聖なる夜の誓い

「もしも不安で押しつぶされているのなら、わしが今から話す話を糧にするとよいぞ? 世界中を旅すると、様々な文化や思想に巡り会える。中でもわしが特に気に入った話が、柘榴石ガーネットの言い伝えじゃよ」


「柘榴石の言い伝え?」


「柘榴石は、ある国では幸運のお守り、ある国では道標みちしるべ、そしてある国では闇夜を照らす希望の光だと言われておる。柘榴石の赤は決して、忌み嫌われるものではない。現に君も、呪縛に囚われ苦しみの世界を彷徨っていたムスタに希望の光を与えて解き放ったじゃろ?」


「何も起きなかったが?」


 ムスタが口を挟むと、イーサは人差し指だけを突き出して左右に揺らした。


「まだまだひよっこじゃな、倅。これから、解き放たれるのじゃ。ニーシャ、愛というものはどんなものよりも強く底なしの力を秘めておる。じゃが、本当にムスタを救いたいのならばまだまだ足りん」


「どうすればいいの?」


「簡単なことじゃよ。魔法を使えないように蓋をしてしまえばいいのじゃ」


「蓋?」


 蓋とは何か、と首を傾げる私に、イーサは例え話を聞かせてくれた。


「魔法というのは、魔力を根源として発動するのじゃが……分かりやすく言うとな、体の中にコップがあるとしよう。魔法を使いたいと思ったら魔力をそのコップに流し込む。魔力が十分に溜まると、魔法が使えるというわけじゃ。高度な魔法になるにつれて多くの魔力がいるのじゃが、精霊によって体内にあるコップの大きさは違くての。大きなコップを持っている精霊は、より高度な魔法を使えるのじゃよ」


 ここまでは分かったかな、と確認されて頷いてみせる。


「ということはじゃ、魔法を使えなくするには、コップに蓋をしてしまえばよい。ニーシャの愛で蓋をするのじゃよ。ただ、一度や二度の愛情表現だけでは十分に蓋をすることはできん。変わらぬ深い愛を一生かけて捧げなければならんのじゃ」


「じゃあ、私はムスタにたっくさんキスすればいいのね?」


「……っ」


 先程のキスの光景を思い出したのか、ムスタの顔がほんのり赤くなっていた。


「愛情表現はキスだけではないぞ? 手を繋ぐことも、互いを思い合うことも、一緒の時間を過ごすことも、全てが愛で満ちていれば蓋をすることができる——ただ、ひとつだけ確認したいことがあるんじゃが。精霊から魔法を奪うということは、それはそれは罪深いものじゃ」


 イーサの声は深刻に響く。顔からも、朗らかな笑みは消えて真剣な眼差しをむけてくる。


「鳥から羽を奪うように、植物から花を奪うように。精霊の存在意義を奪うということじゃよ。ニーシャは、その罪に対する罰を受けなければならない」


「俺は二度とニーシャに罰など——」


「私!」


 ムスタの反論を遮るように声を張れば、イーサは発言を続けるように促してくれた。


「……私はムスタを愛してるの。命が尽きるその日までずっと一緒にいたいし、ムスタのことを幸せにしてあげたい。魔法を奪われるのをムスタが嫌ならそれに従うけれど、でも、一年前から私の気持ちは変わらない。あの夜からずっと、どんな罰でも受ける覚悟でムスタを待っていたの」


 深く、深く頷いたイーサは私の手を離すと、戸惑いを見せるムスタの目の前に立った。


「お前を助けたくてニーシャが導いたものじゃ。魔法を捨てて彼女と共に生きるか、それとも、ニーシャに責任を負わせずに今後もムスタ•ヨウルプッキとして罪を犯した子供達に罰を与え続けるか。彼女の気持ちは聞いたじゃろ? ここから先は、お前が決めるのじゃ」


 ムスタは目を閉じたままに俯いて、唇を噛み締めていた。苦悩しているらしい、沈黙が続く。私もイーサも、一言も発することなく、彼からの第一声を聞き逃さんと耳を傾けていた。


 ようやく決意が固まったのか、ひとつ息を吐いてイーサと向き合ったムスタの目は、強い光を放っていた。


「俺はもう、決断を間違えない……。ニーシャと共に生きる道を選ぶ。ニーシャだけに罰は負わせない、俺も共に受ける」


「ムスタ……!」


「だが」


 喜びのあまり駆け寄ろうとする私を、ムスタの一声が制止する。三白眼で睨まれ、すごすごと後ずさった。


「ニーシャは未成年だ。一緒になるのはまだ——」


「そんなの関係ないわ! お父様とお母様に話せばきっと分かってくれるから!」


 ムキになって言い返せば、イーサが「ホッホー」と笑いながら豊かな白髭を手でとかしていた。


「そうと決まれば、わしはお暇しようかの。審議員の方には、釘を刺しておくから心配するでないぞ?」


「親父が?」


「まさか! 審議員の顔など二度と見たくもない! プナイネンがうまくやると言っておったから、あの子に任せとけば大丈夫じゃろう」


 イーサは窓に手をかけて大木にひょいと飛び乗った。でっぷりしたお腹を、ぐいぐいと押し込んでなんとか腰掛けている。


「待ってイーサ。その……私が受ける罰って一体どんなものなの?」


 慌てて訊ねれば、イーサは目を細めて笑いかけてくる。


「ムスタを裏切ることなく、生涯をかけて誠の愛を貫き通すこと。もしも、浮気やらなんやらをしたら死を迎える、というものじゃ」


「そう……それなら大丈夫よ。だって私、ムスタしか愛していないもの」


「ニーシャは一途じゃな。心配はしとらん。あんな倅じゃが、よろしく頼んだぞ」


 街中に響くほどの声で「メリークリスマス!」と高らかに叫ぶと、ソリは空へと舞い上がり、星空の中へと消えていった。


 ふたりきりになった空間は、静かなものだった。私の心臓が早鐘を鳴らす音だけが耳元で大きく聞こえる。


「罰のことだが。ニーシャは本当にいいのか?」


 沈黙を破ったのはムスタの渋い声だった。


「罰というより、誓いのように感じたわ」


 結婚式、神の前でこれから共に生きることを決めたふたりが永遠の愛を誓い合う、それに似ている。ただ、私達の場合はその誓いが破られることがあれば死をもって償わなければならないのだけれど。


