芽森が泣いているようだ。
「うっ……ひっ……ごんどこそっ! ごんどごぞ好きになってぐれないと思っだぁ」
その泣きっぷりはまさに子供で、瞬間的に庇護欲を掻き立てられた俺は、一層強く芽森を抱きしめた。
「栗山ぁ、もうあたしのこと忘れちゃやだぁああ」
「俺だって同じだよ、お前のことを死んでも忘れたくない」
「うわああん」
俺は、芽森の小さな体に宿った体温がただただ愛おしかった。
うまくいった、とは思っていない。これは予定調和であり、なるようになっただけだ。ここまできてようやくスタートラインといった感じだろう。
しかし、芽森を海馬に焼き付けることは予定調和とはいかないのだろう。一筋縄ではいかないことを、これから成し遂げなければならない。
もうすぐ二学期が始まって文化祭の準備も始まる。そのころには暑さも和らいで、俺と芽森も色んなことを気に留めずに過ごせればいいなと、心から思った。
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