〇〇クラス
このご時世に飛行機を乗り間違えるなんて事があるとは思ってもみなかった。それは私が今まで当事者になった事がないからで、今それを噛み締めているのは私が当事者になってしまったからである。
慌てるあまりに周囲に目を向ける余裕がなかった事は否定しないが、それにしても乗務員もおかしいと思って欲しいものだ。
私の周りの席、座っているのは皆いかつい体を窮屈そうにシートに押し込んでいる男か、小振りの武器を撫でまわしている女ばかりである。彼らの服装はどこか現代的なカジュアルファッションとはずれていて、まるで何かのコスプレだ。私が違和感を覚えたのもそこだった。不安になった私は乗務員に声を掛けた。
「すみません、これって、メルボルン行きの便で合ってますよね?」
「いえ、こちらはブールーンドゥーンフーロブーム島行きでございますが」
「はい?」聞いた事のない地名がさらりと出て来るのは悪夢めいた景色である。
「こちらはブールーンドゥーンフーロブーム城への魔王討伐体験ツアー様の貸し切りでございます」耳慣れない単語を羅列された時の私の気持ちを考えてみてほしい。
何かを察したらしい乗務員が駆け足で何処かへ去って行く。周囲の視線が痛い。普通なら彼らの方が異端のはずなのに、ここでは私がマイノリティだ。
「いかがなさいましたかー?」さっきのとは別の乗務員、こちらは新人なのか大分若く見える。私はどうも間違えて違う飛行機に乗ってしまったらしい事を伝え、この機体が次に着陸するのはいつ頃か尋ねた。
「十二時間後ですねえ」乗務員はのんびりした口調でそう言った。私は血の気が引くのを感じた。
「仕事でメルボルンに行かなきゃいけないんだ。日程をずらすわけにはいかない。どうにかならないのか」
「当機の次回のフライトは三日後でございます。お客様には申し訳ございませんが、こちらも日程を変更する事は致しかねます。ご了承くださいませー」
「そうだ、現地に着いたら他の飛行機は」
「ございません。島は魔王であらせられるアルデバラン・メッサーシュミット様の私有地ですので、契約を結んでいる当機以外が立ち寄る事はないと思います」私は項垂れた。
「……ところでその、さっきから何の話をしてるんだ。魔王とか、ツアーとか、さっぱり意味が分からない」
「最近多いんですよねえ。碌な経験も装備もなしに魔王と戦いたいって人。やれ自分は異世界で生きてきた知識があるとか、やれ自分は
「振りじゃない。オレが今度こそヤツを倒すんだ」左手の、いかにも血気盛んな男が抗議したが乗務員の女は無視した。
「その、魔王とかいう人は大丈夫なのか? こういう人らに襲われるんだろう」私は周囲の――見るからに屈強な者から、とても戦えるとは思えない華奢な者まで様々な――乗客を指した。
「魔王陛下は生まれつきの特異体質でして、三千度の熱でも服以外は全く灼ける事はなく、呼吸を止めた状態でも三か月くらいならへっちゃら、仮に致命傷を負っても一分で完全に再生されるそうですよ」
「……他にやるべき事があるんじゃないのか、魔王」
「なんでもご先代様に請われて就任したそうで。あたしもよくは知りません」
「うん、まあ、何となくは分かった。いや分からないけど。わけが分からないという事は分かった。それで私以外は皆、魔王討伐に向かうんだな」
「はい。こちらは
「聞いた事ないクラスだ。ビジネスクラスみたいなものなのか」
「いいえ、皆様の
頭が痛くなってきた。頭痛薬を忘れたのが悔やまれる。「そのクラス分けには何の意味が?」
「それぞれに最適なサービスを提供させていただいておりまーす」そう言うと若い乗務員は顔を近づけてきた。「
「例えば
「試験前に単語帳を見返すようなものかな」
「おおむねそんな感じかと」
「ところで、さっき言ってた『もっと活躍出来る場所』ってのは?」
「申し訳ございませんがお答えいたしかねます。そもそも本当に世界を救う気のある人は能力の如何に関わらず、紛争地帯や治安の悪い地区にご自分で向かわれますので」視線だけで人が殺せそうな程睨まれても彼女は全く動じない。
「世界を救う、ってのは具体的には何をするんだ?」
「魔王よりも恐ろしい闇を司る、
「麻王?」
「麻薬カルテルの王でございます。国家規模の撲滅作戦でも有効な打撃を与える事が出来ず、薬物政策委員会も敗北を認めています」
「マジでやばいやつじゃないか」
「マジでやばいやつでございます」
「……こんな事言えた義理じゃないのは百も承知だが、君はキャビンアテンダントっぽくないな」
そういうと唐突に女の笑みが消えた。代わりに目が潤み、たちまち涙が溢れて零れた。
「あたしだって大変なんです。実家が代々
「何が違うんだ、僧侶と治療師って」
「医者に宗教が必要ですか? それと同じ事ですよ。あなたも理解してくれないのね」泣きじゃくりながら彼女は何処かへ行ってしまった。入れ替わりに現れたのは先程より年上の乗務員だ。
「お客様、この度は大変ご迷惑をおかけいたしました。当機の代表として、お詫び申し上げます」声で背筋が粟立つ。艶やかな声色と洗練された礼の仕方に思わず圧倒された。
「いや、まあこっちもちゃんと確認しなかったのが悪いわけですし――」その迫力に尻込みしそうになって、間一髪留まった。「他に空いてる席はありますか? その、できれば
「申し訳ございません。只今当機は満席でございまして、
「動くな!」それは男の声だった。長剣を構え、辺りを見回している。仲間らしき連中がちらほらと席を立って集まってきた。
「この飛行機はジャックした! お前達、余計な真似はせず手を後ろに」リーダー格らしい男はそれ以上喋る事はなかった。乗務員がそちらに向かって指を突き付けると突然男は苦しみだして倒れ、それきり動かなくなった。
「失礼いたしました」乗務員は今度は機内の乗客全員に向けて頭を下げた。「まさかテロリストが紛れていようとは。しかし心配は無用です、あの男にはわたくしの
パラシュートを抱えて落下するテロリストの若い男に猛烈な速度で何かが近づいて来た。戦闘機より一回り小さいそれはトカゲと鳥のあいの子のような、外見としてはプテラノドンに近いだろうか。極彩色の翼竜は口を開けるとあっさりと男を噛み砕いた。
呆然とする私に、乗務員が言った。
「機長は
飛行機のクラスについて 鼓ブリキ @blechmitmilch
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