イーサ•ヨウルプッキ

 風が鳴り止むと、律儀にノックする音が聞こえて、顔を見合わせた。私をカーペットの上にゆっくりと下ろしたムスタがアーチ型の窓を開けると、宙を浮く古びた大木から、人間の上半身が生えていた。その風貌に、見覚えがある。


「ホッホー! 久しぶりじゃな!」


 ふくよかな体型を包むのは濃い赤色の外套。お腹の上まで達するほどの立派なヒゲは、白くてくるくると巻かれている。外套と同じ色の帽子を被り、半月眼鏡から優しい目を覗かせた老人がいた。


「あなたは!」

「親父!?」


 ほぼ同時に発する私達を交互に見つめたその人は「よいしょ」と口から漏らして大木から這い出てきた。


「近頃、腹が成長しすぎて困ったもんだわい」


 でっぷりしたお腹をさすりながら、大木から部屋の中へジャンプする。その体型に似つかわしくない軽やかなもので、着地もまるで羽が舞い降りたかのように柔からだった。


「はじめまして、ニーシャ。わしは、イーサ•プナンスター•ヨウルプッキ、皆からはイーサと呼ばれとる。この素晴らしい体型を見てもわかる通り、プナイネンとムスタの父じゃよ」


 握手を求めるように、肉付きの良いふっくらとした手が伸びてくる。

 すらりと背が高くて細身なムスタとプナイネンとは似ても似つかない、小柄でふくよかな体型。伝承通りの外見に呆気にとられていた私は、慌てて手を出して握手をかわした。


「やぁ、せがれ。元気だったかの? 調子はどうじゃ? なーんじゃその辛気臭い面は」


 ムスタに向けられた視線は、父親そのものの温かさを持っていた。一方のムスタは、未だに戸惑っている様子で眉間にシワを寄せている。


「今夜は忙しいんじゃないのか? こんなところで油を売ってたら、仕事が終わらないぞ」


「相変わらず仕事、仕事じゃな。わしをみくびらないでおくれ。もうとっくに、仕事は終わらせてきたぞい」


 イーサは腰に手を当てて、得意気な笑みを浮かべている。


「あの、お仕事って……」


 恐る恐る聞いてみると、私に優しい顔を向けてくる。まるで、子供を見守る父親のような穏やかさ。イーサの笑顔を見ていると、自然と落ち着き、心が解きほぐされていく。


「世界中の子供達にプレゼントを配るのが、今のわしの仕事じゃ。以前はわしがこの国の子供達にプレゼントを配っていたのじゃが、一人前になった倅達に引き継いで、世界に飛び出していったのじゃ」


「何が引き継いだ、だ。ほぼ押し付けて勝手に出て行ったくせに。何の引き継ぎもなしに放り投げられた俺達の身にもなってくれ」


 文句を垂れるムスタに、イーサは全く悪びれる様子もなく宥めるように肩を叩いていた。


「まぁ昔のことは水に流しとくれ。じゃが、わしの一番の失敗は、後のことは審議員達に一任してしまったことじゃ。審議員の連中ときたら、頭の凝り固まった融通の効かない石っころ同然の馬鹿……おっと失敬。ニーシャの前じゃ、暴言はここまでにしておこうかの」


 審議員というものに対する遺憾の意を示した時はかなりご立腹だったのか、鼻息荒く刺々しい口調だったのに、今は茶目っ気たっぷりにウインクをしてくる。


「まずは謝罪をさせておくれ、ニーシャ。君にはとんだ迷惑と苦労をかけ、謝っても謝りきれないほどの失礼なことをしてしまった。申し訳なかった」


 イーサは、帽子を取って深々と頭を下げてくる。


「そんなことありません! 私には謝られる理由なんて思い当たりません。どうか頭を上げてください」


「いや、謝らねばならんのじゃよ。審議員達が君に失礼なことをしたのは、わしの責任じゃ」


「あの、審議員とは一体何なのですか?」


 私の問いに答えるため、イーサは姿勢を正した。


「精霊達によって組織されたものでな。一年間子供達の様子を観察し、プレゼントをあげる子供と罪を犯し懲罰の対象となる子供を選別するのじゃ。偏見なく皆公平に見るべきものを、審議員の連中はニーシャを忌子扱いしおって、何も悪いことなどしておらんのに懲罰の対象としたのじゃ! 腹立たしい、実に不愉快極まりない!」


「懲罰? 私、何か罰を……」


 ムスタに目を向けると、罰の悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。


「ニーシャ? こっちにおいで」


 私の手を包み込んだイーサの手は、陽だまりのように温かかった。


「君は忌子などではない。この世に生まれたかけがえのない命じゃ。君の瞳は、柘榴石ガーネットのように美しいものじゃよ」


 心の中に染み入るような声は、プナイネンの声音とはまた違う柔らかさを持っていて、聞いているだけで落ち着いてしまう。それなのに。


(確かに今は、皆私を見ても侮辱したり嫌がらせなんてしないけど、でも……またいつか、赤目の忌子と言われてしまう日が来そうな気がして……)


 不安と恐怖で心が闇に沈み、自ずと目線も床に落ちていく。イーサのふくよかな手が顎に添えられて顔を持ち上げられた。

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