命をのせたラストレター

氷堂 凛

命をのせたラストレター

昭和二十年春

 我らが大日本帝国は太平洋戦争の真っただ中であった。戦況は悪化し、沖縄は陥落。本土にも空襲が連日して起こり、窮地に追い込まれていた。

「石田さん……いかれるのですね」

「はい。お国の為に尽くしてまいります」

「どうかご無事で」

「必ず戻ってきます」


 私、石田太郎は前線から一度本土へ帰ってきて、後に妻となる河合光江さんとの楽しいひと時を過ごしていた。帰郷から数日もたたない内に、上官から再集合の通達があった。

「石田さん!明日はどこへいきましょうか!海岸へいきましょうか、それとも母校へ久しぶりに行ってみましょうか」

 彼女はそう言って、明日の予定を考え、楽しそうに微笑んでいる。

 しかし、もう私にはそんな時間はない……再集合だ。

「光江さん。再集合がかかりました」

「え……?」

 楽しそうに微笑んでいた顔は一気に消え去り、まるで魂が抜けきったかのように、信じられないというような顔をしていた。

「また前線の戦況が悪化したようです」

「また前線へ?」

 この時期での前線への配備。それはほぼ死を意味する。

「はい。でも聞いてください。次は遂に、自分の潜水艇に配属になったんですよ!」

「ご自分の潜水艇をお持ちになれたのですか!」

 自分の船が持てるということは大出世したということを指す。

「自分の潜水艇です……」

「そうですか!石田さんの活躍が遂に認められたのですね!」

 返す言葉が無かった。

『石田太郎少尉 南西第三部隊ニ任ズ 右記ノ招集ヲ令セラル……』

 南西第三部隊、それは沖縄方面に展開される潜水艦隊であった。そして、私がこの時期に招集されたということは、私の乗るモノは特別攻撃兵器 人間魚雷“回天かいてん”である。

 菊水作戦発令により、予想はしていた。しかし、こうもはやいとは……

「石田さん、明日たたれるのですか?」

「はい、明日港へ行きます」

「そうですか、なら今日は準備がありますね」

「はい……」

 光江さんの顔は少し寂しそうだった。

「よし、こうしちゃいれません!石田さんはなにがお好きですか?」

「私ですか?そうですね、光江さんの握ったおむすびが食べたいです」

「分かりました!」

 そういって、彼女は小走りで縁側を去った。

 近くの国民学校では子供達が、芋を栽培している。時々空を行く戦闘機に手を振る。

 近くの海では、戦闘機が船に突っ込む特別攻撃隊が連日出撃しているという。もしかすると、今飛んで行った彼らもその一員なのかもしれない。死亡率100%の作戦。命を一つの部品として戦う兵器。明日は我が身というわけか……

 送られてきた招集状をぐっと握り潰す。

「さてと……」

 明日、朝一でここを立てるように、準備を始める。何もかもが愛おしい。服も、筆も、本も何もかもが。

 しかし、最低限だけ持っていく。もう私の命はこの一枚の紙によって決まってしまった。だからこそ、一週間生きるだけの最低量を持っていく。それ以外は置いていく。


 そうやって、想い出にふけりながら準備をしていると時間は過ぎ去ってしまっていた。すでに陽は傾き、空は朱く染まっている。

「帰ってこなかったか……」

 正午前に見た飛行隊は帰ってくることは無かった。

「終わりましたか?」

 空に気を取られて、光江さんの存在に気が付かなかった。

「はい、おかげさまで」

 笑顔で返事をする。

「それにしても荷物が少なくありませんか?」

「潜水艇は狭いもので」

 そうですか、と彼女は微笑む。

「冷めないうちにどうぞ」

 そういって、まだ少し湯気が出ている三つのおむすびを私の前に置いた。

「ありがとうございます。いただきます」

 一つ目を口にする。塩加減が絶妙で、器用な彼女らしい味だった。

「どうですか?」

心配そうに彼女が尋ねてくる。すごくかわいらしい。

「とてもおいしいです」

 それは良かったです。といわんばかりの笑顔だ。いつまでもこの笑顔の隣にいたい。

 一つ目を食べ終え、二つ目に手が伸びる。

「先ほど、父の戦死報告が届きました」

「え……お父様が?」

「はい。分かっていたことなんですけどね……石田さんが帰ってこられる一週間ほど前に帰ってきて、“桜花おうか“にのるんだって……強がってはいましたが、声が震えていたのが鮮明に脳に焦げ付いています」

