イケブクロの夜、貴女と僕は

パEン

第1話

 やけに道が狭かった。足元は暗いけど、ぼんやりと光るラブホテルの看板はイルミネーションのように思えたことを覚えている。

 手を繋いだらすぐに離され、「恋人繋ぎはそうじゃない」と手の甲をつねられた。指を絡ませるだけではダメらしい。「こうやるの」と貴女は僕の腕を抱いた。「これはまた違うものなんじゃない」と聞くと、「大人はこれなの」と返された。僕は子供なのにな、という一言は野暮な気がして飲んだ。

 何店舗もあるラブホテルをもってしても、部屋は足りないくらいらしい。年末の池袋はどこだって混むのだと、田舎者の僕に貴女は教えてくれた。だから、少し前には着いてロビーで待っておくものだということも教えてくれた。……こっちは、あんまり貴女の口からは聞きたくなかったかも。

 道すがら、雨がぽつぽつと降ってきた。無視してもよかったけど、貴女はゲーム機を持ってきていたから。ちょっと高いけどコンビニで傘を買うことにした。可愛いキャラクターが描かれている傘で、開いた時二人微苦笑を浮かべてしまって。結構大きい傘だったけど、流石に僕の肩は濡れてしまった。少し貴女が怒っていたのは、からかってもよかったのだろうか。燦然とした偽物の愛の巣が、雨粒と周りを歩くバカたちをひっかけようとしていた。ひっかかる側の僕らとしては、笑ってやることもできない。

 コンビニのすぐ横に、辛いものを売りにしている飲食店があった。「寄ってく?」なんて冗談めかして貴女が言うもんだから、「焼肉食べたばっかじゃん」って返した僕の顔はきっと緩み切っていたと思う。案外本当に食べたかったりしたのかな? 細い身体でよく食べる人だったから。

 部屋が空いているか不安で、貴女は電話で予約できないかと試みてくれた。でもダメだったみたいで、「——ちゃんもかけてみて! 絶対予約できるはずなのに!」と地団駄を踏みながら頼んできて。僕は電話が苦手だけど、目当てのラブホテルの番号にかけた。「もしもし、部屋の予約って」「あー、すんません、今、無理で。」……やっぱり僕は、電話は嫌いだ。おまけに「こんなとこで大声で部屋の予約とか言わないの!」と貴女に小突かれてしまった。

 宿泊パックが八時から使えるらしいので、十五分くらい前に狭いロビーに入り、同じように狭いソファーに腰掛ける。甘ったるい匂いが充満していた。ソファーの前に置かれていた、やけに荒い画質の黙ったテレビ。濡れていない方の肩を合わせ、ぽけーと眺めていた。何よりも幸せだった。

 八時。初めて入るラブホテルの部屋は想像より遥かに豪華で。はしゃいでいる僕を見て何を思ったのかは分からないけど、「お風呂でテレビ見れるよ」なんて言いながら荷物を置いていた。お湯を沸かすときに少しテレビをいじったらエッチな動画が流れて変な声を出してしまい、笑っていた貴女。絶対分かってたな、と思ったけど何も言わなかった。

 お湯が沸くまでの間、他愛もない話をした。「デートなんて久しぶりだった」「エスコートできなくてごめん」「荷物持ってくれたのは高得点。重かったのにごめんね」「また来年も会えるかな」「今は目の前にいるでしょ」……ただ、それだけの日常が。泣いてしまうくらい。余程悲しそうな顔でもしていたのか、二回抱きしめられた。

 お風呂は先に入らされた。曰く、「女の子は色々準備することがあるの」と。女の子って何歳までだろう、と考えたが口に出したら本気のグーが飛んできそうでやめた。お風呂はやけに広くて、何故か何色にも光る。ラブホテルというものは外面も内面もキラキラしていないと気が済まないんだろうか? 都会って面白いな、と思った。

 バスローブなんて洒落たモンもあったけど、僕は持ってきたパジャマを着た。何となく落ち着かなくて。「ドライヤーくらいしなさいよ」って、頭をタオルで拭いてくれた貴女。お姉ちゃんがいたらこんな感じかな、なんて喜んでしまった。

