第3話 何が起こったのか
屋内には植物は育っていなかった。主治医の院長先生でなくてもいい、誰でもいいから医者を見つけようとした。
「先生、先生、どなたかいませんか? 妻が、妻の容態が……。診て、みてください!」
一階の処置室に向けて車椅子を押し続けた。すべすべの床がどれ程便利か実感した。
これを望んだのも人、か。
だが、どこにも人影が無い。医者も看護師も介護士も入院患者も。
自分の声、足音、車椅子の音が虚しく反響するだけだ。
「とりあえず、病室に帰ろう、君は横になったほうがいい」
妻の病室のある別棟に移動したが途中誰にも会わなかった。
部屋に入り、いつものように車椅子から抱き上げても、妻の頭はだらりと下がって私の右腕から零れ落ちてしまいそうだ。何とかベッドに入れて布団を整えた。
息はしている。心臓も動いている。でも意識はない。いや、もしかしてただ眠っているだけではないのか? 規則正しい深い息をしているのだから。
室内は花火に出かける前と何も変わっていない。
丸2年、妻は闘病し、私は難病介護資金の援助で働かず病室に入り浸っている。見慣れた風景のままだ。
「ふうっ」
安心のため息をつき、隣のイスにどっと座りこんだ。
私はノイローゼか何か発症してしまったのかもしれない。無いものが見え、聞こえないものが聞こえた。
落ち着けば妻は目を覚ますだろう。明朝、妻も私も先生に診てもらおう。
妻の額の髪を撫で上げた。
「すまなかった、私のほうが人酔いでもしたんだろう。車椅子を急がせて君の身体に負担をかけてしまったね。今はゆっくり休んで……」
お茶を淹れて飲み、ひと息ついてから手洗いに立った。
病室への帰途、廊下で非常階段から風が吹き下ろすのを感じた。
「2階の窓でも開いているのか? それともその上の屋上か? ドアが開いているのか」
もしかして病院側は皆の要望に負けて屋上を開放したのかもしれない。早いうちにそう決めてくれたら怖い思いをせずにすんだ、妻にも無理をさせなくてよかったのに。
目の前の階段を上がった。だが思ったより疲れていた私の足は、重たい不機嫌そうな音をたてる。
2階を過ぎ、屋上への踊り場を廻ると開け放たれた非常扉が目に入った。
「困るなあ、もう……」
自殺者が出る恐れがある、などというぐらいなら、施錠くらいしっかりして欲しい。
どうせシーツとかの物干しがあるくらいで殺風景なんだろう。祭りの後だ、宴会の残骸でも残っているのか?
暗い屋上へと足を踏み出した。
平らだろうと思っていたのに、どうも、もこもこしている。
そこにあったのは…………、
死屍累々とした医療関係者の事切れた姿だった。
顔見知りの医師を揺さぶってみても何の反応もない。
「うわーーーーっ」
頭を抱えて座り込んだ。
私の精神状態はかなり参っている。また幻覚を見ているのかもしれない。
なぜか、うるさいほどの葉擦れの音と、バキッ、ギシッという木材が折れるような音が聞こえてきた。
おそるおそる顔を上げる。
死体の向こう、屋上の手すりの先に見えたのは、病院の玄関先に生えていたしだれ柳の梢だった。
この高さまで……届いて。
トケイ草の蔓を絡ませ、枝を伸ばし、それでも成長は止まらない。
低い声が響いてきた。
……核にあたらなかったのか? 核を吸収しプラズマ化した植物遺伝子も浴びてないのか?……
「そ、その声は……院長先生?!」
……爆破の瞬間どこに居た?………
まだ半信半疑だったが、あれは実際に起こったことで、爆発だったらしい。
「中学校の校庭で、花火に包まれてタオルケットを被って……」
……そうか。屋上に出ていた者たちは核爆発直撃だ。花火を見ていた私と妻は植物化。だが、そこの死体からの放射線であなたの身体も長くは持ちますまい。奥様は?……
「妻は、
……早く戻りなさい、あなたが動けるうちに愛する人の傍らへ。しばしの間、意思の疎通はできるやも。植物状態だとしても……
「植物……状態、妻は植物人間だと……?」
……ああ、ゆっくりと植物に替わっていくと思う。こういうことなのだろう、花火となった植物たちは花好きなあなたの奥様を、爆発から守った。そして奥様はあなたを守ろうとした。それでも人は植物に取って代わられる。それがこの星の意志だ。地球上にはもう、愚かな人類の居場所はなくなる。急げ、私ももうそろそろ脳波が止まる。あなたもだ。植物になるのなら愛する人と共に。私は運よく妻と一緒だから……
立ち上がると膝がカクリとした。が、妻の病室まで何としてでも戻ってやる。あのベッドの上で抱き合いながら、私たちはひとつの植物体になる。
愛しい君、苑子……、今、行く、から……
―了―
花火=人の望みの尽きない夜に= 陸 なるみ @narumioka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます