苦悶の表情

 背後で、ムスタが仕事に取り掛かる音がする。倒れている男達への罰、それは如何なるものかとちらりと覗き見た。


 ムスタが手をかざすと、男達はまるでひきつけでも起こしたように体が揺れた。最後に、大きく体が波打ったように跳ね上がる。男達の顔には無数の殴打痕が残され、呼吸が浅くなっていた。


 これが、今年の彼らの罰なのだろうか。

 暴力をふるった分だけ、体に傷をつけられるという、罰。


 彼らを見下ろすムスタの横顔が、苦悶に満ちている。あまりにも痛々しい表情に、かける言葉が見つからない。


「ム、スタ……?」


 私の呼びかけに気づいて振り向いた顔は、既に無愛想なものに戻っていた。三白眼に鋭さはなく、優しく私を見つめている。


「……家まで送る」


 私から手綱を奪うと、キューピッドに乗るように指示してくる。そもそも馬にも乗ったことのない私に、乗れと言われても無理だ。


「手綱を持って、左足をあぶみにかけるんだ」


「あ、鎧って?」

 

「足をかけるところだ」


 ムスタが指をさした所に足をかけて、もう片方の足で地面を蹴った弾みでキューピッドの背に乗る。


「できた!」


 キューピッドの上から見える景色が新鮮で好奇心に任せて見渡していると、ムスタも乗り込んできて背中に体温を感じた。

 ムスタが後ろから手綱を持つと、体全体を包み込まれているような感覚になって心臓が落ち着かない。


「キューピッド、彼女の家まで頼む」


 ムスタの声に反応したキューピッドは、鼻をならすと勢いよく地面を蹴った。

 体が浮遊感に見舞われる。見上げていた木々が、みるみるうちに目線の高さになったかと思えばはるか下へと遠ざかっていく。


 キューピッドの足は、まるで地面を蹴っているかのように宙を掻いて進んでいく。


「私の家、分かるの?」


「ニーシャの匂いを頼りに家まで送ってくれる」


「キューピッドって賢いのね」


 感心して発した声に、キューピッドは鼻をならした。


「褒められて嬉しいらしい」


「ふふっ、可愛い」


 キューピッドはまたも鼻をならす。その様子が可愛らしくて、キューピッドの太い首をさすった。


「プナイネンって、伝承と印象が違くてびっくりしてしまったわ」


 背中から苦笑する声が聞こえてくる。


「言い伝えられている姿は、全て先代のヨウルプッキだ。あいつは固定概念を嫌がる。自分が好きなように生きる癖があって困る」


「とても素敵だと思うわよ。優しいし、奥様をとても大切にしてるし、背も高くて顔もかっこいいし」


「……ああいう男がいいのか」


 ぼそりと呟いた言葉は不服そうな音を含んでいたが、私は何故そんな声を発したのかよく分からなかった。


 眼下には住み慣れた街並みが広がり、家々の窓からはぼんやりとした明かりが覗いていた。

 時折風が吹いてきても、ムスタの腕の中にいると不思議と寒さは感じない。心なしか顔が火照っているのは、心臓が早鐘を鳴らしているからだろうか。


「ムスタに謝らなければならないの」


「何故だ」


「貴方に助けられたのに、私、ムスタのことをすっかり忘れていて。どうしてかしら、自分でもよく分からないの」


「……すまない」


「えっ?」


 頭上から落とされたのは、力のない後悔が滲んだ声。ムスタはどんな顔をしているのだろう。ふと、ドルジェノ達を見下ろしていた苦悶の表情が思い出された。


「罰を与えた時、ドルジェノ達を見る目がとても苦しそうに見えたの。本当は……罰なんて与えたくなかったんじゃないの?」


 手綱を握っていた手が、わずかに強ばる。図星だ、というのが見てとれた。


「ドルジェノは、スラム街で生まれ育った。親も頼るべき親戚もいない、信じられるのは己のみ。飢えで苦しむ仲間のために食べ物を盗んで、服がボロボロになった者のために金品を奪い取って服を買う足しにしていた」


「そんな……。ムスタは、ドルジェノのことを知っていたの?」


「懲罰の対象となった子供のことは、自分の目で調査するようにしている。どのような罰が適切か見極めるために。だが……理不尽だ。裕福な家庭に生まれ育った者は何不自由なく暮らし、一方で貧しい者は犯罪を犯さなければ生き残ることができない」


 声音にもどかしさや苦痛を感じる。何と声をかけていいのか分からない私を置いて、ムスタはぽつぽつと言葉をこぼしていく。誰に聞かせるわけでもなく、ただ、心に秘めていた思いを吐き出して苦痛から逃れるように。


「俺は、罰を与えることしかできない。そんな事をしても解決なんてしない。彼らには、安らぎと温もりが必要なのに……俺は何もできない。情けないくらいに」


(貧しさ故に罪を重ねる……罪を犯すのは良くないけれど、でも、彼らの境遇を思うと遣る瀬無いわ……。罰を与える側だって罪悪感で溢れているはず。それが毎年のように重く積み上がっていくのね……。ムスタを救ってあげたい、助けてあげたい)


 だが、どうしたらムスタを救えるか分からずに黙り込んでしまった。その呪縛を解いてあげられれば一番良いのだろうか。でも、生憎私には、そんな魔法のような能力は備わっていない。

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