第40話 たくらみ

「ミヒャエラ?」

気がつくと、僕は割り当てられた部屋のベッドに寝かされていた。ドレス姿でなく動きやすい白いフードに紺色のゆったりとした上下に身を包んだミヒャエラと目が合う。

「トール様!気付かれましたか!」

 金属の深いお盆に水を張り、タオルを絞っていたミヒャエラが駆け寄ってきた。

「良かった、三日も目を覚まさなかったのですよ?」

「三日……」

 そんなに長く眠っていたのか。

「そうだ、あの後どうなったの?」

「大丈夫です。決闘前の取り決めは、滞りなく履行されそうです。今はエッカルトたち文官が手続きに追われてますよ? 帝国が不正をしないよう他国の立会いの下行っているそうですが、帝国の重鎮たちの苦い顔が見ものだそうです」

 そうか、無事に終わったのか。

「良かった……」

それから、ミヒャエラと色々なことを話した。

好きな食べ物、嫌いな食べ物といった取りとめのないこと。

楽しかったことから、嫌だったこと。

僕を召喚したときのことまで、詳しく話してくれた。

普段なら話せないことだろうけど、戦いが終わったという安心感か、すらすらと話してくれる。

マサシと戦って、その時のミヒャエラの様子を見て。

こうやって、少しだけ踏み込んだ話をして。

ミヒャエラの心が、少しだけわかった気がする。今なら。少しくらい踏み込めるんじゃないか。

 ベッドから体を起こし、ミヒャエラのほうへ体を寄せる。

「トール様?」

 ミヒャエラはいつもの清楚なドレス姿じゃない。どちらかといえば野暮ったい地味な服だ。

 でもだからこそ、いつもより緊張しないですむ。少しだけ大胆になれた。

 ミヒャエラの肩に手を置く。彼女は体を少し震わせるけど、拒む様子はない。

 嫌がって、ない。

 前はその考えを疑っていただろうけど、今はそう確信できた。

 ミヒャエラの肩に手を置いたまま、ゆっくりと顔を近づけていく。

 彼女は少し戸惑ったように視線を左右にさ迷わせる。嫌がられたらどうしよう。

不安でたまらなくなった。

でも彼女は。ゆっくりと目を閉じて。あごを上に持ち上げた。

僕はさらに顔を近づける。目を閉じたことでミヒャエラの長い睫毛が一層際立って見え、彼女の甘い香りが今までで一番強く感じられた。

 僕も目を閉じ、そのまま顔を近づける。

 だけど、経験がないせいか距離感がつかめず、鼻同士が当たりそうな気がしたのでもう一度目を開けた。


「勇者様!ミヒャエラ様!」


レオノーラが部屋の扉をノックする音で、咄嗟に顔を離す。僕たちの距離が見られても問題なくなるのと、レオノーラが扉を開けるのはほぼ同時だった。

ミヒャエラは珍しく不機嫌をあらわにした表情になっていた。

 やっぱり、嫌だったのかな。

 僕がイケメンじゃないから、顔が迫ってくると不快になったのかもしれない。

 へたくそだから幻滅したのかもしれない。

ネガティブな考えがぐるぐると頭をめぐり、気分が落ち込んでくる。

 僕はこの後すぐに横になり、再び目を閉じた。

後で聞いたところによれば、マサシは火を見るだけでパニックになり、現在引きこもりになっているそうだ。もうミヒャエラにちょっかいを出そうとすることもないだろう。



 神聖国のジェノヴァ宮殿にある教会の奥、そこは教会の最高位たる教皇とその側近のみが入ることを許される部屋がある。

 内装は古びたオークの木や陽のわずかに差し込む鎧戸、煤けた暖炉などおよそ身分の高い人間が集まるにはふさわしくないと思われる。

 調度品も古びた杯や香油の小瓶など、宮殿のメインホールなどに飾られている物と比べれば地味で見栄えのしないものばかり。

しかしそれらはすべて、今は大陸中に広がった宗教が公に認められていなかった時代のもの。

聖人たちが迫害や苦難をものともせず、諸国に布教の旅に出た際に各国から持ち帰った聖遺物だった。

 その部屋にある古びた木製の椅子に、今は二人の人物が座っている。何の木か、既に知る者はいなかった。

 ごろごろと喉を鳴らしながら、カルラの膝の上で丸くなる一匹の猫。

「おー、よしよし。愛いやつにゃ~」

 カルラは普段背中に背負っているクレイモア―を外し、よしよしと愛猫を愛でている。優しい手つきで猫を撫でるその様は年頃の女の子そのものだ。

「平和は良いですね」

 それをアーブラハムが淹れたてのコーヒーを飲みながら見守っていた。

 目を細めて慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、孫か愛娘を見守る祖父か父親のような雰囲気だ。