お風呂からあがった貴女はバスローブを着ていた。バスローブも白ければ、貴女の肌もやけに白くて。ミルクローションを塗る貴女のことが少し心配になった。ミルクローションはどこか懐かしいような甘い香りがして。ちょっと舐めてみたら案の定苦かった。

 何となく緊張してしまった僕に、貴女は「もう、する?」って聞いてきた。顔も見れないまま、こくん、と頷くだけの僕を貴女は優しく抱きしめてくれた。熱い貴女の身体が、冷めた僕の身体に染みる。

 初めての口づけはやけに長かった。「覚えた?」って意地悪い笑みで聞いてくる貴女が愛おしかった。「——の唇も、舌も、流石に忘れられなさそう」と返した僕に、貴女はやっぱり意地悪い笑みで「足りない」ってバスローブをはだけさせた。バスローブの下には何も着ない、と思っていた僕は、黒い貴女の下着に目を奪われた。外のように、燦然とした光の粒は見当たらない、完全な黒だった。

 「腕抱かれてる時、ずっと当たってた」とそっぽを向きながら言う。僕を無理矢理前を向かせながら「当たるほどないけどね」って貴女は笑う。……そうは思えなかった。十分な大きさだ、と素直にそう思った。「下から揉んだらやりすいかも」と教わり、言われた通りに触ってみる。下着って結構ごわごわしてるな、と思った。重いな、と思った。柔らかいな、と思った。暖かいな、と思った。呟くような嬌声を聞きながら、「胸も、忘れられない」って言った。僕の息は荒かっただろう。もう一度唇を重ねた。もっと長く。もっと一つに。もっと、永くと願い。

 気が付くと、僕も貴女も裸だった。貴女は僕に馬乗りになり、「お仕置き」って首を何度も甘噛みした。出したこともない声を出してしまい、自分で困惑した。耳も舐められた。もはや声も出なかった。あの時、僕は確かに支配されていた。貴女がそうやって僕に知らないことを教えてくれる度、僕の目には涙が溜まっていって。貴女が涙に気が付いていたか分からないけど、たまに優しく抱きしめてくれるのが、ナイフみたいに痛かった。

 ゴムをつけるのはやけに難しかった。高いヤツを買ってきたのに、二枚ほど無駄にした。貴女が笑いながら見ているだけでよかった。おかげで僕は泣かなかったから。

 ……初めては、案外すぐ奪われた。また馬乗りになった貴女は、今度はゆっくり動いて。「——ちゃんも、動いて」って言うから、よくわからないまま動いて。「上手」の一言が嬉しくて。無知を隠すように。対等になりたくて。快楽と寂寥の間で、馬鹿みたいに腰を振っていた。

 事が済んだ後、一緒にお風呂に入った。僕の足の間に入り込む貴女はやけに小さく見えて、愛らしかった。調子に乗って、「やっぱり胸小さくないよ」と胸を触った。多少は手慣れた自分を褒めてやりたかったけど、貴女にまた小突かれてやめにした。

 お風呂からあがって諸々済ませると、いい時間だった。「寝よっか」と貴女も言うから、大きなベットに二人横になった。天蓋があることにはその時気が付いた。貴女はすぐ寝て、僕はしばらくその寝息を聞きながら、子供が怒られた時みたいに声を押し殺して泣いた。

 朝一番に貴女は「——ちゃん、首に痕ついてる」とからから笑っていた。なんのことか分からなかったけど、貴女が笑っていたからそれでよかった。残された時間、映画を観た。貴女の好きなアニメの映画。ベットに座って二人で。貴女の頭は僕の肩にあって。ロビーよりも幸せで、寂しかった。あの時は始まりだったけど、今は終わり。

 荷物をまとめている時にまた泣きそうになってしまった。僕は大人じゃなくて、貴女は大人だったから。後ろからちょっと荒く頭を撫でてくれたけど、それは涙の背中を押すことになってしまった。貴女には見えていなかっただろうけど、ホテルの地面は確かに汚れてしまっていた。

