雪を溶く熱 後


 しんと降りつもる雪に足が取られる。夜の雪山を歩き続けた三人の男共は暖を取れる支配下に落とした村へと足を早める。 男達は人とも思えぬ言葉現せぬ会話を続けひとりは下卑た笑みを隠せない。


 奴等は「鬼助衆おにすけしゅう」を名乗る山賊組織の若い衆だ。この雪山一帯を十数年と支配下におく鬼助衆は砦と呼ぶ住み家を拠点にし、雪山に住まう村々へと恐怖を撒き長年所有地として落としている。落ちた村々はその下部へと略奪の手を伸ばす中継拠点として使われており、奴等の向かう村は砦に近い最初の休憩処と呼ぶ場所だ。奴等は山賊仕事の前に骨を休めるのだ。その際に、身の毛もよだつような行為も平然とやってのける外道どもだ。



 休憩処村が見え始めると、ひとりの男が歩いて来るのが見えた。知らぬ風貌、気に入らぬ面構え、よそ者ととらえて間違いは無い。鬼助衆のひとりがなまくら刀を抜き、近づく。

「おう、おまん誰やっ。ここが鬼助の縄張りわかってここに居るんか? ああっ!」

 刃を男の髭の繁る顎に当て威圧に脅す。後ろの二人も汚く笑いながら近づく。馬鹿な鴨がやってきよった。その程度の認識だ。

「鬼助のもんか?」

 男は、怯みも脅えもせず潰した声で呟く。

「ああっ! 当たり前やろがっ!」

 その恫喝の言葉を聞くや、男は鬼助衆の刀持つ腕を瞬時にひねり取る。手から零したなまくらを足蹴りに掴むと無防備な目の前の鬼助を斜上に肘突きあげ、ひと息に切り裂いた。鮮血が雪舞う空に散る。仲間が血のじる呻きと共に仰向けに倒れゆくのを呆け見つめた右手の鬼助衆は男が自身の眼前で刀を振り下ろすのをただ見つめた。

 袈裟切られた鬼助は雪野にくず折れ雪の白を赤に染め汚した。

「ひ、ひいぃぁっ」

 目の前で仲間が一瞬に切り殺され残った鬼助衆は腰を抜かす。着物袖で刃濡れた血を拭き取りながらこちらに近づく男の感情の見えないどんぐり眼を戦意の喪失した眼で見上げた。

貴様きさんらの砦はどこや?」

 男の潰れた声が地獄に住まう鬼のように聞こえ歯を鳴らすことしかできない。

「どこや?」

 足になまくらが容赦なく突き立てられ、悲鳴が上がる。鬼助衆は痛みと恐怖から逃れるために砦の場所を吐き出した。

「……ほうか」

 男は短く呟くとなまくらを引き抜き、見下ろす。

うたやんかっ!」

 鬼助の戯れた命乞いは耳にもかすらない。男は刀を胸へと突き下ろし横に捻り切ると心の臓を抉り止め、血に濡れた手を放した。もうこの刀は使い物にはならぬ。


 男、秋人は奴等が腰据えた刀と弓矢を奪い担ぐと鬼の如き面で歩みを進めた。








 しんと降る雪が強まるのを怨めしく見つめる。鬼助砦の周りを見回る若い衆二人は手を擦り、暖とも取れぬ気休めを続けながら歩き回る。ここいらで鬼助衆の砦に手を出そうとする輩なぞいないだろう。だが、略奪の羽振りよい鬼助衆は周囲からの恨みも多い、万が一という言葉もある。男達は見廻りにも気は抜けない。

「ん?」

 妙な音が聞こえた気がし、ひとりが立ち止まった。

「どしたんや?」

 もうひとりの男は気づいていないようで、気のせいかと首を傾げるが、また鈍い音が聞こえた。

「なんやおかしい。ちぃと確認して来るきぃ」

 手を上げて男は音のする方に向かう。耳は良いほうだ二度の聞き間違いはないだろう。

「なんや?」

 慎重を期して近づいてみると降り積もる雪肌の地面に真新しい溝ができている。溝の中には妙な小石が見える。それが幾つも不自然に、雪溝を開けている。男の中の警戒心が膨れ、仲間を呼ぼうと声を張ろうとする。

「っっーーーー がっ

 瞬間、喉に鋭い痛みが走り身体が仰向けに倒れた。訳がわからずさ迷わす手が触れたのは一本の矢。それが自身の喉元に生えてーー理解すると同時に男の意識は一瞬の額への違和感と共に、閉じた。