 笑顔を浮かべたまま、表情一つ変えずアーブラハムは呟いた。

「しかし猫を可愛がることに全面的に賛成はできかねますね。猫は魔女の使い魔とも言われます」

 カルラは教皇であり、自分が仕える主君であるアーブラハムに対し動じることなく言い返した。

「そんなの迷信にゃー。聖書のどこにもそんなことは書かれてないにゃ、ネズミを食べてくれる偉い奴にゃ」

「そうですな。例え悪魔の使いだとしても、その猫は洗礼を授けていますから、問題ないでしょう」

 アーブラハムは初めて人以外に洗礼を授けた教皇である。

「教皇も無茶やるにゃ。猫ならまだしも、異教の飲み物を飲みたいがために洗礼授けたりするんにゃから」

 カルラはそう言って、アーブラハムから手渡されたコーヒーに口を付ける。

「苦いにゃ。よくこんな物飲めるにゃね」

 顔をしかめたカルラに対し、教皇は落ちついた表情で黒い液体をすする。

「うまい。このような飲み物を飲まぬなど、神が与えた恩寵を無下にするも同義。だからこそ私が洗礼を授け、飲めるようにしたのです」

「物に洗礼を与えるなんて、教皇の権力はなんでもありかにゃ」

 無邪気に毒を吐くカルラに対し、アーブラハムはあくまで柔和な笑みを崩さずに答えた。

「いえ、全ては神の思し召し。それにしても飲むことのために神の手を煩わせるとは、まったく異教徒とは野蛮な連中です」

「へ理屈は良いにゃ。それより本題」

「あの王国の、蒼き焔の勇者のことですか」

「いけないにゃー。神に与えられた力でもないのに、あんな力は」

 カルラの口元が獰猛に歪み、狂気を思わせる光が眼に宿る。

「我々神聖国の人間こそが、神のしもべ。神がかつて行なわれた癒しの奇跡。手を触れただけで歩けない人を歩かせ、目の見えない人の目を開いた。神には遠く及ばないとはいえ、我が王国の魔法師はそれを多く受け継いでいることがその証」

「にもかかわらず異世界から来たというだけで、あのような力を得る。まさに悪魔。悪魔同士が争い、かつての大戦が起こり多くの人が死にました」

 手を組んで祈るアーブラハムの目から一筋の涙がこぼれ、同時に憎しみが温厚な顔に陰を落とす。

「あいつと会ったとき、勇者は神が遣わしたって言ったのは誰にゃ? 嘘はよくないにゃー」

「嘘も方便と申します。方便ならば神もお許しになる」

「そうにゃー」

 カルラはからからと陽気に笑った。

「勇者同士が潰しあってくれるのを期待したのですが、そうそううまくはいかないものですね」

「手を下さずして二人の強敵に勝つ、聞いたときは良策だと思ったにゃが」

「まあこれも神が試練を与えたもうたのでしょう。それに一人は潰しましたから良しとしましょう」

アーブラハムはコーヒーを最後の一滴まで飲み干すと、席を立った。座っているカルラの体に影が差す。

「あんな力、悪魔の力に決まってるにゃー。悪魔は、退治するにゃー」

「手は打ってあります。帝国の重鎮に対し、他国と同盟を組み王国に対し圧力をかけるように説得しておきました。王国側で帝国と内通している人間にも蒼き焔の勇者の情報を逐一帝国や我々に伝えるよう再度厳命しております」

「相変わらずのやり手。さっきも様子を見たけど、傍から見たら帝国と敵対しているようにしか見えなかったにゃ」

「おほめにあずかり光栄です。敵をだますにはまず味方から、です」

「王国の運命が、楽しみにゃね」

「しょせんは肥溜め勇者、召喚当初はみな彼を嘲っていたとのこと。その不信をつけば勝手に追放されるか、暗殺されるかでしょう」

「そううまくいくかにゃ? ミヒャエラとの絆はなかなかにゃ」

「そのためにあなたがいるのです」

「そうにゃね」

 カルラはネコ科の獣のように口元から歯をのぞかせ、人の首の高さでクレイモアーを横なぎにふるった。

「そう。悪魔は皆滅びねばならないのです。二度と大戦の悲劇が繰り返されないために。勇者の名を借りた悪魔に神の裁きを」


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勇者の力なく異世界に転生した僕は科学知識で魔法を創り出す @kirikiri1941

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