第二話
2.
予定通り、赤毛の男を拾い上げたリズは馬を走らせる。目指す先は近くの村だ。実はこの男に用はない。
リズ達はこの草原を縄張りとする盗賊団だ。草原の端を行き交う商隊を狙い、日々の糧を得ていた。だがリズらは、無用な殺生をしないことを旨としていた。それはリズらを率いるディーガンの方針で、捨て子であるリズ以外の団員は、どうやら野盗に身をやつす前から寝食を共にしてきた仲間らしい。
今回の狙いは珍しく金品ではない。
五百万ディルの大賞金首がこちらに流れていると、街で情報収集をしている仲間から連絡があった。人相書きにあったのは若い男二人連れで、そのうち亜麻色の髪の方がテオバルトという名の賞金首だという。
村の傍まで着くと、リズは後ろの男を器用に蹴り落とした。不意打ちだったらしく、鍛えていそう体躯の青年がアッサリと地面に転がる。髪の色こそ見事だが、実用一辺倒の質素な服は、何年着倒しているのかと思う位くたびれ薄汚れていた。
「あだっ!! 何すんだ!」
そう腰をさする青年を睥睨し、リズは素っ気なく言った。
「お前に用はない」
そのまま仲間の元へ帰ろうと馬の腹を蹴る。だが青年は慌ててリズに追い縋った。
「待て待て! ノークにゃ一体何の用があるってんだ!? 返答次第じゃ……っと!」
「返答次第ではどうすると?」
腰の剣を抜いて、リズは相手の首に当てた。破壊力よりも切れ味を重視した細身の剣だ。相手の剣は草原に取り残されたまま、今頃仲間が拾っていることだろう。
しかしリズが見下ろす先で、眦の上がった大きな碧眼が挑戦的に光る。空の最も高い場所のような、鮮やかな色の眼だ。綺麗だな、と心の端でちらりと思う。こんな色の眼の持ち主を、リズはもう一人知っていた。
「そうだな、テメェにゃ借り物するかもな」
言いざま青年がリズの剣をひっ掴んだ。強く引かれて体勢を崩す。得物を取られるとまずい、そう意識が剣に向いた。その隙を逃さず、青年が素早く馬の手綱を奪い取る。
「――っ!」
乱暴に手綱を引かれた馬の尻が跳ねる。バランスを崩したリズの片足が鐙から外れた。身体が宙に浮く。だが持ち前の身軽さで身体を捻り、リズはコートを舞わせて着地した。
男がリズに飛びついた。リズの手から剣がこぼれて揉み合いになる。体格差にものを言わせて組み伏せようとする相手を、リズは的確に間接を使って殴打する。肘で頬骨を抉れば、相手は負けじと胸ぐらに掴み掛った。だが、何故かふとその手を緩める。
一瞬隙が出来た。それを逃さず相手を振り払い、リズは身を沈めた。
男の鳩尾に、リズの見事な肘鉄が決まった。腹筋の硬い感触が肘の骨に響くが、さすがに相手もこたえたらしい。相手はくずおれ、仰向けに転がった。リズは大の字になった相手を油断なく見下ろす。素早く頑丈なブーツの踵で狙いを定めれば、気付いたらしい男は蒼くなって叫んだ。
「うぁあっ、待て降参だっ!!」
だが無慈悲なリズの踵は、非情に男の――世の男性全ての急所を踏みつけた。身体を九の字に折った男が、しばし声もなく悶絶する。
それを一瞥して踵を返したリズの足首を、しかし大きな手ががしりと掴んだ。
「てめっ……何、しやがんだっ……!」
「……頑丈だな」
ここだけは鍛えられない、もしもの時は容赦なく狙え。そう仲間に教えられていたが。鉄面皮の下で驚くリズを捕えたまま、燃えるような赤い髪の男は身体を引きずり起こす。
「――っか野郎、そういう、問題じゃねェんだよ……! ったく、流石に容赦ねーな……」
唸るような呟きにリズは少し眉根を寄せた。俯く相手はそれに気付かない。
「俺に、用がねェってのは何かの間違いだろうよ。ノークの所へ俺を連れて行け。……テメェらの用があんのは俺だ」
