色盲少女の咲かす花

らららんど

色盲少女の咲かす花

 私はみんなとは違う。


 みんなからは普通の暮らしをしていると思われているけど、違う。


 私は色覚障害を患っている。

 色覚障害と言っても、私が特に見えないのは赤や緑。

 一般的には1型と呼ばれるものだ。


 だから、皆とは同じ景色が見えない。


 生まれた時からずっと本当の花の色を見たことがない。


 本当の夕焼けを見たことがない。


 そんな人生を送りながら、周りととにかく合わせようとして生きていた。

 みんなが綺麗と言って感動しているというのに、私には何が綺麗なのかさっぱり分かんなかった。

 そんな人生も今年で十六年目。もう私も高校生になった。


 十六年も生きてればそれなりに慣れてしまうもので意外と何不自由なく生活出来るものだなと思いながら私は今日も学校の門をくぐった。


「おはよう!彩葉いろはちゃん!」

「お、おはよう。涼香ちゃん」


 彼女は美波涼香みなみすずか

 クラスの席が後ろで入学初日に話しかけてきてくれた子だ。


「彩葉ちゃん。今日の授業ってなんだっけ?」

「今日は美術だよ……」


 私の希望は音楽クラスだったのに入ったのは何故か美術クラス。

 よりによって色盲の私が。

 それを知った時には恨みたくもなった。

 ただ、実際にやってみると美術の授業は意外と面白いもので、色に関しての授業ばかりという訳ではなく、むしろ色に関する授業の方が少ない。

 今日もそんなものだろう。






「今日は色のグラデーションを練習してみましょう。中学でみんなやったことあると思うけど、一応説明するわね」


 一番後ろの席で私は耳を疑った。

 グラデーション?要は色の濃淡。

 見分けるのが困難なのは赤と緑だけ。それさえ見分けてしまえば周りと同じように描ける。

 そして色鉛筆が前から配られていく。


 回ってきたのは36色。

 見分ける自信なんて皆無だった。

 今回使うのは赤、青、緑、黄の四色。

 まずは見分けられる青を手に取り塗り始めた。

 出来るだけゆっくり……。


 周りを見てみると、皆二色目に入っている。

 次行かなきゃ……。

 そして、黄色の色鉛筆を持つ。

 上の方は強めに、そして下は薄く塗っていく。

 他の人を見て、スピードを合わせていると、三色目に入ってしまう。


 赤色、どれだ?


