嘘をついたら積もりゆく
相葉ミト
第1話
まだまだ高い西日が差し込む放課後、みゆと椿の勉強会は、中だるみに入った。
大学受験を控えた高三。なんとかやる気を出さないと。
みゆが気合を入れ直そうとした瞬間、ガタン! と椅子を蹴飛ばす音がした。
「屋上に出たい!」
「なんなの椿、唐突に」
立ち上がった椿に突き刺さる、みゆの冷たい視線。それでも椿はめげない。
「屋上といえば青春! 青春といえば屋上! 高校三年生の夏を受験勉強だけで終わらすわけにはいかないじゃん!」
「いや勉強しなよ……意味わかんない」
むっ、と椿は頬を膨らませる。頬袋を膨らませたリスみたい。かわいい、と男子はいいそうだ、とみゆは冷静に判定。
しかし椿は意味不明なことを言い出す、アホだ。かわいい以前に、アホとしかみゆには思えない。
青春だとか夢みたいなことを言う、アホ。現実を見てしっかり勉強する方がいいのに。
しかもこいつは。とみゆは椿を見つめる。私の前以外だと奇行に走らないのだ。
「してるよ」
「はいはい。で、屋上?」
「そうそう。みゆ、一回先生と上がったことあるよね?」
「ある」
何かの用事で職員室に行ったら、ちょうど人手がいるとかなんとかで、みゆは屋上に連れて行かれた。
屋上は基本的に閉鎖されている。だから、椿との会話のネタにしたんだった。
椿は奇行種だ。
おかげで幼なじみという腐れ縁の付き合いだけのみゆも、奇行種扱いされて晴れて二人ぼっちだ。内心は縁切りしなかった後悔の涙で土砂降りだけど。
やめときゃよかった。こいつに屋上の話するとか。みゆは過去の自分を呪う。
目の前には目をギラギラに輝かせるアホ。残念だけどこれが現実だ。
「どんなだった?」
「高かった」
「えーつまんない」
「コンクリ凹んで水たまりできてた」
「却下。もっと面白いの……例えば、フェンスとか?」
「あー、フェンスね」
ぶっちゃけ、今にも風で吹き飛びそうな古いものが申し訳程度にくっついていただけだった。
わざわざ、このバカに正直に言うのも腹が立つ。
「……錆びてるけど、案外丈夫そうだった。身を乗り出しても大丈夫じゃないのかな」
「本当?!」
みゆの出任せに、椿は身を乗り出した。
待ってそんなリアクションするなんて思ってなかった。どうしよ。みゆは内心頭を抱えた。
「わかんないよ! 錆びてるし!」
「みゆだから、信じるよ」
「なにそれ? 愛の告白?」
「かもね?」
みゆはからかったつもりだったが、椿は妖艶に笑った。
このバカ、いつの間に私より大人になったの?
椿の表情に説明しづらいイラつきを感じて、みゆは肩をすくめる。
「なに馬鹿言ってんの? 鍵壊れてるから、今なら行けるよ」
「じゃ、行こう!」
参考書もシャーペンもノートも置いてけぼりで、椿は階段へと駆け出す。
「待っ……! ああ馬鹿なんだから!」
あのバカ。アホ。単細胞!
思いつく限りの悪口を並べながら、みゆは椿を追う。
2段飛ばしに階段を駆け上がる椿に追いついたのは、みゆが屋上についてからだった。
「わぁ……!」
息も絶え絶えのみゆとは裏腹に、屋上に出た椿は、花が咲いたような笑顔を浮かべていた。
「なんでこんななにもないところでテンション上がるのさ」
「えへへ……みゆと二人きりで、この空間にいるってだけで最高だよ」
「はあ……変なやつ」
「あー空気おいしい……」
「なんか野焼きのけっむい匂いするんだけど」
ここは田んぼに囲まれた田舎高校である。
どこかのゴミ袋代をケチろうと企む畑から、タバコに似た、でもタバコよりケミカルで明らかに体に悪そうな煙が漂ってくるなど、日常茶飯事なのだ。
「そう? じゃあ、どこかな?」
好奇心旺盛な猫のように、椿は屋上の端にふらふらと近寄り、吸い込まれるように錆びたフェンスへ手をかけた。
「椿! 危ないよ、そんなボロボロの柵に近寄ったら」
椿は、みゆに振り返った。
椿の表情に、みゆは凍りついた。
「──身を乗り出しても大丈夫、って言ったの、みゆだからね?」
椿は、全体重をフェンスに掛けた。
ガシャン。
「きゃああああああああ!」
錆びたフェンスが壊れて。
椿の細い身体が、悲鳴の尾を引いて下に消えていって。
それでも、みゆの頭に焼き付いたのは、最後に見えた、椿の、勝ち誇ったような、笑顔だった。
「みゆさんは悪くないわよ。危ないことをしようとした椿さんを、止めようとしたのでしょう?」
「……はい」
みゆはうなずくしかなかった。
そうしないと、怒られる。
嘘をつかないいい子じゃないと、怒られる。
小学校時代から仕込まれた怒られることに対する恐怖から、小さな嘘をみゆは重ねていく。
何も、語らないことによって。
椿が落下して、意識不明になってから何度目か分からない、スクールカウンセラーとの面談。
もう、嘘のベールを織り上げる時間だった。
「なら、自分を責めることはないわ」
「はい」
今日も怒られなかった。今日もいい子でいられた。
安堵感に、自分の罪悪感がうずく。
適当なことを言って友達を騙して、そして大怪我をさせておいて、自分可愛さに何も言わずに結果的な嘘を重ねていく。
最低だ。みゆは自分でそう思う。
それでも、小学生時代からの習慣には勝てない。
いっそのこと、椿みたいな奇行種なら、そういうのを全部蹴飛ばして嘘をついたことを懺悔して、正当な罰を受けるくらい潔かったのかもしれない。
なんて、口にできるはずもなく。
みゆは一礼して、カウンセリングルームを出る。
「そうだ、みゆさん」
「なんでしょうか?」
「椿さん、意識が戻ったそうよ。お見舞いに行ってあげたらどうかしら?」
「わかりました」
「きっと、椿さんも喜ぶわ」
だから、いい子でいるために、みゆは椿を見舞う。
白いシーツに包まれて、真っ白な肌を見せる椿。
その姿は人間離れしていて、何か異質なものにみゆには見えた。
「やっぱり、変なやつ」
「みゆ?」
「椿?」
「やっぱり、みゆだ」
椿は体を起こして、みゆに顔を寄せる。
「椿、無理しないで! こうなったのって……私が、適当なこと言ったから……」
「自覚、あったの?」
椿の、艶めいた氷のような声が、みゆの耳朶に触れる。
「なんの?」
「私に、嘘ついたこと」
「そんなつもりじゃ……」
「悪い子だなぁ、みゆは」
「うう……」
みゆはうつむく。
私は悪くなんかない。椿が飛び出したから椿の自業自得だ。けど屋上のあれこれの話をしたのは私だから、椿がこうなったのは私のせいであって──。
頭の中がぐしゃぐしゃになったみゆに、毒のように甘く椿はささやく。
「悪いと思うなら、責任取ってよね。──ずーっと一緒に、いて?」
嘘をついたら積もりゆく 相葉ミト @aonekoumiha
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