『白の闇』 コロナ時代のフラストレーションに向き合うヒント

笛吹ヒサコ

『白の闇』

 もし、目が見えなくなったら?


 そう考えを巡らせたことが、誰でも一度はあるはずだ。中には、目隠しをして実践した人もいるかもしれない。

 私の場合、夜中に目が覚めて、手探りで照明をつけ時刻を確認して、ふたたび寝ようと目を閉じたときやなんかに、ふと見えなくなるってこういうことかなとか考える。たまに、目が冴えてしまうこともあるけど。

 実際には、目を開けて暗闇を見ているし、目を閉じてもまぶたの裏が見えている。失明しても真っ黒に視界が染まるわけではないと知識として知っている。

 それでも、想像する失明は、暗黒の世界だ。

 たぶん、たいていの人が暗闇を想像してきたと思う。


 ある意味で、失明することは身近なことかもしれない。想像しやすい。たとえ的はずれだとしてもだ。


 だからこそノーベル賞作家(とは、本を買うまでしらなかった)ジョゼ・サラマーゴの『白の闇』を、私は紹介したい。


 車を運転していた男が、信号待ちしていると突然失明したのが始まり。それも、タイトルが示しているように、真っ暗になるのではなく、白くなる。本書で、たびたび語られる「ミルク色の海」に落ちたようになる。

 信号待ちしていた車の運転手が、「目が見えない」とパニックになったら、私は歩道で足を止めて何が起きているのか遠巻きに眺めるだろう。本書でも、私と同じような通行人は、いた。今、これを読んでいるあなたは、どうするだろうか。

 自分のことのように想像できなくても、誰か親切な人が「大丈夫ですか?」と声をかけたり、救急車を呼んだり、車をどうにか通行の妨げにならない場所に誘導できないか試みる人が集まってくる光景を、ドラマか映画のワンシーンのように思い描くのは難しくないだろう。


 この『白の闇』は、ありふれたことではないけれども、可能性は低くても、ありえなくない日常から始まっている。

 もちろん、これはほんの始まりであって、そこで終わるはずがない。

 この失明は、ものすごい勢いで周囲の人々に感染していく。私達の常識の範囲では、失明が感染するなんて、まず考えられない事態だ。本書でも、前代未聞のことだ。

 先ほどの運転手から感染すると知っていたら、始まりの光景はまったく違ったはずだろう。失明しても、死ぬわけじゃない。誰かの助けを借りれば、ちゃんと家に帰れる。ところが、その手を差し伸べた善意ある誰かも、失明してしまうのだから恐ろしい。

 失明が感染するとわかると、感染者と接触者は隔離収容されることになる。老若男女同じ部屋に押し込むような非人道的で乱暴な処置だ。とはいえ、原因不明で突然失明する謎の感染症の恐怖を考えると、納得できてしまうのが辛いところ。

 目が見えない患者同士で、支え合い助け合えることなんてほとんど無い。いかに私達の社会が見えることを前提にしているのか、嫌というほど思い知らされた。

 誰も見えていないんだからいいだろと、多くの人が気を緩めようものなら秩序なんてあっという間に崩れてしまう。ディストピアと帯にあったけれども、私は地獄だと思った。それも、あの世ではなく、現実だからこそ起こりうる地獄だ。

 ちょっとしたことでも誰かに怪我を負わせてしまったり。手加減もできないし、消毒や止血といった適切な手当てもできない。その怪我がもとで、死んでしまう。

 目が見えていなかったから。相手が先に手を出してきたから。まともな薬がなかったから。などなどと言い訳して正当化しなければならないほど、登場人物たちのほとんどが私達とさほど変わらない善悪と価値観を持ち合わせている。

 読んでいて、いたたまれなくなった。すぐにいたたまれないなんて同情する余裕なんてなくなってしまうのだけど。


 言い訳して正当化して、それでも良心ってなかなか無くならない。それが私達の人間性の一つだと、本書を読んで痛感した。それがいいことなのか、悪いことなのかなんて、私はわからない。きっと答えなんてないのだろう。

 コロナウイルス感染症の見えない脅威は、人間性や尊厳まで影響を与えているのではないだろうか。

 私達はコロナウイルスの脅威が完全に去る日まで、何かしらのことで「こんなご時世だからしかたない」と言い訳して正当化し続けると思います。そうしているうちに、解消する機会を見失ってフラストレーションは溜まる一方です。

 そうしたフラストレーションや精神的なコロナ疲れに向き合うヒントが、『白の闇』にはあると思います。


 人の尊厳を見失いそうになるくらい人々が堕ちるところまで堕ちたミルク色の地獄の先で、登場人物たちは善意と悪意の間で葛藤します。ともすれば、人間は皆クズだという胸糞悪い結末もあったかもしれません。ですが本書では、善意と悪意が絶妙なバランスで描かれてます。

 私が見つけたヒントのようなものを、この紹介文を読んでくれた人にもぜひその目で読んで見つけてもらいたいです。

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『白の闇』 コロナ時代のフラストレーションに向き合うヒント 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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