「さっきも言ったけれど、私はムスタを心から愛しているの。ムスタを裏切ることはないから、心配しないでね?」


「それならば、俺もニーシャの思いに応えなければならない」


 突然、ムスタが自分の胸に手を当てると、ドクン、という大きな音が鳴り響いて苦しく顔を歪め、片膝をついた。


「どうしたの!?」


 苦しげに息をするムスタをベッドの端に座らせて、隣に腰掛けた。

 しばらくすると、落ち着いたのか額に浮かんだ汗を拭い、ひとつ深呼吸をして呼吸を整えている。


「ムスタ、大丈夫?」


「罰を与える魔法を自分自身に使った。俺と共に生きることを約束してくれたニーシャの命が尽きるその時、俺も生涯を閉じると」


 精霊は不死の存在。その命を捨てるなど、相当の覚悟のはずだ。自分自身を、殺すということだから。


「……そんな、自分を罰するようなことしなくても……」


 いつもは険しい三白眼が、優しく私を見下ろしていて胸が狭くなっていく。


「罰ではない、救いだ。ニーシャのいない世界を生き続けるのは、どんな罰よりも酷だ」


 節くれだった大きな手が伸びてきて、私の体はムスタの胸の中に沈みこむ。

 彼の体温は、初めて私を抱きかかえてくれた時と何ひとつ変わっていない。

 優しくて、温かくて、私への愛に溢れていた。



###


 ——四年後。


 アーチ型の窓から外を覗けば、真夜中ともあって家々の灯りなど皆無だった。石畳の道沿いに等間隔に立ち並んでいる街灯だけが、ぼんやりと光を放っている。その灯りの下で、降りしきる大粒の白い雪が照らされているのが見えた。


 今夜はホワイトクリスマス。


 人を待っていると、何故こんなにも時間が過ぎるのが遅いのだろうか。テーブルの上に置いてある時計をちらりと見れば、さっき見た時からまだ三分程しか過ぎていない。


 視線を、時計から真横に滑らせる。円盤上のアップルパイからはほのかに湯気が揺蕩い、部屋中をシナモンの香りが漂っていた。


 誰の手も借りずに焼き上げたアップルパイ。今年の出来は最高だ。きつね色に焼き上がった格子状の生地の隙間から、クシ型に切ったリンゴがちらりと覗いている。振りかけすぎに気をつけたおかげで、シナモンの独特なスパイシーな香りとリンゴの甘い匂いが混じって食欲をそそる。


 アップルパイの横には、取り皿とフォークとナイフがふたり分並べて置いてある。待ち人用と、私の分。

 しかし、待ち人の姿は目をこらしても窓の外にはない。だんだんと眠気が増して、目をこすりながらなんとか耐えていた。


「お仕事まだ終わらないのかな……」


 深くため息をつく。今日は弟の荷物の仕分けを手伝うと言って、朝から出かけたきりだ。諦めが悪い私は頬杖をつきながら外を眺め続けた。


 刹那、ぼんやり灯る街灯の下を、長い足を怠そうに動かす黒い人影が見えて、心臓がひとつ、ことんと鳴る。

 期待に胸を膨らませ、玄関の前に立ちドアが開くのを待っていた。ゆっくりと開いたドアの向こう、待ち望んでいた姿があって私の顔は途端に綻んだ。


 黒い外套に身を包んだ背の高い男が、立っていた。私を温かい三白眼が見つめている。


「ニーシャ、ただいま」


「おかえりなさい! ムスタ!」


 渋い声音で名前を呼ばれれば、頬は瞬時に紅を差したのが分かるほど、熱くなっていく。

 その熱に突き動かされるように、思いっきり彼の胸に飛び込んだ。その勢いでムスタは数歩後ずさってしまったが、そんなのおかまいなしにぐりぐりと胸に頭を擦り付ける。


 胸に埋めていた顔を持ち上げて見れば、照れ臭そうに耳を赤らめている顔があった。


「アップルパイ焼いたの。食べる?」


「ニーシャが作ったのなら、食べないという選択肢はない」


 抱きついた体を離して、ムスタの節くれだった手を握りしめる。その手を引いて、アップルパイの待つテーブルへいざなった。玄関から十歩ほど歩いただけで、テーブルにたどり着く。アップルパイを挟んで、向かい合って腰をかけた。

 平家で小さいけれど、これが私達の住まい。家具も壁紙も全部ふたりで選んだ、お気に入りの我が家。


「アップルパイ食べたらね、聞いてほしいことがあるの」


「何だ?」


「食べてからのお楽しみ」


 そう言って、ムスタに気づかれないようにそっと自分のお腹に手を当てた。愛おしい程のほんの少しの膨らみに、つい顔が綻んでしまう。


 鼻歌混じりにアップルパイを切り分け、四分の一を取り皿に移す。

 クシ型のリンゴはまるでハートみたい。ハートをたくさん敷き詰めて、パイ生地に包んで焼き上げる。まるで、自分の思いの丈を全て詰め込んだよう。


 私の愛がたっぷりつまったアップルパイ。


「どうぞ、召し上がれ!」



(おわり)





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