「……」

 闇に溶け込み塀上に立つ秋人のかじかんだ指で放った矢は額を撃ち抜いた。力の加減がうまくゆかず張りの甘い弓の弦が切れた。元々奴等から奪い取ったもの秋人は武具の役割に期待もしていない。

「おい、どしたんやっ」

 もうひとりの見回りが異変に気づいて走り寄ってくる。助けも呼ばず不用意に近づく男を塀上から飛び降り真上から刀を首元に突き下ろし、始末した。


 ――――いくつ始末したか。知らんでええ。腐った外道に心はいらん。






 砦の中央に構える山賊にしては豪奢な本宅で鬼助衆頭領「鬼助おにすけ 平朗へいろう」は妙な違和感に襲われ、眠りから眼を覚ました。

「……」

 今日はバカに静かすぎる。自分が就寝したとしても。子分どもの乱痴気とした騒ぎが止むような事はこの砦を築いてから一度も無い。異変を感じるには十分だ。

「誰かおるかっ、おらんのかっ」

 一応の声を掛け、頭領は禿頭の上側に置いた気に入りの無駄に飾られた刀を掴み、趣味悪い大名を真似た寝室から出た。

「っっ!?」

 しんと冷たい廊下へと出ると、ゴツゴツとした妙なものが転がっているのに気付き眼を凝らした。

 それは血濡れた子分の死体。

 眼を剥き、刀を手に辺りをぎょろぎょろと見回す頭領の背に

「おまんが親玉か?」

 喉を潰した声が冷たく語りかけてきた。慌て振り向く頭領が震え、威勢を掛けて声を張る。

「な、なんやっ貴様きさんっ」

「こんな男やったとはのう」

 どこか失望にも似た低い呟きと共に一閃に抜かれた刀は頭領の喉笛を切る。声をあげることも無くその醜い身体を廊下に転がせた。

「こんなんに、苦しめられとったんか……ワシらは」

 なんの感慨も湧くことの無い遺骸に用済みな刀を突き立てると秋人は鬼助の本宅を歩き回った。



 秋人は、燃え盛る炎を背に雪で血濡れた顔を拭い洗った。幼き日より憎み続けた山賊どもの根城が、燃え落ち、煙が天を焦がし、昇る。秋人はただ虚しくそれを見上げた。


しんと降る怨み雪、我が心熱に溶け、虚しき夜天に散り落ちる。


 あんなにも心待ちとしたのに、奴等はなんの手応えも感じぬ、弱者であった。弱者が狭い世の中で、哀れな故郷を苦しめていた、それだけだった。故郷の大人達もまた、言いなりな弱者だったのだと、これ以上の世の地獄を見続けた秋人はそんな風に感じてしまった。だが、村の大人達を弱者と、哀れに侮蔑する心を改める気は無い。奴らの非道を受け入れ、か弱き者達に犠牲を強いてきた彼らもまた、秋人にとって外道と変わらんのだ。


ただ……ただ子どもがきの頃よりただひとり助けたいと願った想い人を救う事ができた事に後悔は無かった。

 

 夜天の世がそろそろと明けるだろう。秋人は空を見上げ、子どもの頃の美冬の無垢な笑顔を思い浮かべた。

(いまの美冬どのの笑顔を……一度は見たかった)

 その細やかな願いも叶わぬ事を、秋人は知っている。

 背後に僅かな「影」の気配を感じた。

「来おったか」

 秋人は振り向かず髭を撫でた。

「秋人。忍務を捨て逃げおった罪。わかっておろうな」

 耳に囁く聞き知った声に、秋人は腹の底から笑い意思を告げた。

「はっはっはっ! 構わんっ! ワシはこの日のためだけに、力を欲しただけじゃあっ」



 空を切る風音が雪溶かす炎の圧にかき消えた。








 明朝、鬼助砦の方角から天に昇る煙の帯を村人達は唖然と見つめた。何が起きたか解らぬと。

 ただひとり、美冬だけが事を察した。秋人さまがやってくれたのだと。私達を……私を、救ってくれたのだと。

 美冬は瞑る目に最後に見た秋人の背を思い浮かべ一筋の涙を流し、彼へと胸に咲いた想いを馳せた。



   ――――了――――






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雪を溶く熱 もりくぼの小隊 @rasu-toru

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