 部屋代金の清算は、部屋の入口にある機械で出来るらしい。いいところをみせよう、と一万円を持って機械へ向かったのに、貴女はもう払い終えていた。お金を渡そうとしたのに、「大人に任せときなさい」と胸を張る貴女は狡かった。暗に子供だな、とまた念押しされているみたいで。

 部屋を出たのは昼前。大人のフリをしたくて、腕を貴女に差し出した。夜はイルミネーションのようだった退廃的なホテル達も、明るさを狭い道に通すまいとする番人と化している。昼なのに暗い道で、貴女は僕の大人のマネゴトに付き合ってくれた。やっぱり胸は小さくない。

 ブランチをマクドナルドで食べた。僕も貴女もダブルチーズバーガーのセット。二人ともお茶。「なんか、バカみたい」なんて微笑む貴女の横顔を見て「まつ毛が長いな」って見当違いのことを考えていた。ポテトが変にしょっぱかった。

 お別れの時間は、刻々と近づいていた。無駄に大きいユニクロで貴女は暖かそうなフリースを買ってくれた。「私と思って使ってね」と言うから、その場で着た。世界に貴女は二人いて。これからもずっと、そんな矛盾した世界が続けば良いと願った。

 ……池袋駅に着いた。僕は家に帰るため、新幹線の出る東京駅へ。貴女はこの後行くところがあるとかで、池袋に残る。

 お別れ、だった。二日だけの恋人関係は、ここで終わり。

 貴女は、袋を僕に手渡して「ミルクローションと、お土産と、手紙。」ってどこか雨の降りそうな顔をした。「ミルクローションはお風呂あがりに足とか腕とかに塗るの。ケアを大事にしないと、将来後悔する。手紙はね。……新幹線で、読んで。私の前で読んじゃ駄目。手紙なんて書くの、学生の時友達同士で交換して以来で。変だったらごめんね」そう言う貴女は、今にも降りそうで。「変じゃない」僕は必死に言った。「笑って」、それしか言えなかった。貴女は狐の嫁入りみたいな顔をしてくれて。

 次の電車に乗らないと、新幹線に乗れるか危うい。もうホームに向かわないといけない。「来年も」、僕はそう言った。貴女は雨を降らせて、返事をしてくれた。




 _______「さよなら」。





 京都に帰る新幹線が出発した。駅弁とか鞄とか体臭とか座席とかコーヒーとか。いくつもの匂いが混じりあった新幹線の香りに、「あー、帰るんだ」って今更実感する。倒れそうなくらい眠かった。でも、それ以上に「さよなら」の意味が知りたくて。手紙を袋から出し、可愛いシールで閉じられた封を切る。


 ___『——ちゃんへ。二日間ありがとう。君が起きるより少し早くに起きて、この手紙を書いています。君は気遣いがよくできる子で、私が甘えてしまったことが多かったように思えます。年上なのにごめんね。初めてが私なんかでよかったのかな、という不安もあります。真実は怖いので、君が知っていればそれでいいです。……君は高校生で、私は社会人です。世間体、というものがあります。言いたいことは分かると思います。ごめんなさい。私はもう君とは会えません。こんなことを言ってはなんですが、君はまともな人と幸せになれると思います。私は初めから君とは遊びでした。もう連絡は取らないようにしましょう。さよなら ——より』

 

 空き行の多い手紙の端に、小さな手書きのハートマークを見つけた。貴女の丸文字に似た、やけに丸みを帯びたハートだった。

 ミルクローションを取り出し、少し手に出した。甘い匂いがする。舐めた。苦みが口に広がる。

 名前は知っていた。名前以外、知らなかった。社会人で都会を生きている、本来出会わなかった貴女。

 苦みはずっと消えなかった。余ったゴムがリュックから落ちかけ、トンネルに入ってついに落として、もう見つからなかった。ゴムも、暖房が弱くても暖かい身体も、紅い痕の残る首も、乾かない唇も、何もかもが忘れられなかった。

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