第四話


  4.

 夜。平原を吹き抜ける風は一気に冷える。

 地下遺跡の中にある根城に帰った盗賊団は、テオバルトを捕虜用の粗末な牢に放り込んだ。唸りを上げて幾重にもこだまする泣歌は、遺跡の中にあっても良く響く。笛の中に住んでいるようなものだ。慣れれば何ともないのだが、きっと今夜、彼は眠れないだろうとリズはここに来た頃の自分を思い出した。

「夕食だ」

 そう言って、湯気の立つ椀を持って牢部屋に入る。鉄格子越しにこちらを見たテオバルトが驚いたように目を丸めた。それが少し可笑しかったのだが、果たして自分が笑ったように見えたかは分からない。

「牢越しなら近付いて良いと言われた」

 男ばかりの中で育ったため、可愛らしい言葉遣いなど知らない。椀を渡しながらの言葉はぶっきらぼうに響いたが、テオバルトは酷く安心したように優しく笑った。その笑顔にどきりとする。礼を言って受け取った夕食を、テオバルトが掻き込み始めた。しゃがみ込んで膝に頬杖をつき、リズはその様子を眺める。

(侯爵家、か……。それに、賞金首)

 一体どんな身の上なのだろう。貴族の縁者とは思えぬいで立ちと懸賞金を見れば、決して良い境遇にないことは分かる。こくり、とひとつ息を呑んで、リズは早々に夕飯を平らげた青年に声をかけた。

「なあ。私達の仲間にならないか」

 もしこの提案に頷くなら、仲間として迎えても構わない。従者を庇ったテオバルトを気に入ったらしく、ディーガン達はそう言ってくれた。だが、赤銅色の頭は緩く振られる。

「悪いが無理だ。他にやりたいことがある」

 そうか、とリズは落胆の息を吐いた。昔から正義感の強かった彼が断わることは、何となくリズも分かっていた。

「なあザーラ。お前が俺と来てくれねぇか?」

 鮮やかな碧眼に逆に問われる。燭台の炎を映すその眼の光は真っ直ぐ強い。大きく筋張った右手が、鉄格子の隙間から伸ばされてもリズは動けなかった。ただそっと目を伏せる。

「ディーガン達は私の家族だ」

 呟くように答えれば、硬い指先がそっとリズの頬を撫ぜた。くすぐったさと温かさにリズは目を細める。

「大切にされてんだな。良かった」

 より近くからそう囁く優しい声に、ひどく胸が詰まる。頬を包んだ大きな手に引き寄せられて、リズは促されるまま鉄格子の間に額を寄せた。同じように頭を寄せたテオバルトのくせ毛が、リズの額をくすぐる。頬を包んでいた右手はリズの耳朶をそっと撫ぜ、項の髪をくしゃりと掻き回した。

「綺麗な黒髪、変わってねーな」

 頬が熱くて、背中がぞわぞわする。何故か不快でないそれが酷く恥ずかしく、リズは顔を上げられないまま、ん、と吐息で答えた。

 俺は、と囁くようにテオバルトが何か言いかけたその時、荒々しく部屋の扉が開いた。



「コラ何やってるの! 油断も隙もないっ!」

 そう怒りながら入ってきたのはディーガンだった。驚いたテオが腕を引っ込めると、慌ててリズが立ち上がる。だが要件は別らしく、ディーガンはテオを厳しく見据えて言った。

「貴方の従者、とんだ曲者ね。貴方もグル? それとも嵌められた方かしら」

 驚いて疑惑を否定し、テオも立ち上がる。ディーガンの背後からは、物騒な物音と荒い怒声が響いてきた。問えば王家直属騎士団の夜襲だという。突飛な単語に呆気に取られていたリザーラに、牢を開けたディーガンはテオと逃げるよう促した。その背は一介の野盗風情ではない。テオの疑問を読み取ったらしく、チラリと笑ってディーガンは名乗った。

