とっておきの魔法

 気づけば見慣れた我が家が近づいてきて、キューピッドは高度を下げて二階のアーチ型の窓に横付けした。


 はて、鍵が閉まっている窓からどうやって入ろうかと考えていると、ムスタが私に横向きになるよう指示してくる。

 言われるがままに跨っていた足を揃えて座り直すと、そのまま横向きに抱きかかえられてキューピッドの上から飛び移った。


 窓に衝突する、と思わずムスタにしがみつく。が、割れることもぶつかることもなく、窓を通り抜けてカーペットの上にふんわりと着地した。


「まっ、魔法?」


「ヨウルプッキ家に代々伝わる透過魔法だ」


「なるほど、こうやって家の中に入って、プナイネンはプレゼントを置いていくのね!」


 お母様の本に書かれていない真実に興奮してしまう。


「教えてくれてありがとう! ムス、タ……」


 思った以上に顔が間近にあり、胸の高鳴りが騒がしい。顔の火照りが頂点に達して、たぶん私の顔はカゴに入っているリンゴよりも赤い。


(とても、近いわ……ん? 待って……もしかすると)


「おろすぞ」


「ま、待って!」


 私を地面に下ろそうと身をかがめたムスタを制止するように、必死に首にしがみつく。なかなか下りない私を不審に思ったのか、姿勢を戻していく。


「どうした?」


「私、ムスタを助けたいの!」


「助ける、とは何からだ」


「罪を犯した子供に罰を与えなければならないという、呪いにも似た運命から貴方を救いたい!」


 三白眼の奥が揺らぐ。戸惑っているのだろうか。それとも、私にそんな力などあるはずないとたかを括って、子供じみた私を憂いているのか。


「ドルジェノのことを話す貴方はとても悲しげだった。同情からじゃない、心からドルジェノを思っているように聞こえたの。無慈悲に罰を与える北国の黒い悪魔なんて大嘘よ。だってムスタは、忌子だからと疎まれて蔑まれていた私の運命を変えてくれた。皆に無視され暴力を振るわれていた私に、貴方だけは、温かく手を差し伸べてくれた。貴方はとても優しい人。そんな人が苦しんでいいはずないわ。私は、貴方に幸せになってほしいの」


 今夜はクリスマス。何が起こっても不思議じゃない。今夜じゃなければ、いけない気がした。

 罰を与える魔法が彼を縛る呪いのようなものならば、その呪いを解いてしまえばいい。


「ねぇ、知ってる? 人間にも魔法が使えるのよ?」


 首を傾げたムスタは、訝しげな顔で私をまじまじと見つめている。


「そんな話聞いたことがない」


「当然よ。だって、本当に特別な時にしか出さないとっておきの魔法なんだから」


「ニーシャも使えるのか?」


「試したことはないけれど、でも、きっとできるわ!」


「何故そう言い切れる?」


 お母様の書斎にあった昔話の絵本達。動物に姿を変えられた王女の話や、ドラゴンに変身してしまう少年の話……皆、自分の不幸を嘆いて辛い日々を送っているけど、最後は呪いは全て解けてハッピーエンドで締め括られる。呪いを解く方法はいつも、たったひとつだけ。


「私は、ムスタを愛してるから」


 真一文字に閉じられた唇に、自分の唇を押し当てた。


 呪いを解く魔法、それは愛する者のキス。


 無精髭がちくちくと刺さるけれど、唇は柔らかくて温かい。ありったけの思いを口付けに込めて、そっと、離した。


 普段は気怠そうな三白眼が、大きく見開かれている。硬直した顔は、何が起きたのかを理解できずにいるように見えた。

 絵本の世界では、体が発光して呪いが解ける、と記述されていた。ムスタの体も光に包まれて——。


「あれ?」


 変化はない。黒い外套は光ることもなく、闇のような色のままだ。


(これじゃあ私、ただムスタにキスしただけになっちゃうじゃない!)


「魔法って、キスのことか?」


「え、えっと、その……」


 羞恥が募ってムスタの顔を直視できない。どこかに触れていないと心許なくて、黒い外套の襟をぎゅっと掴んだ。

 呪いを解くにはキスをすればいい、などと安直で幼稚な考えを信じていた自分が恥ずかしすぎる。そんなの御伽噺の中だけのことなのに。


 とにかく、突然キスしてしまったことを謝らねば、と顔を上げようとすると、窓が突風に煽られて今にも割れんばかりの音を鳴らした。

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