第5話 昇華
「あらこんにちは、昨日ぶりね。なんだか慌てちゃって、どうかしたの?」
その女性は、ベンチに腰かけたまま、私たちを見てほほ笑んだ。
彼女の周りには、いくつもの白いキノコが生えていて、そのうちの一つを、愛おしそうに撫でている。
「あなたは、昨日の、キノコなの?」
私がそういうと、女性は「もちろんそうよ。見てのとおりね」と、傘を持ったまま、両手を広げた。
するとキラキラと、まるでその場に星が舞ったかのような風が吹いて、その姿に思わず見とれてしまう。
「昨日見たときは、ただの大きなキノコだったのに」
ミキは、そのキラキラとした風を浴びながら、どこか呆けたような表情でそういった。
「私は昨日から何も変わっていないから、変わったとしたらあなたたちね」と、少しうれしそうにはにかみながら、女性は立ち上がった。
手をつなぐ私たちのほうへと、ゆっくりと近づきながら、少しおどけたように女性は話をつづけた。
「そうそう、あなたが写真を撮ってくれるっていうから、私、ちょっと張り切っちゃって。びっくりさせちゃってごめんなさい」
私とミキが、菌類になってしまったから、あのキノコの本当の姿が見えるようになってしまったとでもいうのだろうか。
女性は頬を掻きながら「ちょっと大変なことになっちゃったみたいね、こんなつもりじゃなかったんだけど」
なんて、そんなことを言った。
「――私たち、元に戻りたいんです」
呆けたような表情のままのミキの隣で、私は女性に向かって、はっきりとそういった。
「もし、私たちが人間に戻る方法があるのならば、教えてもらえませんか」
すると、彼女は困ったような表情になって「あら、そうなのね」と声を漏らす。
「僕は今のままでもいいと思うんだけどなあ」
久々に声がしたと思ったら、ゴーストは右手の甲から頭をひょっこり出していた。
「あらあら、なんだか珍しいことになっているわね。胞子さん」
「なんかすごく嫌な呼び方だねそれ。胞子さんって、なんだかすごくしっくりこない」
私はもう一度「私たちは、人に戻ることができるんですか?できるなら、お願いします!」と、声をかける。
「そうねえ、もとはといえば、私が城を抜け出して、こちら側に来てしまったせいだし、何とかしてあげたいんだけど……」
風が吹いて、雑木林が音を立てて揺れた。
空は青く、雲がゆっくりと流れているのが分かった。
彼女が黙っている時間が、とても長く感じて、隣にいるミキを見る。
彼女も私のほうを向いて、手をもう一度、ぎゅっと握ってきた。
遠く背後で聞こえているはずの喧騒は、何も聞こえなくなっていた。
私たちの耳に入ってこないだけなのか、もう、何もかも終わってしまったのか。
しばらくして、首をかしげて考え込んでしまっていた女性がその口をおもむろに開いた。
「ええと、胞子さんが生えているあなたは、人に戻してあげることができるんだけど」
それから数瞬の間をおいて「そっちの、白い髪のあなたは、もう人には戻れないの」
「――え」
「ごめんなさいね、もうあなたは完全に私たちの仲間になってしまってる。それも、自我を持った、私と同じ存在、菌人よ」
言葉が出なかった。ゴーストが最初に言ってた通り、ミキはもう菌類になってしまったのだ。
いや、菌類ではなく……菌人?
「私が、菌人?なにそれ、聞いたことない」
ミキはつぶやくようにそう言って、首を振った。「なんだっていい、私はもう、人には戻れないのね」
私は、こんなに悲しそうな、すべてを諦めたような表情のミキを見て、いまだに何も言葉が出ずにいた。
無責任に、私がいるから大丈夫だなんて言って、結局何もできやしなかったんだ。
ミキは、私とつないでいた手をほどいて、女性の方へと2,3歩進む。
そうして、私の方を振り返って、小さく手を振るのだ。
「ごめんね、ハル。あなただけでも人に戻って。大変なことになってしまってる、みんなを助けてあげて。あなたなら、キノコにならずにたくさんの人を助けてあげることができると思うから」
そんなことを言われても、私はうなずけなかった。
ここでミキを置いて、私一人が元に戻って、いったい私に何ができるのだろう。
町に戻って、両親を助けられたとして、ミキを救えなかった私はこの先も生きていけるのだろうか。
ひどい音がして、背後の町を見る。
町が、白いキノコに飲まれていた。
無数に生える真っ白な美しいキノコたちが、つぎつぎにアスファルトの下から生えて、道路を持ち上げ、壊していく。
家々も、そのキノコの成長で倒壊し、人々の喧騒も、悲鳴も聞こえない。
私たちのすぐ近く、雑木林をもなぎ倒して、キノコが次々に生えてくる。
もう、いまさら、町に戻っても手遅れになってしまったのだ。
「ミキが、そちら側に行くなら、私も」
一歩、前に踏み出して、私はそういった。
「もう、町のみんなは救えないなら、私だけでも、ミキのそばにいる」
「ダメだよ!ハルは、学校のみんなに危険を知らせなきゃ!町のみんなは無理でも、あのキノコたちが向かう先の人たちを救わないと!」
ミキがそうやって、まるで非難するみたいに言うから。
「私には、もうだれかを救うなんてことはできっこない!今ここで、ミキと一緒にいたいの!たとえキノコになっても、私がそばにいるって言ったから!」
私はそうやって叫んで、ミキを勢いよく抱きしめた。
「それじゃあ、人に戻れなくてもよいということですね?」
白髪の女性は、そんな私たちを微笑ましげにながめて、そういった。
「ほらね、僕の言ったとおりだ」
「ゴーストは何も言ってないじゃない」
「ありゃ、そうだったっけ?」
私に生えたゴーストは、相変わらず何を考えているかよくわからないけれど、少しだけ嬉しそうな、そんな気がした。
女性は私とミキのそばに歩み寄り、2人の頬を順番に撫でる。最初にキノコを撫でていたときみたいに、とても愛おしそうに。
「まあ、私が誤って菌人にしてしまったんだし、お父様も許してくださるわよね。ちょっぴり怒られるかもしれないけれど」
独り言のようにそういうと、開いていた傘をくるりと回した。
「ミキ、ごめんね。結局、私には何もできなかった」
「ちがうよ、ハル。全部私が悪かったの。あの時、写真を撮ろうなんて言わなかったら……」
「誰もこんなことになるなんて想像もできなかったんだから、ミキが悪いってことじゃないよ、きっと」
「ハル、そばにいてくれて、ありがとう」
私はミキと手をつないで、女性の傘の下に入った。
くるりと回された傘から、白く美しい胞子がきらきらときらめきを帯びて舞い、それに包まれていく。
木々の揺れる音も、風の音も、何もかもが聞こえなくなっていき……
――つないだ手がぎゅっと強く握られた。
◆◆◆◆◆
胞子が晴れると、そこには誰もいないバス停だけがあった。
ぽっかりと、その空間だけキノコの生えていない、ベンチが残っている。
しかしながら、それから数分後にそのバス停は、ベンチもろとも勢いよく生えるキノコによっておおわれていく。
とある町から発生した白いキノコの災害は、瞬く間に世界へと広がっていくことになるのだった。
マッシュルームゴースト レンga @renga
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