「1984」で考える新型コロナウイルスとの共存
矢向 亜紀
「1984」 ジョージ・オーウェル著
言わずと知れたSFの名著で描かれるのは、確かに、いくらか誇張されたディストピアの世界だ。
言論統制、思考統制、価値観の統一化、過去の改竄。
「こんな世界に生まれなくてよかった」
読み手はそう思いながらも、どことなく妙な心地になる。
「本当に、今自分が生きている世界は、“こんな世界”ではないんだろうか?」
古典作品は、現代に生きる私たちにとって、ある一定の示唆を与える。(初版発行1949年の本作も、SFの古典と表現して差し支えないと思いたい。)新型コロナウイルスが流行し、自宅で過ごす時間が増えた中。何かの示唆を、救いを求めて、本作を手にした人も少なくないだろう。
この「1984」もまた、現代からすればだいぶ昔の年号を冠に持ちながらも、
「こんな未来は嫌だ」
「でも既にその気配は漂っている」
と、私たちに危機感を与える。
新型コロナウイルスの流行は、世界中を巻き込む事態に陥った。
多くの人にとって、これは、恐らく生まれて初めて感じる“世界規模でのウイルスの流行”であり、近代化した便利な日々の中で命の危険と隣り合わせで生きる、恐怖を味わう経験となった。
街は閉鎖され、人と会えなくなり、相手は目に見えない未知のウイルスで、毎日大量に誰かが倒れ、正しい対策は分からず、過度な自粛を強要する意見が暴走し、心まで病んでいく。
そして、素晴らしい行動をする誰かを称えることが称えられる。輪を乱す誰かがいれば、表立って非難しても、今なら多くの人が共感してくれる。
「1984」には、圧倒的な支配者、称賛するに値する存在、「ビッグ・ブラザー」がいる。物語の舞台となる、核戦争後のオセアニアを支配する独裁者だ。
街の至る所に、「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」の標語と、彼の巨大な顔が描かれたポスターが貼られている。思考警察は住民を監視し、不都合な存在は音もなく姿を消されるか、場合によっては公開処刑だ。
過去の出来事は簡単に記録を改竄され、新しく開発された単純な言語に、人の思考は引きずられる。生活は苦しいが、「何もかも順調だ」とメディアは言う。
そして、毎日決められた時間に、人々は一斉に「二分間憎悪」を行う。人民の敵として指定された者への怒りを、罵詈雑言を、ありったけの声で叫ぶ。
読み手の私たちは、住民たちの光景を異様に感じる。
だけど、ほんの少しだけ、思う。
「今の私が生きる世界に、似ている」と。
新型コロナウイルスが流行して、私たちは一体、なにをしただろう。もちろん、大人しく家に居て、手洗いをし、家族と支え合った人がほとんどだろう。でも、それだけではない。
増え続ける死者の数を、まるで映画でも見るかのように、指の隙間から眺めていた。回復した人の隣に座るのは嫌だった。決まった時間に医療従事者に拍手を贈り、「でも家族じゃなくてよかった」と思った。県外ナンバーの車に卵をぶつける人がいた、心のどこかで「仕方ない」と思った。
そのどれかに、全く当てはまらない人なんて、いないだろう。それなのに、少しでもそう思ったと口にすれば、一斉に非難される。
誰も彼もが、お互いを監視している。ひとりひとりが、ビッグ・ブラザーのように、お互いを見ている。違反していないか、不都合ではないか。少しでも隙があれば吊し上げ、日々の鬱憤をそこにぶつける。
確かに「1984」は、誇張されたディストピアの話だ。幸い、私たちの歴史における1984年はあんなものではなかったし、現代には自由も優しさも暖かさもある。情報も食事も手に入る。
だけど、残念なことに。「1984」は、誇張されたものだった。言論統制、思考統制、価値観の統一化、過去の改竄。その要素が、現代においてゼロになったとは言えない。思い当たる節がある。誰もが後ろめたい気持ちになる。だから居心地が悪い。それなのに。それだからこそ、読み進めてしまう。
危機的状況下にあると、人の本性が表出する、と人は言う。団結したり、怒り狂ったり、争ったり、励ましあったり。
しかし、新型コロナウイルス流行は、危機ではなく日常に変わりつつある。まるで「1984」のように、危機は日常になりつつある。
本性を曝け出して、慌てふためく春は終わった。これからは、何が最適なのか正しいのか、無理がないのかを、自分の日常に置き換えて考えて行動する、試行錯誤の時期だ。
考えて試して、失敗したら、また考える。自分で考えなければならない。自分の日常は、人生は、自分だけのものだ。
そのすべてを出来なくなり、諦め、なにもかも誰かに委ねようと思ったその瞬間。
私たちは気づくのだろう。
あの「1984」は、さほど誇張して描かれたわけでは、なかったのだと。
「1984」で考える新型コロナウイルスとの共存 矢向 亜紀 @Aki_Yamukai
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