第39話 決着

ミヒャエラの思いと声が伝わってくる。

血なまぐさい決闘のさなかだというのに、揺りかごで揺れているような心地よい調べ。

足に力が戻ってきた。

僕は両の腕を幽霊のようにだらりとさげたまま、起き上がった。

「な……」

 マサシは一瞬だけ怯えるように肩をすくめたが、すぐに余裕の笑みを取り戻した。

「やめとけよ。両腕は折れてる。それじゃ魔法も使えねえだろ?」

 返事はしない。

 彼の言うことに反応することも、気にする必要もない。

 僕が今やるべきことは。

 ここまで僕を信じてくれた、ミヒャエラに応えることだけ。

 もともとは指を鳴らす合図なしで魔法を使っていた。制御はし辛いけど不可能じゃない。

 僕は最後の魔法を練り始めた。

魔法は魔力、感情、イメージ力の三つで決まる。

 普通はその三つの丸が重なり合った部分の大きさしか威力が出ないけれど、勇者は圧倒的な魔力で三つの丸全てを足し合わせた大きさの威力が出る。

 リーゼロッテは、通常の勇者は魔力でそれを行うが、僕はイメージ力で威力を出したという。

 それなら。

 僕はイメージを決定し、魔力を込める。

 腕が動かせないのに魔法を使おうとした僕を、マサシは腹を抱えて笑った。

「何やる気だ? 焔は切り裂けるって言っただろうが」

だからどうしたんだ?

焔を切り裂かれるのなら。こうすれば、いいんだ。

「お前……!」

 魔力がだいぶ練れたところでマサシが表情を変えた。気が付いたか。

 魔力を闘技場全体へ張り巡らせる。僕自身の魔力が少ないから難しいけど、今回はできるだけ広範囲で燃焼を起こすのが目的だ、やるしかない。少しでも隙間を作れば作戦失敗だ。

 やがて所々で白い閃光のような焔がちかちかと点灯し始める。

「やめろ、こらあ!」

 お披露目の時は本気を出さなかったけど、今回は全力で魔力とイメージを操作する。

 だいぶ魔力を消費した。自分でわかる。この魔法を発動させればそれで魔法は打ち止めだ。

 だから、これで決めなくちゃいけない。

「これが、切り裂ける?」

「ちいっ!」

 マサシは僕の目の前で剣を振り上げるが、さっきまでの速さがない。魔法を発動して僕の首ごと空間を断ち切ればいいのに、それをしない。

 気が付くと呼吸も荒かった。

 強がってはいるがマサシも余裕がないのは確かだ。

 あれだけ魔法を連発したし、あちこちに水ぶくれができてダメージがある。

 僕はマサシの剣が脳天に届く前に魔法を発動させる。仕上げに少しだけ焔に細工をして。

 万が一があったら困る。

 でも細工をした後の焔の広がり方を見ていたマサシは、にやりと笑った。

 次の瞬間、闘技場すべてが白い閃光に包まれた。



 闘技場全体が太陽に包まれたように明るくなり、目を焼くほどの明るさが降臨する。

 太陽が地上に舞い降りたと錯覚するくらいの光度で、術者である僕自身すら目を開けていられないくらいだ。

 同時に膨大な熱が発生し、僕の皮膚すら焼いていく。気管や肺を焼かれないように口と鼻を手でふさぎ、網膜を焼かれないように目を腕で覆った。

続けて熱せられた大気が上昇気流となって焔の中心点である僕の周囲から吹き荒れる。上へ上へと向けて突風が起こった。

風と熱が収まり、僕は口と鼻をふさいだままゆっくりと目を開けていく。

そこには想像した通りの景色が広がっていた。

まばらにだけど草が見えた闘技場の地面には白く焼かれた灰しか残っていない。

観客席は距離があったせいか無事だ。でも治療のため闘技場に降りていた治癒術師たちはダメージがあったのか露出した部分の皮膚が赤く、軽いやけどをしているようだ。

そして僕の目の前には。

マサシが立っていた。

しかも僕の目と鼻の先に。

全身が水膨れになり、呼吸も荒いがしっかりと二本の足で立っている。水膨れになった指で長剣を握りしめていた。

「なかなかやるな。俺の剣で切り裂く暇もないほどの広範囲攻撃か。だがな、てめえの周囲の火力をセーブしたのは失敗だったな。おかげで逃げる場所が見えたぜ。相討ち覚悟で賭けに出る度胸もねえ、しょせんは肥溜め勇者か」

「それに甘えんだよ。いくら非情ぶってもわかるぜ。人に魔法を使うのが怖いんだろ?

