第35話 エピローグ

宝来雅史の研究室。


 行方不明だった月野美良は、自宅の居間にいたところを母親が見つけていた。

 母親が庭先で洗濯物を取り込んで、家に入ったら居間の長椅子に座って居たのだそうだ。外から帰って来た様子も無く、行方不明になった時の服装のままだったそうだ。


 今は美良が体調不良を訴えたので検査入院している。妹の月野姫星は姉の着替えを持って行ったり、本を差し入れしたりして、毎日のように病院に通っていた。そして、帰り道のついでに宝来雅史の研究室に立ち寄るのを日課にしていた。

 両親が姉に行方不明の間、どこに居たのかと尋ねたが、要領の得ない返事しかしないらしい。雅史や姫星が尋ねても同じだった。あまり問い詰めると、また居なくなりそうなので、今はあやふやなままにしている。


 『話したくなったら自分で言うのではないか?』


 そう母親が姫星に言っていたそうだ。それもそうかと雅史は納得する事にしていた。


「結局、収穫はこの陶器の欠片一つでしたね……」


 姫星は欠片をひっくり返したり、手にかざしたりしながら言った。祭りの後で霧湧神社に仕舞われたはずだった。しかし、欠片は車の後部座席に毛布に包まれていたのだ。毛布を片付けようと持ち上げた処、ポロリと落ちて来たのだ。


「きっと姫星ちゃんの言った通り。 あの小石に山の荒ぶる神を封じていたんだと思うよ。 逸れを解放した事で、神様の力を制御する術を失って、山体崩壊を招いたんだろう」


 雅史は研究ノートに書き込みをしながら姫星に説明していた。確信がある訳では無いが小石が割れたのが始まりだったと考えている。

 姫星は欠片を見ていた。人形の様な模様があり、その右手のらしき部分にバツ印が付いている。


「じゃあ、あの時に村から逃げる時に一緒にいたのは……」


 姫星は欠片を人差し指で突きながら言いよどんだ。姉の美良にそっくりな謎の人物。結局、一言も言葉を交わさずに笑っているだけだった女性だ。


「何だったんだろうね…… どちらにしろ、正体を暴こうとか探ろうとかは思わない方が良いのかもしれないね……」


 雅史は車の中でずっと嬌声を発していたのが、泥棒たちを追い詰めた子供の笑い声の主だったのではないかと思っている。その主の姿が見えなくなり代わりに欠片が有る。何故、車に有ったのか、雅史は深くは詮索しない事にした。



 どうせ、分からないからだ。



「どうしてなんですか?」


 姫星は相手の正体が分かった方が、付き合いやすいだろうと考えているようだ。


「神が人間の味方だった事なんて、歴史の中では只の一度も無いんだよ」


 元々、神様は人間の事なんか、気にも留めていないのではないかと雅史は考えていた。そして、今回の事でその思いは確信に変わったのだ。


「みんな、一生懸命お祈りしているのに?」


 姫星は試験の前などに、府前駅前にある大国前神社にお参りしたりする。子供の頃からそうしてきた。節目節目でお祈りをするのは習慣になっているのだ。


「神への信仰なんて、我々人間側の一方的な思い込みにしか過ぎないんだ。 お祈りだってひょっとしたら『こっちを見ないでください』なのかもしれないじゃないか」


 雅史は物事には多様な見方があるのだと言いたかった。結局、旨くいくかどうかは本人の努力の結果であって、神様は何も関与してなどいない。

 旨くいかない時だけ、神様のせいにするのはあんまりだろうとも考えていたのだ。


「そういえば山形誠さんから電話が来てたよ」


 事変の後で山形誠が電話して来た。直接、お詫びをしたいと言っていたが雅史は固辞していた。済んだ事とはいえ、自分を騙す奴とはお付き合いは遠慮したかったからだ。


「村長の日村さんは無事に逃げる事が出来たけど、力丸爺さんは駄目だったみたいだ」


 電話での会話を思い出すように話している。村人の半数近くが飲み込まれていたらしい。


「誠さんが迎えに行ったんだけど、神社にお願いに行くと言って山に向かって行ったそうだ」


 山形は自分が逃げるのが精一杯だったと言っていた。雅史も無理も無い事だと慰めてあげたのだ。


「恐らく駄目だったろうね。 足腰が不自由だったみたいだから……」


 姫星は村の中を杖を突いて、自分たちを案内してくれた力丸爺さんを思い出していた。


「全てを許して、全てを飲み込むって言っていた…… 飲み込むのが山の崩壊だったら、許すって何を許してくれたんだろ?」


 姫星は力丸爺さんが山を見ながら呟いていた言葉を思い出している。


「この程度で勘弁してやるって事じゃないかな?」


 雅史は答えた。


「山の崩壊が…… この程度なの?」


 姫星が目を丸くして答えた。


「いや、道を歩く時にさ。 地面に蟻が居るかどうかなんて気にした事ある?」


 雅史はニッコリと微笑んで答えた。


「そっか、あの山体崩壊だって、神様からすればちょっと背伸びをしただけなのかも知れないしね」


 姫星が相槌をいれた。きっとちっこい石にずっと閉じ込められていたんで、背伸びしたんだろうと考えたのだ。えらく迷惑な背伸びだ。


「寝返りうった程度にしか過ぎないのかもしれないのさ」


 むしろ神様は人間なんかに、何も関心を持っていないのだとさえ雅史は思っていた。


「村で発生していた異常現象って、考えてみれば神様が逃げなさいって、言ってたのかもしれないね」


 姫星は夜中にチャイムの鳴る家や、家鳴りが止まない家などの事を、思い出しながら話していた。


「というか、怖がらせるくらいなら直接言えばいいのに……」


 姫星がブツブツ言っている。


「山が崩れる事が分かっても、人間の言葉が分かるとは限らないのさ」


 雅史は霧湧村で起こっていた、数々の異常現象の原因は、山が崩壊する時の微振動だったのではないかと推理していた。岩同士がこすれ合うと、電磁波を起こすのは良く知られている事だ。

