第7話 解決と、想い
意外な答えがきた。
「砂糖……ですか。でも、レモンが砂糖を入れたカップには毒物は検出されませんでしたよ」
「それは判っているよ。そうじゃなくて、シュガーポットだよ」
「シュガーポット?ああ、《砂糖入れ》ですか。……現場にはそんなもの無かったような気がしますが」
「うん、無かったよ。だから変だなあって思って」
葉織の真剣な表情を見て、柚木も自分なりに考えてみる。
「……そう云われれば、全員ストレートで飲むってのも珍しいですよね。一人くらい甘党がいたっていいのに。ティースプーンを置く作業を省きたかったとか……、いや、でもそれはあらかじめティースプーンをソーサーに添えておけば良いか。う~ん。あ、きっと置くスペースが足りなかったんですよ。あのテーブルのサイズ、四人が使うにはちょうどいいくらいですけど、五人で色々ものを置くとなると窮屈に感じられるのではないでしょうか?」
葉織は、テーブルの中央に視線を向けた。
「でも、この薔薇の一輪挿しはあった。一輪挿しがなければシュガーポットを置くことができたんじゃないかな。この花瓶とシュガーポット、大きさはそう変わらないだろうし」
「まあ置けたでしょうけど……。一輪挿しは演出上、必要なものと判断されて置かれてたのではないでしょうか」
「うん。そう考えるのが自然だけど、紅茶が運ばれてからはどうだろうね。カップに薔薇の花びらがあるから一輪挿しの存在意義は薄れるし、それに、お茶受けのバウンドケーキまであるんだから、シュガーポットもあって良かったと思う。お茶会をするという設定なのだから」
そう云われると、だんだん一輪挿しがあって、シュガーポットがないのが不自然に感じられてきた。
葉織は続けて、
「この置かれてあった一輪挿し、劇を初めから見ると、ただの空間に溶け込んだ小道具。観客はそこになぜ存在しているのか、なんて疑問に感じなかっただろうね。きっと誰もが、ああ、《名探偵ローズ》で、名前がローズだから主役が薔薇を持っていて、テーブルに薔薇があるのか、と瞬時に納得してしまい、気にも留めなかったと思う。私だってそう。あることを不自然に思わなかった。だけどお茶会が始まってからは、スペースを無駄に取っていて、シュガーポットの置き場所を消しているように感じられる」
確かにお茶会が始まってから観れば、そう感じることはできるかもしれない。しかし彼女は先程DVDを、初めから終わりまで通しで観ていたはず。一時停止や巻き戻しなどをして、途中から再生などはしていなかった。それなのになぜ、そう感じられたのか。不思議に思って柚木は訊ねた。
「そうですけど、葉織さん。今、『あることを不自然に思わなかった』っておっしゃいましたよね。どうして、一輪挿しが無ければシュガーポットが置ける、という考えができたんですか?普段、紅茶に砂糖を入れる人ならいざ知らす、葉織さんは常に何も入れないストレート派なのに」
葉織は脚本を指差して、
「やっぱりこれ。これを読んでピンときてね」
そういえば先程、この脚本を読んで気になるところはあるかと訊かれた。やはりここに事件を解くカギがあるのか。
脚本といえば、執筆したのは雨上零。彼が犯人なのか?
考えてみれば、演出・脚本という立場を利用すれば、多少は役者たちを意のままに動かすことができる。が、一体どこに脚本の通りに毒を盛って人を殺す者や殺される者がいるというのだ。そもそも脚本にはミルクのカップに毒を入れるシーンはなかった。
柚木は訝しげな表情になってしまう。
「何か引っ掛かるところでもあったのですか?」
「うん。小道具についての記述。ただ置いておくだけの花瓶については、『薔薇が一輪生けられた』とか『細くて~』とかあるのに、芝居で用いるカップなどの紅茶セットには詳しいことがないのがどうも気になってね」
その言葉を聞いた柚木は、慌てて脚本をつまみ上げてページをめくった。
葉織の云う通りだった。
「気がつきませんでした。……だけどこの脚本が完成するまでに、薔薇の一輪挿しのイメージは固まってはいても、どういうカップを使うかとかは決まっていなかった。それで描写に差が出た、とは考えられませんか?」
「うーん。その可能性はないとは云い切れないけど、低いんじゃないかな。だって同じように置いてあった油絵には脚本で触れてもいなかったし、それに実際に使われたカップはガラス製だったでしょ。きっとローズティーを彩る花びらがより映えるようにする狙いであのカップにしたんだと思う。ローズティーを使うというのは当初から決まっていたのだから、ガラス製のカップを用いるという考えはそう遅く浮上したものではないんじゃないかな。まあ、この仮説はあまり強くはないか……。でも、私はこの小道具の記述に関して思うところがもう一つあってね」
「何です?」
「そもそも、小道具についてどういったものを用いるかどうか描写する必要がない。稽古中とか、部内のミーティングでメンバーに口頭で伝えれば済む。もちろん、たまたま雨上が花瓶だけ詳細に書いて、紅茶セットをさらっと流したという可能性もある。プロの脚本家ではないからね。でも、こう考えれば綺麗な一本の線に繋がるんじゃないかな。花瓶の部分を記述した人物とそれ以外の全体を書いたのは別の人物。前者が椿山で、後者が雨上。椿山が上げた脚本に、椿山が薔薇の一輪挿しを用いることを付け加えた。あるいは、前者の部分をより確定的な設定とするために、椿山が雨上に詳細な記述をするよう指示した」
