第三話
3.
自分こそ五百万の賞金首だと名乗ったテオは、後ろ手に拘束されて馬に揺られていた。
歳は自分と同じくらいだろうか。テオは改めて女盗賊を観察する。日々草原を駆けているとは思えない、白く透き通るような肌。少し長めの前髪と、毛先の揃わない襟足。艶やかな黒絹の髪の下から覗く眼は切れ長だ。硬そうな革製のロングコートは襟元から手首まできっちり覆い、肌が見えるのは顔と手先だけだった。不機嫌そうに寄せられる柳眉は涼やかで、問い質す時の声も澄んでいた。
連れて行かれる先は野盗の根城か、あるいは集合場所だろう。街道を逸れて草の海の只中を葦毛の馬は走る。その向こうから聞こえる不気味な風の悲鳴に、テオは居心地悪く身じろぎした。まるで、あの哭き声の元へ連れて行かれるようだ。
『泣歌が聞こえる夜は、外に出てはいけないよ。亡霊達に攫われてしまうから』
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。ずっと幼い頃、名も知らぬ村で聞いた戒めだ。
「気味のわりィ音だな……一体なんなんだ」
ぼそりと呟くと、肩を竦めた背中が言った。
「『泣歌』を……他所の者は知らないか。正体はすぐに分かる」
「泣歌?」
「ああ。かつてこの平原にあった、古代都市の亡者の声だと。そう村人達は呼んでいる」
そいつはもしかして、と思わず身を乗り出してテオは問うた。
「その泣歌の聞こえる夜に外に出ると、都の亡者に攫われる……とかいうやつか」
テオの真剣な声音を不思議ったのか、ちらりと後ろに視線を流して女盗賊は首肯する。マジかよ、と吐息のように呟いたテオは、降って湧いた希望に震えながら続けた。
「アンタ、この辺りの出身ならザーラって奴を知らないか。俺と同じ年頃の女だ。ガキの頃に、その『泣歌』の亡者に攫われちまった」
「……知らんな。私は捨て子だ」
しかし女盗賊はにべもなく切り捨てる。それに落胆の息を吐き、テオは遠く過去に思いを馳せて語り始めた。
「幼馴染だったんだ。ザーラがいなくなって、俺ァすぐにでも探しに行こうとしたが……養父が死んだばっかでさ、次の日にゃ俺も村を出ることになってた。無理矢理馬車に詰め込まれて、滅茶苦茶暴れた覚えがあらァ」
懐かしさと哀しみを混ぜた声音が、吹き荒ぶ風に流される。子供が少ない村で、よく一緒に転げ回って遊んだ。長い黒髪が自慢の美少女で、テオの碧眼をとても綺麗だと言ってくれた。養父が死んで遠縁の侯爵家に引き取られ、村の場所も分からなくなっていたが、いつかは必ず、探しに行きたいと思っていた相手だ。多分あれが、初恋だった。
「古代都市の亡者の声、というのは丸っきりの嘘じゃない。だが、子供を攫うような亡霊は存在せん。『泣歌』の正体は――アレだ」
言って細い腕が差す先で、低くなだらかな丘の麓にぽっかりと洞が開いている。そよぐ草の間から覗くその闇の端は、良く見れば石造りの人工物だった。
「何だ、洞窟か?」
「ああ。この地下に眠る古代都市遺跡――その入り口だ。この草原に幾つもあるこんな洞を、風が吹き抜けるとああいう音になる」
だから、と感情を殺したように平板で涼やかな声は続けた。
「その子供の行く先は推して知るべしだ。今の貴様とさして変わらん」
遭難か、野盗か、狼か。何にしろ魔術めいた話ではなく、どこにでもあるような不幸な出来事のひとつだ。そう涼やかな声が言った。
そうか、と吐息のように呟き口を閉じたテオを連れて、女盗賊は洞窟へと向かった。
「テオ様、すみませんっ!!」
アッサリと主を捨て、命乞いをして走り去るノークの背を、大した悲嘆もなくテオは眺めた。一人でちゃんと村まで行けるだろうかと逆に心配をしていると、密かにその背後を追って、野盗が三人ばかり出て行く。なるほど、無駄な殺生はしないというが、力に屈して義を通さぬ人間は信用しないということか。
「さてと……貴方は随分肝が据わってるのね。それとも何か奥の手があるのかしら?」
面白いモノを見るように、オネエ美丈夫な首領がこちらを見る。さあな、とテオは笑ってやった。笑い返した相手が一歩前に出る。
「申し訳ないのだけど、アタシ達もこれがたつきなの。悪く思わないで頂戴ね」
言いながらすらりと腰の剣を抜いた。口調の女々しさとは裏腹の、洗練された動きだ。テオは目を伏せ、静かに息を吸い込んだ。後ろに縛られた両手の指先を触れ合わせる。
場に緊張が走る。視界の端で、剣が煌めいた。テオは気合を入れ、目を閉じる。テオの首目掛けて剣が振り下ろされる――その時。
「待ってくれ」
水を打ったような沈黙に、リズの涼やかな声がこだました。
「すまないディーガン。一つだけ聞いてくれ」
そう言ってリズは、テオバルトとディーガンの間に入った。まあ、どうしたのォ? と怒った風もなくディーガンが小首を傾げる。ちらりとテオバルトに視線を流し、ディーガンを正面から見てリズは言った。
「この男は私の幼馴染だ。……どうやら、私を探してくれていたらしい」
そうだな、テッド。そう後ろを振り返れば、空色の双眸が驚きに丸くなる。後ろ手に拘束されたまま立ち尽くすテオバルトに向けて、若干柔らかな声でリズは続けた。
「私の名はリザーラだ。昔、村に居た頃はザーラと呼ばれていた。……髪の色が違って気付かなかった。憶えていてくれてありがとう」
リズの知るテッドは、鮮やかな金髪の少年だった。そういえば、金色の髪は成長すると色が濃くなるという。だが見事な碧眼は昔と変わらないな、と立派な青年に成長し、なお自分を覚えてくれていた幼馴染に微笑みかける。我ながら不器用なその笑みに、テオバルトの薄い唇がわなないた。
「どうするかはディーガンに任せる。だがもし出来るなら、テッドに死んでほしくはない」
改めてディーガンに向き直り、リズは真っ直ぐそう言った。
テオバルトの口から『ザーラ』の話が出た時、リズはこれ以上はないくらい驚いた。良くも取り乱さずに済んだ、と普段は厄介な己の鉄面皮に感謝したほどである。どう答えるかも悩んだが、自分を探してくれていたことは純粋に嬉しい。
周囲の仲間達がざわめく。己の頬に手を当て、あらまあ、とディーガンが眉を下げた。
「なんてコトかしら……そうね、急ぐ話でもないんだし、一晩皆で話し合いましょうか」
どこまでもリズに甘いディーガンは、そう言って皆に撤収の号令をかけた。
「ああ、でも彼の縄は解いちゃダメよ? リズは五歩以上近づかないこと! 良いわね?」
キリッと表情を引き締めて釘を刺し、ディーガンは何故か改めてテオバルトを睨んだ。
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