苦しげな息の下、しかし断言する声は自信に満ちていた。
「お前らの獲物はこの『テオバルト・グラール』。ペリドルト侯爵の遠縁じゃねーのか」
低く凄むように笑いながら、リズを離して半身を起こした男が断ずる。眉根を寄せたリズにニヤリと笑って胡座をかき、男は続けた。
「あのヒョロいのは俺の侍従だ。一応な。野郎の首を俺のだなんぞと持って行っちゃ、テメェら一生の赤っ恥だぜ。悪いこたァ言わねぇ、俺をおめーらの根城まで案内しろや」
リズは見下ろす相手を改めてとっくりと見た。健康的な肌色の精悍な顔立ち、燃えるような緋色のくせ毛。その下で闘志を燃やす双眸は、晴れ渡る空のような鮮やかな青だ。着ているものは粗末だが、立派に鍛えられた体躯と堂々とした雰囲気は、確かに亜麻色の髪の男よりも支配階級の子弟らしい。
更に男は笑みを深める。とっておきのカードを切るように。
「なァ、お嬢さん?」
蒼穹の双眸が、きらりと艶を帯びて光る。図星だった。バレないように装っているが、リズは盗賊団の紅一点である。おそらく揉みあった時に気付かれたのだろう。一気に身を硬くしたリズに、しかし男はへろりと脱力して凛々しい眉を下げた。
「気付かねぇで悪いコトしたな。酷い怪我はしてねーか?」
本気でいたわるような口調に少し戸惑う。
「女を本気で殴る趣味はねェ。アンタみたいな美人ともなりゃ尚更だ」
そう言って男――テオバルトは降参、と軽く両手を挙げ、どこか眩しげな表情でリズを見上げた。だがリズは油断なく相手を睨む。野盗団の仲間達はリズにも仕事を任せる代わりに、耳にタコができるほど「男という生き物の危険性」を説いていた。曰く、決して気を許すな、指一本触らせるな。何かされそうな時は、手段を選ばず全力で反撃しろ。特に女とバレたら五歩以上近寄らせるな。
険しい表情のまま二、三歩退いたリズに片眉を上げ、おどけてテオバルトが尋ねた。
「おっと、そういう情けは嫌いか? 剣を腰に、馬を駆る相手に言う台詞じゃなかったか」
その言葉には不思議と揶揄や嫌味がない。不思議な男だな、とリズは認識を改めながら、日頃思っていることを正直に口にした。
「有り難く感謝させてもらおう。身体能力に差が出るのは事実だからな。ただしそれを恩に着せて、下衆な要求をしない相手に限るが」
そういう輩は幾らでもいる。それは嫌と言うほど知っていた。低く答えて視線を強めたリズに対し、しかし目を丸くしたテオバルトは今度こそ愉快そうに笑った。
「っはは! ごもっともだ。……さて、ここでアンタの選択肢は二つだ。ひとつ、俺をこのまま殺して首だけ刈って帰る。ふたつ、俺を連れて帰り真偽を確かめてからノークの奴を解放する。ちなみに俺ァ、ノークのアホが解放されるまでは大人しく従ってやるぜ」
よっこらせ、と立ち上がり、テオバルトが挑発的にリズを見た。互いの視線が交錯し、その場がぴりりと張り詰める。しばしの沈黙の後、渋々リズは頷いた。
「乗れ。貴様のそのみすぼらしさに騙された我々の負けだ」
その言葉にテオバルトが己の服装を見下ろす。端が擦り切れ薄汚れた渋色のマント。その下に着ているのも頑丈だけが取り柄のような、ごわごわの麻と毛織物だ。飾り気など皆無の上に、一体何に遭遇してきたのか問いたくなるほど薄汚れている。まだしももう一人の、亜麻色の髪の奴がマシな格好をしていた。それで仲間もあちらが賞金首と勘違いしたのだろう。暫くそうして己を見回したテオバルトが、居心地悪げに頭を掻いた。
「あー……そりゃ申し訳ない」
無言で肩を竦め、リズは再び馬に跨った。
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