雪を溶く熱

もりくぼの小隊

雪を溶く熱 前


 しんと降りつもる雪をかんじきで踏みかためる。夜の雪山を歩き続けたひとりの男は眼下に映る小さな村を見下ろし、雪にまみれた髭面を撫でて歩を進めた。


 誰かが強く戸を叩く音に、村娘が身を震わせ囲炉裏に火をくべる手を止める。

 来たかと。

 村娘は逃れられない運命さだめと観念し震える手で、戸を開けた。

「ぇ……ど、どちらさんで?」

 その男は、村娘が恐れる者共ではなかった。雪にまみれた笠と簑を着こんだ髭面の見知らぬ男が立っている。やつらでは無いという確証も無い、ただ、渋く厳しい顔の中にどこか、優しげなどんぐりのようなまなこを懐かしいと感じた。

美冬みふゆどのか?」

 喉をり潰した声が村娘の名を呼ぶ。彼女は懐かしいどんぐり眼に、幼き少年の顔を重ねた。

「ぁ、秋人あきひとさまなので?」


 それはこの村を去っていった二つ上の幼なじみ「秋人あきひと」であった。美冬の狐のように細い目が徐々に大きく見開かれ、しばしその精悍な髭面を見つめた。






「生きて、お会いできるとも、思いませんで」

 新たに囲炉裏の火をくべて、逞しくなった幼なじみを見つめた。秋人はかじかんだ手を指先から揉みほぐしながら口を開いた。

うか」

 子どもの時よりも口数の少ない潰した声音。目の前にいるのはもはや懐かしき少年では無く、美冬の眼には別人な男と映る。そう思うと、身が震えて、恐ろしい。けだものの記憶がよみがえる。

「な、何をしに帰って来られたかは、わ、かりま、せぬが、この村は、秋人様も、し、知っておいでで」

 口がうまく回らない。寒さからではない。やつらに刻まれた恐怖が言葉を遮ってしまうのだ。その姿を黙って見つめる秋人は膝立ちに美冬の側へと擦り寄り、そのあかぎれた手を掴み引き寄せようとする。

「お、お許しをっ、お許しくださいましっ!」

 美冬の脳裏にけだものどもの恐ろしく気色の悪い顔が浮かぶ。雪の上で無理やりに絡まされた望まぬ熱の交わり。

抵抗することも許されず大人達の助けもない。

美冬の初雪のように真っ白な優しい心が無惨に溶かされたあの日……。

そこよりくり返された、恐怖と熱の刻みは目の前の幼なじみもけだものと認識してしまう。

彼もまた同じ男なのだと絶望に色を濡らす。

「すまぬ……」

 子狐のように脅える美冬の姿に、秋人は指先も冷たい彼女の手を離し、自身の硬い石のような手を見つめ拳を強く固めた。

「抱きとめる事も……」

「ぁ、秋人さーー」

 やつらと違い欲望の色熱をあげぬ秋人を見つめ、美冬は恐る恐ると、その悲しげに震える拳に、手を触れようとする。

「ーーっ!?」

 突然、家の戸を強く叩く音がする。美冬は手を止めて唇を戦慄かせる。

「美冬っ開けいっ、開けんかっ」

 その嗄れた老人の声は村長の声だ。やつらではないことに安堵するもその剣幕に不安がよぎる。美冬は秋人の存在を悟られぬように戸を、そっと短く開けた。

「な、なんでしょう、か」

 不自然に戸を少ししか開けぬ美冬に村長は目尻のシワが深い眼を訝しくし口を開いた。

「さっきここに知らん男が入ったっちゅわれた聞いたが、ホンマか?」

「っ……そんな、ありえへん」

「なんやその間、その眼、まさか。中に入れえっ」

「な、なんも、なんもありまへん。堪忍してくださいっ」

「やましいことがなけりゃ問題ねえはずやっ。ええから開けいっ!」

 村長は無理やり戸を押し開き中へと踏み込む。

 もはやどうしようもできぬ。美冬は固く目を瞑り、身を震わせた。

「なんや、ホンマに誰もおらんな。疑ごうて悪かった」

「へ……?」

 村長の以外な声に美冬は目を開けて部屋の奥に目をやった。秋人の姿はどこにもなく、ただ火が弾ける音がした。美冬はまばたきをしていなくなった秋人を無意識に眼で探す。気配すらも、感じる事はできなかった。

「どしたんや?」

「な、なんも」

 村長の訝しげな声に、美冬は首を横に振った。

「すまんかったな美冬……ただ、言うとくぞ「鬼助おにすけ」の男以外とはーー」

「ーーわ、わかっとります」

 鬼助おにすけという言葉に皮の破れた唇を噛む美冬にかまわず村長は肩を強く揺さぶり念を押し続ける。

「あいつらは他の男の臭いは許さん。なぁ、辛いやろがわかってくれ。ここ数年はお前達まんらのおかげで村のもんの口に入る飯の回数もちぃと少しは増えた。無意味な暴力も勝手なみかじめもなぁ減ったわ。数人貢げばやつらは機嫌を直す。村のもんのために眼を瞑れば、村の秩序も守られとるんやわかるな、なぁ、わかるな? わしの孫娘やてーー」

「ーーわかっとりますって!!」

 美冬は耳塞ぎ荒げ叫んだ。聞きたくもない村の現実にその場にうずくまり震えた。その姿に吐き出し続けようとした言葉を呑み村長はのっそりと戸の前まで立つと。

「鬼助の若い衆が仕事前に寄るんわ変わらん筈や。粗相の無いように……頼むで」

 残酷な言葉と共に戸を固く閉じた。

 美冬は固く塞いだはずの耳に侵入する絶望の言付けに肩を、震わせた。

 またあの気色の悪い熱の交わりを受け入れなければならないのか。早く、まともな感情なぞ溶けてしまえば、あぁ、火を、火をくべねば、奴等を暖めるための火の準備を。

「変わらんようや、こん村は」

 突然背後に気配を感じ美冬は恐る恐ると振り替える。いったい今までどこにいたか。そこには秋人が立っていた。

「美冬どの……ほうか」

 秋人はどんぐりの眼で美冬を見据え。これ以上は言葉を接ぐんだ。十分すぎるほど残酷に、いまの美冬の現状がわかってしまう。秋人は何も言わずに身支度を済ませ一度と振り向かず美冬の前から静かに去っていった。美冬はその背を見つめる事しかできなかった。




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