第50話 痛みの涙ではない

 サマンサは泥まみれになりながら、島を二つに隔てるベニヤ板の下、かつてはったんが開けた穴をくぐり抜けあひるランドに戻った。

「サマンサ、生きろ!」

 最後に聞いたはったんの声だ。

「サマンサ、逃げろ・・・」

 サマンサはつぶやいた。それは紛れもなく敗残者の声だった。


 アヒル防衛大臣は裏切った。もうピジョーのアパートには戻れない。どこにダニの諜報部員や旧政権の残党たちが潜んでいるか分からない。サマンサは身を隠しながら行く当てもなくヨタヨタと街を彷徨さまよっていた。


「サマンサ首相だ」

 声が聞こえる。アヒル防衛大臣と手を組んだ残党たちかも知れない。彼らがなにをたくらんでいるかもはっきりしない。しかし自分たちを裏切り、はったんを死に追いやったことに間違いはない。


「首相、大丈夫ですか?」

 恐る恐る顔を上げるとそこにはドバトやカモメなど長くこのあひるランドで貧困にあえぎ迫害を受けてきたものたちの姿が見えた。

「志願兵だ。志願兵のみんなだ」

 サマンサは弱々しくも、そうささやいた。志願兵たちは羽根が傷つき飛べなくなったサマンサを背負い隠れ家にしている兵営に運んだ。



「アヒルは結局、アヒルにすぎない」

 簡易ベッドに寝かされるサマンサに志願兵が言う。

「はったんは、死んだのですか? 首相」

「分からないが恐らくそうだろう。枝子はそういう人間だ」

「すぐにでも仕返しをしなきゃ。また俺たちがアヒルのいいようにやられてしまう。軍隊はまだまったく整っていないし、残党たちの数も少ない。ダニの諜報部員なんかただの連絡係で、ものの数ではない!」

「待て、待ってくれ。俺はアヒル防衛大臣に会いたいんだ」

 サマンサが言う。しかし何羽かのドバトを先頭に志願兵たちが兵営を飛び出して行った。


 志願兵たちは、サマンサ率いるあひるランド新政府を狂信的に支持している。アヒルの迫害から自分たちを解放してくれたのは、サマンサでありピジョーであり、そしてモグラのはったんである。

 彼らはピジョーのアパートでひとり窓の外、遠くを眺める防衛大臣を見つけた。

「裏切り者が逃げもしないで、あんなところにいるぞ!」

 志願兵たちはアパートへ突入し防衛大臣を縄で縛り上げた。抵抗は一切しなかった。

「この「しお」をサマンサに渡してくれ」

 あひる防衛大臣はピジョーの「しお」を志願兵に渡した。

「なんだ、こんなもの!」

 志願兵は箱を投げ捨てた。縛り上げられながら大臣は懇願した。

「ピジョーの「しお」なんだ。ピジョーが流した涙の「しお」なんだ! お願いだ、サマンサに渡してくれ」

 縄で縛られ、首輪を掛けられてアパートから引きずり出された。

「お前の涙もしおにしてやる」

 志願兵たちは大臣を何度も殴りつけ蹴り上げた。防衛大臣の頬を涙が流れる。痛みの涙ではない。

 息絶えたアヒル防衛大臣の死体を志願兵たちは川に投げ捨てた。



 サマンサは兵営でアヒル防衛大臣の最期を聞き、ピジョーの「しお」と大臣の「しお」の箱を何も言わず受け取った。

 志願兵らは、命をかけてサマンサを守ったモグラのはったんの勇姿があしらわれた軍旗を振りかざし街を行進して気勢を上げている。


 サマンサはその様子を眺めながら思っていた。

「俺たちドバトもカモメも、生きているうち、さんざん踏みつけて笑いものにしていたモグラだぞ、はったんは。死んでから英雄に仕立て上げて一体、なんになるんだ。何の真似だ。はったんはそんなことを望んではいなかった。

 英雄になったつもりでいるのは自分達じゃないのか。彼はただ、地面の下で生まれ、地面の下で暮らし、地面の下で死んでいった。踏まれても蹴られても、犠牲を買って出た」




(つづく)

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敗残者たち(旧 柿太郎さんの蚤退治) しお部 @nishio240

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