兄貴をよろしく

 轟音と暴風が止んだ広間には、ドルジェノと取り巻きの男達が目を回して失神していた。

 何が起きたのかと周りを見渡せば、聞き覚えのない声が響いてくる。


「人質をとるなんてずいぶんと卑怯な真似をするんだねぇ。感心しないよ、僕はそういうの大嫌いだからさぁ」


 その声の主は、九頭のトナカイが引く赤いソリの上に立ち、ぼろぼろの少年をお姫様抱っこしていた。

 心の奥に染みわたるような甘くて低い口調とは裏腹に、その目は鋭く広間に倒れている男達に向けられている。


 細い体は赤い外套で包まれ、絹糸のような銀色の長髪は低い位置でひとつに結わえている。

 雪のように白い肌と鼻筋の通った麗しい見た目は女盛りの三十代に見えるのに、声音は男。まるで騙されているような感覚に陥る。


「仕事はどうした」


 ムスタは不機嫌そうに、ソリの男を一瞥している。


「兄貴の一大事だ、呑気にプレゼントなんて配っていられないだろう?」


 少年をソリに寝かせると、先程とは打って変わって柔和な笑みを浮かべてくる。無愛想な無精髭の男と、見目麗しい男。あまりにも容貌が違いすぎて兄弟とはとても思えない。


 ソリをひくトナカイ達がゆるゆると近づいてくると、先頭の一頭の鼻が赤々と光っていることに気がついた。


「赤い鼻のトナカイに赤い外套……もしかしてあなたは、プナイネン•ヨウルプッキ?」


 言い伝えられているふくよかでたわわな髭を蓄えた老人の姿とはまるで異なるが、彼の周囲にあるものは全て伝承通りだ。

 ソリから飛び降りたプナイネンは、垂れた目を細めて笑いかけてくる。


「君がニーシャちゃんだね? 噂に違わぬ美人さんだ。なるほどねぇ、兄貴はこういう子が好——」


「ごほん、ごほんっ!」


 プナイネンの話を遮るように、ムスタがわざらしく咳払いをした。


「そんなことより、プナイネン。ニーシャを家まで送り届けてくれ。まだあいつらの始末が終わってない」


「相変わらず人使いが荒いねぇ」


「お前が言うな」


「僕は兄貴のことをこき使ってなんかいないだろう?」


「自分の胸に手を当ててよく考えろ。繁忙期になると人を手足のように使い古すくせに。それに、面倒なことは全部俺に押し付けて——」


「はいはい、そこまで。ニーシャちゃんの前でぐちぐち言うなよ。くどい男は嫌われるよぉ?」


 ムスタの顔を、プナイネンはしたり顔で覗き込んでいる。


「っ……。ともかく……送り届けてくれ。頼む」


「兄貴の頼みとあらば何なりと。さ、ニーシャちゃん、ソリに乗って」


 細くて女性のようなしなやかな手が伸びてくる。でも、ムスタの側を離れたくなくて縋るように見上げれば、ムスタの顔は瞬時に赤くなって視線が宙を彷徨わせている。


「そんな目で……見るな」


 その様子が可笑しいのか、プナイネンは吹き出して肩を震わせていた。


「あーもう見てるこっちが恥ずかしくなるじゃないかぁ。ニーシャちゃんは兄貴が送り届けな。僕はこの少年を送るからさ」


「あ、あぁ……」


「トナカイを一頭貸すよ」


「悪いな」


「いいって。僕は兄貴の役に立ちたいから。ようやく、固定概念を取っ払おうとしているみたいだからねぇ」


 柔和な笑みを浮かべたプナイネンは、私を手招きした。


「兄貴の仕事が終わるまで、トナカイを見ていてくれるかい?」


「でも、私、トナカイ自体見るのが初めてで……」


「ヨウルプッキ家のトナカイは皆良い奴だから、心配することないよ? さ、おいで」


 名残惜しいがムスタから離れ、プナイネンにエスコートされてトナカイの列へ向かった。

 四列目に繋がれているトナカイの綱を外したプナイネンは、顎の下を慣れた手つきで撫でていた。キューピッドと呼ばれたトナカイは、気持ちよさそうに目を細めている。


「手綱を持って、顎の下を今僕がやったみたいに撫でてやってほしい。キューピッドは撫でられるのが好きなんだ」


「は、はいっ!」


 プナイネンから手綱を受け取り、恐る恐る顎の下を撫でてみる。柔く触ったのがくすぐったかったのか、ブルブルと頭を振って鼻をならしたので思わず悲鳴をあげてしまった。


「その調子、その調子」


 気づけば、プナイネンはソリに飛び乗って私に微笑みかけていた。


「そういえば、今年も僕にプレゼントを頼まなかったけど、どうする? 今ならぱぱっと出せるけど?」


「プレゼントは要らないです。なので、その男の子の怪我を治してください」


「ニーシャちゃんは優しいね。兄貴が惚れたのも納得だよ」


「惚れ、た?」


 言葉を素直に受け止めても良いのだろうか。ムスタが自分のことを好いてくれている。ずっと片想いだと思っていたから、嬉しくて心音が舞い踊っている。

 でも、プナイネンは少しばかり困ったように眉を八の字に下げてしまっていた。


「ニーシャちゃんのお願いを叶えたいところだけど、僕の魔法は実態のあるものを贈ることだけ。この子の怪我を治せないんだ」


「そうなのね……」


「でも安心して。僕の奥さんに頼めば、きっと大丈夫」


「プナイネンって結婚してるの?」


「うん。今年で結婚して二百年目。まだまだ新婚だよ」


「夫婦円満の秘訣はあるの?」


「初めて会った日の胸の高鳴りを忘れないこと、それから、毎日欠かさず愛を伝え合うこと」


「プナイネンって、ロマンチストなのね」


「思いっていうのは、言葉にしないと相手に届かないからねぇ。ニーシャちゃんも、ちゃーんと声に出さないと、だよ?」


「分かったわ」


「よいクリスマスを。それから、兄貴をよろしく」


 綺麗なウインクを見舞わせると、手綱をひとつ揺すった。赤鼻のルドルフを先頭としたトナカイ達が勇ましく蹄で地面を蹴り上げると、瞬く間にソリが宙に浮いて夜空を飛び去っていった。

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