第34話 均衡の崩壊
村から続く山道。
家ほどもある大きな岩が転がって来た。雅史は車を止めようとしたが、後ろからは土砂が迫って来るのがサイドミラーに映っている。転がって来る岩は大きく跳ね上がったかと思うと雅史の運転する車を飛び越えて行った。
「あんな小っちゃい石にそんな力があったのかっ!」
村長が割れた石を手に持って嘆いている様子を思い浮かべていた。子供のこぶしぐらいの石だったはずだ。
「物理的な大きさが問題じゃないの、自然と言うのはその力をどこへ向かわせているのかが重要なの。 その方向を制御してたのが小石に宿った神様で、居なくなってしまった余波が、村で起こっていた怪異現象だったのよ」
姫星は、力の向く先を制御する術を失った流れが、暴走したのかもしれないと思い付いたのだ。
「石と言うのは只の象徴なの、それを全員が信じて念じる。 その行為に意味が発生するの。 発生した御霊の流れに意味を持たせて、漠然とした流れに方向性を与える。 その流れを作物育成の力に載せてしまう。 それが『神御神輿』の祭りの意味なのよ」
自然エネルギーという考え方なのだろう。風水の考え方だと龍脈と呼ばれている。
「だから、公民館にあった仏像を、元の場所に戻す必要があったんだ」
雅史がハンドルを握ったまま怒鳴り返した。車の左手から見える、対岸にあった民家が土砂に呑み込まれていった。
「それをコソ泥が奪ってしまって事故で一緒に燃えてしまった。 だから、均衡が保てなくなってしまった。 不均衡な力の働きは山体崩壊を招いてしまったのよ」
道路に入った地割れから土ぼこりが巻き上がっている。その土ぼこりに車は付き抜けた。いきなりだったので避ける暇がなかったのだ。
「山を滅茶苦茶にする程のエネルギーを放出しているのか?」
雅史はハンドルを握ったまま姫星に尋ねた。
(ええっ? 山が横に滑っている!?)
姫星が見ている内に山が形を崩して行く、地面が圧力に耐え切れずに横滑りを起こしているのだ。
「くそっ! 道が曲がりくねっている!!」
車の中で左右に身体が激しく振られている。だが、速度を緩める訳には行かない。
「来た時は真っ直ぐだったじゃないっ」
姫星が車のシートベルトに掴まりながら叫んでいた。
「キャハハハハハッ」
美良は後部座席で横に転がったままの格好で笑っている。この状況を楽しんでいるようだ。
「山崩れと一緒に道路も押し流され始めてるのさ!」
バリバリッと音を立てて山の木が押し流されて行く。後ろを振り返ると通ったばかりの道路が無くなっていた。崖の下に崩落したのだ。
雅史は目を前に向けた。その時かつて道であった道路を木々が直立のまま横切って行く。山の斜面ごと崩落しているのだ。
「くそっ! もう、間に合わないっ!!」
右手から土砂が押し寄せて来るのが見えた。雅史は車のハンドルをやまの方に向けるように切った。谷側だと一緒に押し流されてしまうからだ。そうなると土砂に埋まってしまい、乗っている全員がお終いだ。
「おっらぁぁぁっ! 堪えろぉぉぉ!」
雅史は足で蹴るようにアクセルを踏みつけた。車の後輪が地面を捉え渾身の力をグリップに伝える。後輪は砂や小石を弾き飛ばしながら大地を蹴り上げた。車は踊るように車体をくねらせながら、押し寄せる土砂の上をサーフボードの様に乗り越えて行った。
「いっけぇぇぇぇぇっ!!」
車は猛スピードのまま土砂崩れの先頭に躍り出てきた。車のバンパーがアスファルトに触れて火花を散らしながら外れていった。
姫星は後ろを振り返りながら、押し寄せる土埃が人の形になるのを見ていた。それは大きく口を開き、目に当たる部分が窪んで黒くなっていた。
伝説のダイダラボッチとはこんな風だったに違いない。そのダイダラボッチが土埃の手を伸ばしてきた。
ブボォォォォッ
その手が届きそうになる寸前に、雅史の運転する車は霧湧トンネルの中に飛び込んでいく。速度の出ていた車は物の一分もかからずにトンネルを抜け、砂ぼこりを立てながら反対がわの出口から躍り出て来た。
そして、そのタイミングを見計らったようにトンネルは横滑りしながら崩れ去って行った。
「キャハハハハハッ」
その間も美良は後部座敷で笑い続けている。
そして、トンネルが流れていくのが合図だったかのように、押し寄せる土砂や土埃がパタリと止んだ。
「まさにぃっ! まさにぃっ! もう大丈夫っ! 土砂がいなくなった!!」
姫星は後ろを振り返りながら叫んだ。雅史は急ブレーキを踏み、車は横滑りしながらも、つんのめるようにして停車した。車はデコボコに窪んで傷だらけになっている。まるで廃車寸前の車のようだ。
雅史はハンドルに突っ伏して肩で息をしている。ドロドロと大地を震動させていた音は止み、粉塵が風に吹かれて青空が見え始めた。
山体の崩壊が終ったようだ。始まりから終わりまで二十分も掛かっていないはずだが、雅史には一時間近く掛ったような気がしていた。
姫星は助手席からヨロヨロと表に出て、村があった谷の方を見た。そこには田園風景が広がる長閑な村の風景は無く、一面が茶色の土だらけの光景が広がっていた。
「みーんな、無くなっちゃった……」
姫星は涙声になっていた。姫星は全身が灰を被って泥だらけになっている。
「ああ、村も川も畑も…… 何もかも土砂の下になっちまったな……」
緊張の連続の脱出ドライブから解放された雅史は、フラフラと車から出て来て姫星の隣に並んだ。一緒に濛々と煙を立てている、谷だった所を見ている。雅史もまた全身泥だらけだった。
「…… 村の人たちは旨く逃げられたのかしら……」
姫星と雅史は車の脇に呆然と立ちすくみ、かつては村の有った場所を眺めていた。あの崩落規模では大部分の村人は駄目だったろう。姫星は優しかった村人たちの事を思うと胸がシクシクと痛んだ。
『デンデェーデデン・デンデデン・デンデデン』
不意に雅史の携帯電話が鳴った。ムースメイダーのテーマが流れている。この着メロに設定しているのは一人だけ。月野恭三だ。
恐らく山の中を逃げ回っている内に、携帯の無線基地局が有る場所に辿り着いたのであろう。
「もしも…… あっ、先生…… はい、姫星ちゃんは無事です…… はい…… はい…… はい?!」
いきなり連絡が途絶えた雅史と姫星の安否を気遣って、ずっと電話を掛けていたらしかった。
「……」
しかし、電話で応対していた雅史は、途中で通話を止めてしまい、手を離して携帯の画面をジッと見ている。
「まさにぃ…… どうしたの?」
いきなり動きが止まった雅史に姫星が尋ねた。
「美良が見つかったって……」
雅史が唖然とした表情で姫星に告げた。雅史の手の中にある携帯からは、恭三の怒鳴り声が漏れ出ている。
「え?……」
二人は顔を見合わせた。東京で美良が見つかったのなら……
『じゃあ…… 今まで一緒に乗っていたのは誰なんだ?』
雅史は車に近付き、そっと後部座席の車窓を覗き込んだ。
「……」
そして、そのまま黙り込んでしまっている。
「…… お姉ちゃん?」
姫星が続いて恐る恐ると反対側から車を覗き込んだ。
車の後部シートには毛布があるだけで、さっきまで一緒に居たはずの美良の姿は無かった。
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