一瞬、随分と飛躍した仮説だなと思ったが、よく考えてみると、ちゃんとした根拠があることに気づいた。
「そう云えば、ローズという探偵の設定も椿山のアイディアでしたね」
葉織は柚木の言葉に満足そうな顔で頷いた。
「そう。そこなんだ。普通は、劇団という組織で最も権力を持っているのは演出と脚本を担当する人だけど、彼らは大学の演劇部という集団。その枠に当てはまらなくてもおかしくはない。それに何せ演劇部の部長は椿山で、雨上は去年、椿山の誘いで入った途中参加者だからね。おそらく、部内での発言力は雨上よりも椿山の方が上とみていい。雨上は、椿山が自分の書いた脚本に花瓶のことを付け加えたけど何も云わなかった。あるいは付け加えるよう指示され、それに素直に従った。まあストーリーの筋に直接関係ないし、セリフを増やしたり削ったりとかじゃないからね」
柚木は疑問を口にする。
「ではなぜ、椿山は薔薇の一輪挿しという小道具を加えたのでしょうか?」
「木を森に隠すためしかないでしょ。カップの中の花びらを、一輪挿しに紛れ込ませたんだよ」
「つまり、毒は花びらの中に仕込まれていた、と」
「そういうことだね」
「でも、紅茶が注がれる前のカップの花びらを用意したのは、ミルク役の五月遊貴子ですよ」
「うん。だから犯人は、劇の際中に薔薇の花びらを持ち込み、ミルクのカップに入れて毒を盛り、そして後で一輪挿しの中に隠した」
葉織の驚くべき答えに声が上擦ってしまう。
「どうやってですか?」
「劇中にさりげない動きで、偶然ミルクのカップに花びらが落ちるようにしたんだよ。落ちなければ、今回は殺すのを諦めるしかないけど」
「偶然落ちるようにって……」
「椿山ならできるでしょ」
ようやく葉織の推理が理解できた柚木は、思わず立ち上がってしまった。
「あ、そうか。ローズが持っていた薔薇!あれを使ったんだ!あの花の中にあらかじめ毒を仕込んだ花びらを紛れ込ませていた」
「そう。かなり難易度は高かっただろうけどね。」
ただ単にローズだから薔薇を持ってる、というわけではなかったというわけか。ローズのテーブルにつく位置的にも、立ち振る舞いをうまくやれば観客席からはカップに花びらが落ちるのが見えない。それにミルクは隣だ。共演している仲間には、見えてしまうかもしれないが、まさか、偶然ひらひらと落ちてゆく花びらに毒が仕込まれているとは思うまい。
だが、まだ疑問は残っている。落とした花びらをそのままにしておくと、カップは確実に警察が調べる。温かい紅茶に浸かっていたとはいえ、初めからカップにあった花びらと、落とした花びらとでは、毒の占有量に違いが出てきてしまう恐れがある。そうなれば当然、毒が多く含まれているのは後者になる。そして花びらの色の違いから、それはローズが落としたものだと特定されてしまう。柚木は着席し、居ずまいを正した。
「ではいつ、椿山はカップに入れた花びらを回収し、一輪挿しに隠したのでしょうか?」
「用意周到な椿山のことだ。おそらく、五月の異変に誰かが気づいて警察に連絡した後だと、なかなか隙がないと考えたと思う。五月の身体に外傷は見られなかったことから、何かの毒でも飲んだのでは、という疑念を警察が来る前から持っている人が演劇部の仲間の中にいることが予想できるからね。そんな中、ミルクのカップに近づくのは避けたいはず。だから彼は、花びらを隠すことも劇中で行ったと考えて良い。そして、それができたのは……」葉織は、そこまで云い掛けて、柚木に目を合わせてきた。もう判るでしょ、と云いたげな顔だ。柚木はそれに気づいて、言葉を引き継ぐ。
「暗転の時ですね」
「そう。あの仄暗い場面でそれを難しいけど、できない明るさじゃない。個人練習を多く積んでいた努力家の彼のことだ。きっと何度もリハーサルを繰り返したんじゃないかな」
そう云う葉織は花瓶を自分の手前に引き寄せた。
「でも、証拠が……」と云いかけて柚木は止めた。そして葉織の手許にある薔薇の一輪挿しを見る。そうだ、毒を仕込んだ花びらを隠していたんだ。例え椿山が警察の到着前に花びらを回収して処分することに成功していたとしても、この花のどこかに微量の毒が付着している可能性は多いにある。
葉織が云うのだから、きっとそれが真実なのだ。
ひょっとして、葉織は気まぐれで一輪挿しを持ってきたのではなく。初めから直観でこれは重要なものだと見抜いて一輪挿しを犯行現場から持ってきたのではないだろうか。いや、いくら何でもそれはないか、と柚木は頭を振った。だが淡い妄想はもう少しだけ続く。
でも、もしかすると、この僕も、何となくではなく、直感で大切だと思って引き抜いてもらえたのだとしたら、どんなに素晴らしく、嬉しいことだろう。
視界の中に一緒に映る薔薇と彼女を見て思う。
この綺麗な花は、この綺麗な人にこそ似合っている。相応しい。
いつまでも、気高く、美しく、咲き誇っていてほしい。
色褪せない薔薇のように。
そして、自分は彼女の傍にいたい。
そう願う柚木だった。
―了―
演劇と毒殺事件 ~色褪せない薔薇~ 湯月 宏希 @yuzuki0501
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