第90話 クランクアップからはじめよう


「三……二……一……アクション!」


合図と共に美術館の門から現れた杏沙を、僕はカメラを手に追いかけた。


 ただバス停に向かって歩いているだけなのに、ビュアーの中の杏沙は僕のイメージ通り、とびきりの魅力を放っていた。


 いいぞ七森、と僕は心の中で呟いた。さすがに長い物を求めることはできず、イメージビデオ風の短編にはなったが、それでも僕にとっては映画一本分の価値があった。


 やって来たバスに杏沙が乗り込んだところで、僕はカメラを止めた。僕も次のバスに乗って後を追い、懐かしい場所で撮影を再開することになっているのだ。


 バスを待ちながら僕は何度も杏沙の姿を再生し、この数週間に思いをはせた。


                 ※


 今朝、七森博士から来たメールによると『収容ベース』に閉じ込められていた街の人たちの意識は百パーセント、元の身体に戻ったという。


 ただしそのやり方は当初、予定していたものとは微妙にことなる形になった。僕の意識を戻したときに起きたあるハプニングが、その後の作業の方向性を変えてしまったのだ。


 自分の身体に戻った時、僕が出逢ったのは眠りにつこうとしている『僕』だった。杏沙のことがあったので、あえて『僕』を吸いださないまま、自分の身体に戻ったのだ。


 僕の中にいた『僕』は弱弱しく、今にも消えそうに見えた。『僕』は入ってきた僕に気づくと、「戻ってきたんだね……僕はもう消えるよ」と言った。やがて『僕』は闇に溶けるようにいなくなってしまった。『僕』がどこにいったかは、僕にもわからない。


 このことを目覚めた僕が博士に報告すると、博士は驚いたような顔になって「これは考え方をあらためなければならないぞ」と言った。


 つまりはこういうことらしい。『アップデーター』たちは侵略の仕方をしくじったのだ。


 居心地のいい身体を手に入れるため、奴らは街の人たちの意識を抜き取った上で身体を乗っ取った。しかしそのあまりの快適さに奴らは次第に攻撃性を弱め、『人間』に近づいていったのだ。


 一方、『収容ベース』に閉じ込められた街の人たちは、身体を奪われた怒りを夢の中でたぎらせ続け、逆襲のチャンスを待ち続けていた。

 数週間の間にすっかり弱くなった侵略者たちは、故郷を取り戻そうと怒りに燃えて戻ってきた元の持ち主にあっさりと倒されてしまった。


 ……つまり、今度は僕ら自身が『侵略者』となって自分自身を乗っ取ったのだ。


 このことを知ってから、僕は自分自身について考えるようになった。……もしかしたら、僕だってもとはどこかからやってきた『侵略者』のなれのはてなのかもしれない、と。


 戦いに勝って生き延びるということは、敵を全滅させることではなく、敵だったものたちと一体化して共にうまくやっていくことなんじゃないか?そう思うようになったのだ。


 僕らは『僕』や『杏沙』が、今どこにいるかを知らない。でもそれでいいんじゃないかとも思う。なぜなら、中身がどうであれ、ビュアーの中の杏沙はとても魅力的だからだ。


                 ※


「あ、来たみたい。……遅いよ新ちゃん。主演女優を待たせるなんて、監督失格だよ」


「しょうがないだろ、バスが定時に来なかったんだから。見学者のくせに口出しすんなよ」


 喫茶店のテーブルで杏沙と一緒に僕を迎えたのは、妹の舞彩だった。


「お前がどうしても新しい主演女優を見たいっていうから、特別に許可したんだぞ」


「うふふ、それは得したと思ってるよ。まさかこんな美人だなんて、やるじゃない」


 舞彩は僕の身体を小突くと、向かいですましている杏沙をうっとりと見つめた。


「さあ、続きを撮るぞ。ソーダを新しいのに変えて、舞彩はさっさとどけてくれ」


 僕がそう言って追い払う仕草をすると、突然、杏沙が「ねえ、待ってる間に思いついたことがあるんだけど」と言った。


「思いついたこと?」


「せっかくだから、男の子も登場させたらいいんじゃない?」


「このショートムービーにかい?だってコンセプトは『街と少女』だぜ?」


「いいじゃない。『街と少女』から『少年と少女』に変更すれば。……だめ?」


 杏沙に笑顔で言われ、僕は何も言えなくなった。……で、相手役はどうすんだよ。


「まあ、百歩譲って変えるとして、相手役は?後日改めて、なんてのはごめんだぜ」


「いるじゃない、ここに。まあ、青春ドラマよりホラーSFが似合いそうな子だけどね」


 杏沙がしれっとして指さしたのは、カメラを手に突っ立っている監督――僕だった。


「おい、僕は撮影っていう仕事があるんだぜ。僕が出演したら、誰が映画を撮るんだよ」


「――新ちゃん、私が撮るよ」


 そう言って自分を指さしたのは、舞彩だった。


「お前が?映画って難しいんだぜ?ちゃんと撮れんのかよ」


「家族旅行ではいつも私が撮ってるじゃん。……さ、いいからそこに座って」


 舞彩はそう言うと僕の手からカメラをひったくり、杏沙の向かいに強引に座らせた。


「変えたのはいいけどさ、演技とか台詞はどうすんだよ。こんなの絵コンテにもないぜ」


 僕が小声で不平を漏らすと、杏沙が「アドリブよ、アドリブ」と悪戯っぽく返した。


「行くわよ、お二人さん。三……二……一……アクション!」


 ちぇっ、こいついっちょまえに僕の真似してやがる。


「……ここ、気に入ってるの?」


 僕は特に設定もないまま、無難な台詞を口にした。


「――そうよ。いけない?」


「中学生なのに、洒落たとこ知ってんだな」


 そこまで言って、僕は後が続かなくなった。畜生、役者って意外に難しいんだな。


「……ねえ、もし私が『侵略者』だったらどうする?」


 杏沙はいきなり予想外の台詞を口にすると、身を乗り出して僕の顔を覗きこんだ。


「そうだなあ……まずはオーディションをするかな」


「オーディション?」


 僕の答えが予想外だったのか、杏沙は目を丸くした。


「君が新しい物語のヒロインにふさわしいかどうかを、見きわめたいんだ」


「……もし、ふさわしくなかったら?」


「次の物語でお会いしましょう、かな。もしふさわしいと感じたら……」


「感じたら?」


 僕はそこでいったん言葉を切ると、杏沙の目を見返した。もちろん、答えは一つだ。


「そこで僕の仕事はおしまいさ。この物語は君の物だ。好きなだけ『侵略』していいよ」


 僕の返事に杏沙がとびきりの笑顔を見せた瞬間、舞彩の「カット!」という声が響いた。


               〈FIN〉


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アップデート・ゼロ 五速 梁 @run_doc

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