 僕は何も言わず、口と鼻を手で覆ったまま立っていた。もう魔法は使えないし、逃げるのも不可能だ。

「図星か。ってか、言い返せもしねえのか」

 マサシの嘲るような言葉と、便所のネズミでも見るように見下した目。

 そんなマサシの糾弾を、貴賓席に座るリーゼロッテたちはがっくりとうなだれて見ていた。

「……そんな、これでも倒せない、なんて」

「もう王国はおしまいか」

「必勝の信念をもってしてもかなわぬ戦はあったか」

でもミヒャエラだけは、僕に対する信頼に些かの揺るぎもない視線を僕に向けていた。

 マサシの息がさらに荒くなり、ふらついていた。

「ち…… 少しはダメージがあったか。お遊びはここまでだ」

マサシが大きく息を吸い込み、剣を振り上げる。

ミヒャエラ以外の誰もがマサシの勝利を確信していただろう。

 だがマサシは剣を振り上げたままの姿勢で動かない。

 一秒、二秒……

 会場の雰囲気が変わっていくのが感じられる。

とうとうマサシの手から長剣が落ちた。草がすべて灰と化した地面に突き刺さり、マサシ自身はその場に膝をつき、糸が切れたように前に倒れた。

 そのまま彼は微動だにせず、闘技場がざわめきに包まれる。

 そろそろいいか。僕は口と鼻から手を離し、ゆっくりと呼吸する。

完全に意識を失い、地に伏したマサシに僕は高みから言ってやった。

「言い忘れたけど。切り裂けるかって聞いたのは焔のことじゃないよ」

 焔や爆発について調べまくっていた時に創作で有名な粉塵爆発というものも調べた。

 狭い空間に小麦粉のような細かい粒子が多量に舞い、そこで火花が散ると一気に引火して大爆発を引き起こすというやつだ。

 しかし条件が意外と厳しい。まず密閉された空間でなければ難しいし、目の粗い小麦粉では酸素と結合する表面積が小さく大規模な爆発には至らない。

 僕が注目したのは火力よりも空気のほうだった。

 一立方メートル当たり五百グラムの小麦を粉塵爆発させれば範囲内の酸素は使い切る。

 そして人間は濃度六パーセント以下の空気を数回吸っただけで意識を失う。

 これだけの規模の焔が燃焼すれば、密閉空間でないにしろ中心部ではそれに近い酸素濃度になる。僕の周囲の火力をセーブしたのは、焔の中心部である僕の間近にマサシを誘うためだった。

 万一焔の外縁部に逃げられでもしたらすぐに酸素濃度が戻ってしまう。

そしてマサシは、最後にあんな大口を開けて息を吸い込んだから肺胞を酸素濃度の低い気体で満たされた。倒れて当然だ。

焔や空間は切り裂ける。しかしマサシの能力では酸素を創り出すことは不可能だ。

 


「勝者、王国の勇者トール!」

控えていた治癒術師たちの治療が終わった後、アーブラハムがボクシングの試合みたいに僕の片手を取って掲げると、闘技場からは割れんばかりの拍手とコールが響く。

「トール!」

「トール!」

「トール!」

 全てが僕を称えるものばかりだ。数千の観衆から発せられる多様な声の集合体は、まるでオペラのように僕の心と体を震わせる。

 貴賓席にいるミヒャエラと目が合う。さっきまでよりずっと素敵で自然な笑顔で、僕に手を振ってくれている。僕も手を振って答える。みんな、笑っていた。

 リーゼロッテも、近衛隊長も。この笑顔が守れたなら、戦って良かったと思う。

マリアンネたち帝国の人間も目に入った。呆然としたり、頭をかきむしったり、何か叫んだりしている。悪いことしたかな?でも先に喧嘩を売ってきたのは君たちだからね。

 ふと、体の力が抜けた。立っていられなくなり、膝をつく。目を開けているのもおっくうだ。

 ああ、これは。

 なんとなくわかる。全身から魔力を絞り出したせいだ。

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