第49話 空を飛ぶ、はったん

「まずいぞ。援軍が来ない! 何かあったのかもしれない」

 サマンサがはったんに言う。はったんは静かに答えた。

「すぐ、逃げよう」

 近づいてくる多くの蚤の足音が下水道を伝って穴ぐらにまで響いている。はったんははじめて蚤ヶ島に来たとき被っていた黄色のヘルメットと丸いサングラスを付け、サマンサの手を取って下水道を駆け出した。

「きっと、みんなばれてたんだ。やっぱりみんなだましてたんだ。サマンサ急げ!」

 数え切れないほどの蚤やダニたちがこちらに向かってくる。どんどん近づいてくる。サマンサはドバトだ。歩くのも走ることも苦手だ。しかも薄暗い下水道のなかで足取りは覚束ない。所々にあるマンホールを開けて外に出れば飛べるが、そこで撃ち落とされる可能性は高い。しかもほとんどのマンホールはすでに外側からコンクリートで固められ、開かなくなっていた。あひるランドに向かってこの下水道を走るしかないのだ。


 サマンサははったんに引きずられながら言った。

「もう、ダメだ。蚤が足下まで来ている。はったん逃げてくれ!」

「ダメだ。サマンサ逃げるんだ。生きるんだ」

 島を隔てるベニヤ板が見え始めたとき、はったんは力の限りサマンサをベニヤの国境に向けて投げた。

「その穴をくぐれ!」

 はったんはそういうと追いかけてくる蚤たちの方を振り返った。枝子もいる。あひるランド旧政権の首相バオバオも血相を変えて叫びながらこちらに向かって近づいてくる。

「待て、アヒル殺し!」


 はったんは下水道の通路に、必死で穴を掘った。通路を横切るように穴を掘った。これで蚤たちの前進を止めようというのだ。やつらをここに落とそうというのだ。モグラといっても、固い土をく手の皮膚は破れ、血が噴き出す。痛みに顔がゆがむ。はったんは掘り続けた。親の代、祖父母の代からしいたげられてきた。地中で暮らす、その一点のみで踏み付けにされ生きてきた。はったんは力の限り土を掻いた。


「これが俺の本来の姿だ。おれはモグラなんだ」

 サマンサを夢中になって追いかける蚤たちが次々に穴に落ちる。穴を飛び越えようとする蚤にはったんは飛びつき、しがみつき、穴に放り込む。

「サマンサ、逃げろ! 」

 もう一度、叫ぶ。

 枝子や旧政府の首相バオバオにもはったんは食らいつき穴に突き落とそうともがく。しかし相手は人間でありアヒルだ。蚤の数百倍の力がある。もちろん元来モグラのかなう相手ではない。しかしはったんは二人にみついて決して放さなかった。

「サマンサ、生きろ!」

 二人に噛みついたままはったんは自分が掘った穴に身を投げた。遠くではったんを呼ぶサマンサの叫び声が聞こえた。

「これが俺の仕事だ。出来ることはこれだけだ。なにも恨んじゃいないよ。みんな生き物なら、生きるための悪は許されるべきなんだよ」

 はったんは気を失った。



 翌朝、あひるランドと蚤ヶ島を隔てる国境は再び固く閉ざされた。

 今日は大統領官邸前の広場で公開処刑が行われるという。そこには枝子と政府の幹部たち、それにあひるランド旧政権の首相アヒルのバオバオもいた。

 バオバオはモグラのはったんを串刺しにし、集まった市民たちに笑いながらひととおり見せて回った。

「こいつが我々アヒルを何万となく、なぶり殺しにしたあひるランド新政府の幹部です! ご覧のとおりただのモグラです。はははっ! 生き物の命なんて屁とも思っていない悪魔のなかの悪魔であります」

 観衆は串刺しにされたはったんにツバを吐きかけ石を投げつけた。

「悪魔! 死んじゃえばいいんだ」

 かつては貧しさにあえいでいた蚤たちが叫ぶ。

「そのモグラに火を点けろ!」

 小学生くらいの子どもの蚤を連れた母親も叫んでいる。

 はったんに火が点けられた。火を点けたのは貧しさに凍えている一匹のダニであった。徐々に炎を巻き上げ始めたはったんをそのダニに差し出して枝子が言った。

「この焼きモグラをあなたに差し上げますよ。温まって下さい」


「所詮俺はモグラだ。モグラに過ぎない。一番下の下の、その下の生き物に過ぎない。地面の下しか、生きても死んでも居場所はないんだな。あひるランドではみんな空を飛んでいたなぁ。俺も空、飛んでみたかったな・・・」

 ガマの油売りモグラのはったんは煙になり大空を自由に飛んだ。




(つづく)

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