 いきなり空き家が地面に吸い込まれて行ったのも、崩壊前の地面移動に従って岩盤に隙間を作ってしまい、そこに飲み込まれたのだろうと推測している。


「彼等にとってそれが精一杯なのかも知れないね……」


 神様といっても人間に都合の良い存在とは限らない。


「そういえばお寺で私が聞こえていた異常な周波数の音ってどうして発生していたんですか?」


 姫星は霧湧村の寺で幽霊が見えるとパニックに成っていたのを思い出した。高周波は新設されていた、監視カメラのスピーカーで再生できるが、低周波はそれなりのサイズが無いと無理なのだ。

 そして幻覚は高周波より低周波の方が見えやすいとの研究結果もある。


「推測だけど、山体が崩壊する時に、石同士の摩擦で発生した音が、洞窟か何かで増幅されたんじゃないかと思う」


 あの時に逆送波を作るために録音したデータはまだ持っている。そのうち解析してみようと思うが今は暇が無い。崩壊した霧湧村を管轄する県庁の土木事務所から、詳細な情報の提供を求められているのだ。


「そういえば動物たちも逃げ出してたわ……」


 霧湧神社の帰り道で出くわした猪や鹿を思い出していた。あの動物たちも助かったのだろうか。確認する手段が無いのがもどかしかった。


「うん、動物は人間には聞こえない周波数も聞こえるからね。 人間が幻覚を起こせるくらいの異音だと、動物たちにも酷い影響が出たんだろう」


(そういえば怯えた目をしていたっけ……)


 姫星が思い出してると、ふと疑問に思う事があった。


「…… そういえば、どうしてまさにぃは何とも無かったの?」


 パニックになって泣き出した自分を励ましながらも、冷静に対策法を考え着いた雅史を思い出したのだ。


「ぶほっ!…… 人間、年を取ると聞こえない周波数というのがあってだね……」


 雅史は飲んでいたコーヒーを噴き出してしまった。有る程度の年齢になると高い周波数が聞こえなくなる。『モスキート音』という奴だ。


「やぁーい、おっさん。 おっさん」


 もちろん、姫星は知って居ながら質問したのだ。


「ちょっ! ちゃんと、助けたじゃんかよぉ」


 旅行の前は他人行儀な『宝来さん』だったのが、旅行の途中から『まさにぃ』に昇格した。雅史の事を義兄と認めてくれたのだろう。雅史は妹のからかいようが楽しくて微笑みながら抗議していた。


「結局、これはまさにぃの探している『五穀の器』だったんですか?」


 姫星は欠片を人差し指と親指に挟んで宝来に見せていた。


「地元で行われる土着信仰の神器の欠片だとは思うんだけど…… どうだろうねぇ」


 雅史はパソコンで資料の整理をしながらも、時々遠くの方を眺めるような仕草をしていた。


「僕が調べた限りでは『五穀の器』は五穀豊穣だけが目的の神器では無いんだ」


 雅史が探している『五穀の器』は、実は当て字らしいとは気が付いている。器を使ってある儀式を行うと病気が治るとか、不老不死になるとかの都市伝説を良く見かけるからだ。


(どちらかと言えば、キリスト教の聖杯に近い物だと思うけどな……)


 確証を得られないので、雅史は何も言わなかった。


「それに…… 元は只の茶碗だったと思うよ」


 村で起きた出来事を雅史なりに整理しようとしているのだろう。

 二人とも口には出さないが、霧湧村脱出の時に一緒に居た謎の女性の存在だ。神様なのかお化けなのかと、意見が別れるところだが、存在を証明するものが、何も無いので触れないでいる。


「ふーーーん。 それじゃ、『五穀の器』はどこにあるの?」


 姫星は詰まらなさそうに、欠片を紙で出来た箱の中に戻した。

 村長の日村に欠片を返そうとしたのだが、自分たちの事で手一杯なので、暫く預かって欲しいと言われたのだ。どさくさに紛れてどこかに紛失して良いものでも無い。それは山体崩壊を見れば分かる。然るべき物を立てて敬ってやらねばならない類のものだ。

 雅史は村が再建され、神社が建立されるまで欠片を預かるつもりでいた。


「判らない。 でも、どこかにあると信じているよ」


 雅史は霧湧村から、二十キロ程離れた所にある村の、古い言い伝えを読んでいた。

 山の中腹に人を寄せ付けない窪地があるのだと書いてある。その窪地には木も草も生えない不思議な土地なのだそうだ。

 もうすぐ秋の豊穣御礼祈願が、そこで執り行われるらしい。

 案山子を使った風変りな祭りで、祭りの最中に案山子に触ると祟りがあるとも伝えられている。しかし、ネットで紹介されている祭りの様子には、妙な風景は何も撮影されていない。普通の秋祭りの様子だった。


(山神を祀る習慣があるのかな? 結構、怪しげな祭りだな……)


 次の取材はその村に行こうかと考えていた。



 雅史はチラリと姫星を見て、『今度は一人で行けますように……』と、神社に願掛けに行こうかと考えていた。


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