 背中がだんだん冷えてくるようでそれに合わせたように鼓動が早くなる。

 赤であろう色鉛筆を手に取る。

 すると急に描き始めるのが怖くなって回りを伺って自分と同じように戸惑っている人が居ないかを探してしまう。

 すると隣の男の子と目が合った。


「なんで、黒持ってるの?」

「あ、ごめん、ぼーっとしてた……ありがとう!」

「あ、うん、いいよ」


 私はその色鉛筆を置いて、別の色鉛筆を持って描き始めた。

 よかった……。

 教えてくれなかったら、黒で書いちゃってたよ……。

 ほっと胸を撫で下ろして、ため息をつく。

 赤色の部分を描き終わったところでチャイムが鳴り、休み時間になった。


 緑色はまだ描き終わってなかったけど、提出しなければいけないというものではなかったので、書かずに教科書の間に挟んだ。


 美術の時間はもう一時間ある……。

 さっきとは違うことをしてくれ!と心の中で願いながら次のチャイムを待った。


「この時間では、りんごの写真を見てそれを模写しましょう。りんごの立体感を出すために影とかも意識して書いてみましょう」



 ◇◆◇



真白ましら、真っ黒なりんごに赤の影って怖ーよ!」


 授業の終わりにクラスの中心の男の子にそう言われた。

 周りも便乗して、私の事をいじってくる。

 その空気や心のない言葉に私は耐えられなかった。


 空っぽのカバンだけを持って昇降口に向かってとにかく走った。


「いろはちゃん!!」


 唯一の友達の声もまるで耳に届いてこなかった。

 聞こえるのは私の嗚咽と鼻をすする音。そして廊下のタイルを叩く私の上履きの音。


 靴に履き替えて、 学校を出る。


 どうして……。

 どうして私なの……。

 ただ、色が分からないってだけで、こんなに生きずらいの……


 周りも何も見えなくて、駅に向かって一直線に走って、一番最初に来た電車に乗った。

 こんな自分を呪った。


 色の分からない私。


 他人に少しいじられただけで、折れてしまう弱い私。


 自分の事しか考えれない私。


 どうして私は生まれてきたの······。どうして私は色が分からないの······。

 自分で自分が分からなくなってくる。


 気づくと家の最寄り駅に着いていた。

 誰も降りない程の小さな駅。

 誰も私の事なんて見ていないのに、みんな私の事を見ているような気がするのが怖くて、自分の家に向かって脇目も振らずに走った。


 家の扉を引いても開かなかった。

 確か、母と父は仕事に出かけると言っていたな。

 鍵を差し込んで捻るとガチャという音と共に扉が開く。


 玄関には私でも見える紫色のカキツバタが三本、花瓶の中に入っている。

 母がカキツバタを好きらしく、いつも玄関に入ると一番最初に出迎えてくれるのはこのカキツバタだ。

 それを一瞥すると、汗がベタつくのを感じて、服を脱いでお風呂に入る。

 鏡に映る腫れた目は、自分の心を丸裸にされているようだったけど、鏡は直ぐに曇っていく。

 温かくなったシャワーの水を頭から被って、私はまた静かに涙を流した。



 ◇◆◇



 黒と水色が入り交じった空を見る。


 みんなには、赤にみえてるのかな······、


 赤ってどんな色なんだろう。


 死んだら見れるのかな······。


 一度でいいから見てみたいな······。


 淡い願望を心の中に浮かべて、黒に染まっていく空を見る。

 するとガチャと玄関の扉が開く音がした。


「ただいま〜」

「おかえり······」


 個人的な理由で早退した事に申し訳なさを覚えて、私の言葉は尻すぼみになって消えていく。


「お母さん、学校行きたくないよ......」


 一度は枯らした涙が溢れてきてしまう。

 言葉にならない感情が心の中で渦巻いて涙になって出てきているようで、ただ辛かった。


「分かった。行きたくなったら行けばいい」


 なんで、優しくしてくれるの......。

 こんな私、嫌じゃないの?


 それを口に出せなくて、ただその優しさに身体を委ねることしか出来なかった。


 それからというもの私は学校を休み続けた。

 時々来る担任からの電話。

 それだけが私が学校というものと繋がっている瞬間。

 それを意識する度に私の罪悪感が大きくなっていく。

 学校に行きたくないという気持ちと、学校に行かなければいけないという義務感がせめぎ合って、私を追い詰めた。


 やがて、高校最初の夏休みがやって来てしまった。

 勉強はそこそこ出来たので、夏休みの宿題を継続してこなせば難なく終わった。

 でも、美術の宿題だけは手を付けれなかった。

 花の模写それだけがどうしても出来なかった。

 あと、一週間。

 でもその一週間も直ぐに過ぎていってしまって、学校が始まってしまう。


『明日一日だけでも学校に来てみてくれないか?』


 先生から初めて学校に来てくれという言葉を直接聞いた。

 先生は色盲の事もあの時間に何があったのかも知っているから、強引に学校に来いとも言えなかったんだろう。

 でも、私は決意した。学校に行こうと。


 翌朝、私の中で学校に行くことへの忌避感はとても肥大化してしまっていた。

 今にも朝ごはんを戻してしまいそうな程気持ちが悪かった。

 玄関で靴を履いても次の一歩が踏み出せない。そんな状況。

 母は、あまりにも顔色の悪い私を寝かせようとしてくれる。


「いいよ、頑張る」

「いや、一回寝なさい」

「やだ、学校いく······」

「分かったから一回寝て?」


 母に押されて、私は無理やりベッドに。

 昨晩、布団に入ってもほとんど寝れなかった私には直ぐに睡魔が襲ってきて、すぐに眠りについてしまった。



 ◇◆◇



 目に黒い光が飛び込んできているのを感じて目を覚ました。

 私の視界には、自室の天井ではなく車の内装が写っていた。


「おはよう」


 母が優しく語りかけてくれる。


「おはよう······」


 眠い目を擦って車の外を見てみるとそこには私の通う学校があった。

 母に連れられて、花壇の前にはクラスのみんながいた。


「みんな······」


 母に背中を押されて、クラスメイトの前に立たされる。

 そして前に出てくるのは私を美術の時間にいじってきた男子。

 彼は私と目を合わせると、勢いよく頭を下げた。


「すまなかった!真白が色覚障害なんて事を知らなくて俺は酷い言葉を言っちゃった。それで、落ち込んで学校に来れなくなったって先生に聞かされたんだ」

「うん······」


 私は頷いて次に続く言葉を待つ。


「だから、俺なりに出来ることを考えたけど、俺、色覚障害について無知だから、このメガネを買ってみようと思ったんだ······。けど、高くて、手が出せないって時に美波が助けてくれて、みんなでやろうって言ってくれたんだ」


 彼の手には色覚補助メガネの箱がある。

 私はそれを見て、クラスのみんなの中にいる、涼香ちゃんに目を向けた。

 すると彼女はコクっと頷いて視線を彼の方に促した。


「これはクラスのみんなが真白に戻ってきて欲しいっていう気持ちだ!受け取ってくれ!」

「ありがとう······」


 私はそれを受け取った。

 医者からは色覚補助メガネをかけても、健常者とは同じようには見えないと聞かされていたから、淡い期待だと分かっていた。


 せめて、彼らの為にリアクションをとろうと思って私はメガネをかけた。


「え······」


 太陽の映す世界が色を持つ。


「これが、赤色?」


 思わず息を呑んだ。

 そして、初めて見た夕焼け空は段々と歪んでいく······


「良がったよぉぉ。学校来でくれで!」


 すると泣きながら涼香ちゃんが抱きついてくる。

 私は彼女の目元を拭いながら、共に笑顔を咲かした。


 すると私の目からも涙が溢れてきてしまう。

 それが瞳から一粒、風に靡きながら落ちていく。

 その雫を視線で追うと、ある一つの花に落ちた。


 カキツバタだ。

 いつも玄関で見てたあの花。


 カキツバタの花言葉は『幸せは必ず来る』。

 私は自分で自分の幸せを咲かすことが出来たかな?


 私は生まれた時からずっと支えてくれたこの花を永遠に咲かせ続けるよ。

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