飛行機のクラスについて

鼓ブリキ

エコロジークラス

 ホノルルへの出張を命ぜられ、私は今空港にいる。海外への出張はそろそろ片手では足りないくらいの回数を経験してきたが、慣れる事はない。第一、スケジュールがタイトすぎるのだ。現地に着いたらホテルに直行、観光をする暇もなく、用が済んだらとっとと空港へ引き上げる。そんな事の繰り返しは疲れるばかりだ。お土産の用意も悩ましい。飛行機のチケットやホテルの手配は会社がしているが、土産物、こればっかりは自腹を切らねばならぬ。仕事で行っただけだから買ってません、では通用しない。手っ取り早いのは一口サイズの菓子だろうが、先日中途採用で入った樋口さんは小麦粉アレルギーと言っていたな。原材料の欄も見なくては。

 そんな事をとりとめもなく考えているとアナウンスが響いた。そろそろ搭乗時間だ。私は立ち上がり、キャリーケースの取っ手を掴んだ。



 機内に入った途端、妙な匂いが鼻をついた。甘ったるい中に香辛料めいた鮮烈さが鼻腔を刺す。こんな匂いが何故飛行機からするのか、アジア由来の香でも焚いているのか。

 座席を探すべく更に奥に進んだ時、私は唖然とした。リクライニングチェアの代わりに並ぶ、薪の束。背もたれも木を縦に切っただけの簡素なものだ。

「これは一体何なんだ」近くにいたキャビンアテンダントに尋ねても彼女は平然としている。

「こちらは先日導入されました、のお席でございます。どうぞ、お寛ぎくださいませ」

「エコノミークラスじゃなくて?」

「エコロジー、でございます。座席には間伐材を使用し、自然の温もりを感じられるように余計な手は加えておりません」それは手抜きと何が違うのか。しかし、柔和なオブラートの中身が「速く席に着け」と急いていた。

 私のように驚き、乗務員に食ってかかる客は他にもちらほら見られたが、皆一様に乗務員にあしらわれていた。それは私も同じく、である。シートベルトは蔦で出来ていた。私は飛行機の手配を会社任せにした事を激しく後悔した。

 私の席の隣にはヒッピーが座っていた。現代史の教科書に見本として載せたくなるほどの、センターパートのウェーブロングにヘアバンド、何だかよく分からないモチーフをじゃらじゃらさせた首飾りとウォッシュデニム。私がベルトを腰に巻くと馴れ馴れしく声を掛けてきた。

「いい機体だよな、これ」

「そうは思えないが。少なくとも座り心地はエコノミークラスの方がましだ」でこぼこした木の表面が尻に食い込む。こんなのにずっと座っていられる程度の根性が果たして私にあるだろうか。

「そもそも、飛行機ってのは動かすだけでとんでもない燃料を使うだろ。だからこうやって他の部分でバランスを取るべきなんだ。実に進歩的な考えだろ?」ヒッピーは煙管を吸うと薄紫の煙を長々と吐き出した。

「禁煙じゃないのか、ここ」

「これはタバコなんて危なっかしいもんじゃないぜ。ただのだよ」

「私が大麻マリファナの隠語を知らないと思うか? 大体、構造は同じだろう」

「いやいや、おれなんかはまだ大人しい方だ」ヒッピーは屈託なく笑った。子供のように無垢なきらきらした瞳が却って不気味さを際立たせる。「何せまだ『エコロジークラス症候群』になってないんだからな」

「何だそれ? エコノミークラス症候群なら知ってるが……」機内に離陸のアナウンスが響く。

「今に分かるさ」彼はまた煙管に口をつけた。




 自然の温もりなんぞ糞くらえ、離陸から十五分後には私の脳内はそれでいっぱいだった。ごつごつした椅子は長時間の着席に明らかに不向きであり、機内食は大豆を加工したメニューが肉の代わりに並び、飲料は費用をケチったのか水と蒸留酒のみ。クレームの文面を推敲する事でどうにか気を紛らわせていた。

 ふいに前方に座っていた女性が立ち上がったのはその時だった。

「我慢が美徳でなくなる時がある! 今がその時なのよ!」隣のヒッピーに負けず劣らずの奇抜なスタイルと金切り声はその場の全員からの注目を浴びた。

「そら、始まった」ヒッピーが耳打ちした。

「何が?」

「エコロジークラス症候群だよ。自然との共生こそあるべき姿と思い込むあまりに超菜食主義者スーパーベジタリアンに目覚めて、どういうわけか思想が左巻きになっちまうんだな。大部分はアシッドLSDのやり過ぎでそうなるんだが」

 女が懐から拳銃を取り出して天井に向けて撃った。機内は騒然となった。

「この飛行機は徴発したわ! 全員、私の指示なしで動かないで――」

 突然、後方からヒグマが飛び出して来たかと思うと女の頭を強かに殴りつけた。呻きながら倒れるのを待たず、熊は女の足を咥えて引き摺りながら四つ足でその場を去っていった。今度は誰も声を上げなかった。

 後方から悲鳴が聞こえてきたが、乗務員は穏やかに乗客をなだめて回っていた。

「自然も優しいばっかりじゃあない、ってことさ」ヒッピーは肩を竦めてみせた。

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