「アタシ達は墜ちし天狼。ジリオーズ騎士団よ。貴方は? 現王家に目を付けられてるとしたら、大体予測はつくけど。……リズ、テオと奥の中央祭壇まで行って。テオが『笛』を持つ者なら、この遺跡はテオに味方するわ」

 そのまま素早く指示を飛ばし、ディーガンは牢の奥にある小狭い通路を差した。困惑気味のリズが、それでも意を決したように頷く。再会を誓う別れの言葉を交わし、二人はディーガンに背を向けた。人ひとりがやっと通れる通路を抜けて、広い地下遺跡の回廊に出る。

「俺は……この国の、グライフホルン王家の正統継承者だ。妾だった母親が、政変の混乱を逃れてひっそり産んだらしい」

 ジリオーズは由緒ある、元・王家直属騎士団だ。二十年前起きた王位簒奪劇で、現国王に逆らい国を追われたという。テオの実母は既に亡く、テオは養父と共にリズらの村に身を寄せていた。養父が事故で死んだ後、「偶然」遠縁を名乗るペリドルト侯爵がテオを拾ってくれたが、待っていたのは半ば軟禁の窮屈な暮らしだった。独立した途端に賞金首ということは、色々裏があるのだろう。

 

 

「『笛』とは何だ?」

 手燭を手に、テオを中央祭壇と呼ばれる広場に案内したリズは問うた。その声が広い地下空間にこだまする。精緻な彫刻を施された、大理石の祭壇に飛び乗りテオが答えた。

「王家の血筋が受け継ぐとかいう特殊能力だ」

 こうして、とテオは目を閉じ、静かに息を吸い込んだ。唇を尖らせ、鋭く息を吹く。

 ひゅーるるる、ぴゅーるるるる。

 高らかに口笛が鳴り響いた。それは地下広場全体に反響し、泣歌を従えて大気を震わす。

 息の続く限りと『笛』を吹くテオの足元で、大地が脈打った。リズは小さく悲鳴を上げる。

 テオの立つ祭壇を中心に、彼の碧眼のような鮮やかな青が幾筋も走り、放射状に複雑な幾何学模様を描く。口笛を吹きながらテオが指先を動かすと、それに応えて地響きが歌う。テオは大地を従えていた。青い光に包まれながら、リズはその幻想的な光景に酔う。

 この国の王家は、古の都の末裔なのよ。いつかのディーガンの昔語りを思い出す。だからリズの村には大昔、王家の血縁が暮らしていた。おとぎ話だと思っていたそれは、ディーガンの知る『真実』だったらしい。

 暫くして、楽団指揮者のように揺らめいていたテオの指が止まる。すうっと波が退くように青い光が消えた。ぱちりと開かれた碧眼が、古の奇跡の残滓に光りながらリズを見る。

「俺は王都に、今の国王に用がある。ディーガン達と共に、俺と来ないか」

 差し伸べられる手。高鳴る鼓動と共に、リズはそこに己の手を重ねた。力強く掴まれて、祭壇の上に引き上げられる。

「テッドは、この遺跡の主なのか」

「遺跡のことは知らなかったが、そうなんだろうな。ディーガンは詳しいみてェだし、色々聞いてみてェもんだ」

 テオの言葉に、はっとリズは顔を上げた。

「ディーガン達は無事なのか」

 ああ、とテオが頷く。この遺跡の力を借りて、大地を奏したテオが皆助けたらしい。安堵に緩んだリズの肩を、そっとテオが抱いた。

「お前が村を追い出された理由も、俺が関係してるかもしれねぇ。ごめんな」

 間近で眉根を寄せるテオに、リズは精一杯微笑んだ。気にしてなどいない。

 笑みを返した碧眼がそっと近づく。リズは薄く唇を開いたまま目を伏せた。

 二人の影が重なる、その寸前。足元に置かれていた手燭の灯りは消えた。

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古都想歌 歌峰由子 @althlod

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