 桜花……ロケット特攻機だ。

「“桜花”に……勇ましいお父様らしいですね」

 咄嗟に思いついた言葉がそれだった。

「誇らしい父です。お国の為に尽くす、私たちの鑑です」

 その瞳がうるんでいた。彼女のそんな顔は初めて見た。それを打ち消すかのように勢いよくおむすびに齧り付いた。

「おいしい。おいしい、おいしいです」

 彼女のお父様に死と、これから自分も同じ運命を背負うという恐怖。そして彼女をまた一人にしてしまうという罪悪感で、涙が溢れた。

 勢いよく二つ目を食べ終わり三つ目に齧り付く。

「そんな勢いよく食べては喉を詰まらせますよ」

 光江さんが優しく寄り添ってくれた。

 もうおむすびの塩の味なのか、自分の涙の味なのかよくわからなくなっていた。

 そして、押し込むように三つ目のおむすびを食べ終えた。

「光江さん!!」

 縁側で横に腰かけていた光江さんに勢いよく抱き着いた。

「石田さん……」

 男らしくもなく、声を上げて泣く。これじゃ帝國軍人失格だ。

 そんな私を見て、彼女は優しく抱きしめてくれた。

 そして、陽が落ちた。そのまま泣きつかれた私は眠りについてしまった……


 陽がまた昇った。

「お目覚めになりましたか?」

 光江さんが、私が寝そべっている隣に座っていた。

「はい……」

「朝ですね……」

「はい…………」

 出発の朝が来た。空は青い。

「それでは顔を洗ったら私は出ますね」

「分かりました」

 私は、寝床を後にして、家の外にある蛇口へと向かった。

 勢いよく水で顔を洗う。この冷たさが生きていることを証明しているようでなんとも不思議な気分であった。

 青く澄み渡る空に向かって告げる。

 父上・母上、私は今日からの作戦で祖国の為に命を捧げます。君、父上、母上への御恩は決して忘れません。どうか私に最後のお力をお貸しください。

 この命のやり取りが昼夜問わず行われている世界とは思えない程、静かだった。稀に鳥の鳴き声が聞こえてきて、なんとも感慨深くなってしまう。

 そして、私は寝室に戻り、置いてあった鞄を持ち玄関へと向かった。


「石田さん……」

「光江さん、色々と世話になりました」

 彼女の顔は寂しそうで、でも強がっているようだった。

「石田さん……いかれるのですね」

「はい。お国の為に尽くして参ります」

「どうかご無事で」

「必ず戻ってきます」

 そんな絶対に果たされない約束を交わす。

「これを持って行ってください!」

 そういって彼女に渡されたのは、毛糸で編まれた小さな人形だった。

「これは?」

「私が大切にしているお人形です。どうか私だと思って、お側においてください」

「ありがとうございます。それでは行ってまいります」

 彼女へ敬礼をする。

「はい!」

 彼女は涙を零しながらも笑顔で敬礼を返す。

 決して振り返らないように、家とは反対方向をしっかりと向いて歩いた。一歩歩くたびに涙が出てきて、思わず振り返りたくなってしまう。振り向けば、彼女がいる。今すぐ抱き締めたい。そして彼女の優しさとぬくもりに触れたい。でもそれは出来ない。ここで振り返ってしまうと、もう二度と踏み出すことが出来なくなってしまう……

 ありがとう光江さん。さようなら……


 フィリピン海海上 出港してから二日たった。結局敵艦隊との接敵は無く、今日まで寿命が延びているわけである。まだ死なない。まだ生きることができる。しかし、思えば思う程、死への恐怖が大きくなる。まだ死にたくない……

「レーダーに感あり!目標の敵艦隊です!」

「回天攻撃隊用意!」

 潜水艦が回天搭乗員を回天へ移すため、浮上する。

「石田……頼んだぞ」

 回天を積んでいる潜水艦の艦長から、最後の言葉をかけられる。

「ハイ!この石田、祖国の為に散って参ります!艦長、ご武運を!」

 敬礼を交わす。艦長の目がうるんでいるのが分かった。艦長は、私が海軍に所属になった当初から指導などをしていただいた教官でもあったのだ。

 そして、回天のハッチを開き、中に入る。すごく窮屈な棺桶だ。


 私が回天に乗り込み、再度潜水艦は潜航を始めた。

「石田、出撃だ!」

 その一言で、私の回天は勢いよく潜水艦から放たれた。

 回天は静かな海の中を一人で進む。ただ、無の時間が続く。

 何も考えてはいけない。そう思えば思う程、国民学校の事、海軍所属当初の事、父上、母上の事、そして光江さんの事が走馬灯のように現れる。

 自然と涙が流れ落ちる。死の砂時計はもう落ち切りそうなのに、それにも関わらず、まだ生きたい、彼女に会いたいという気持ちが大きくなる。

 この操縦桿を一杯に回せば、祖国へ帰れる……でもそれは任務に反することになる。

 手が震えてくる。寒気も感じてくる。

「見えた……」

 そんな時だった。回天の潜望鏡から敵艦が見えた。

 瞬時に距離と速度を計算する。

 そしてその予測をもとに回天の航路を決定する。

「よし……」

 潜望鏡を格納する。そして、計算した航路を進む。

 命の道が決定された瞬間であった。

 両手を胸にあてたそのとき何かふくらみを感じた。

「光江さん……」

 胸ポケットには光江さんから貰った、お人形が入っていた。

 そのお人形は彼女のように優しく微笑みかけてきた。

 もうまもなく到達時間だ。

 十秒を切った……

「うぁああああああああ!!天皇陛下!父上!母上!光江さんばんざぁあああああい!!!」

 そして。見事敵艦の艦首へと直撃し、祖国の花として散った。


 昭和二十年夏

「郵便です」

「ご苦労様です」

 見慣れない所からの手紙だった。

『死亡告知書 石田太郎中尉 南西諸島方面ニ於イテ戦死セラレ候……』

 そのあまりに残酷な通知書と共に一通の手紙が添えられていた。

『光江さんへ

 どうかこの結末をお許しください。それと、約束を破ったことも。

 私は特別攻撃隊として回天に乗ることになりました。実は、招集がかかった時にもうわかっていたのですが、どうしても伝えられませんでした。ごめんなさい。

 もう一度、あなたのおむすびが食べたかったです。

 そして、あなたを思いっきり抱き締めたかった。

 もう叶わぬ願いですが、どうかあなたは幸せに生きてください。

 そして、明るい日本を築いてください。

 あなたの笑顔が大好きでした。

 今までお世話になりました。


 石田太郎』

 彼の最後の手紙だった。

「あぁ…………あぁああ……あぁああああ!」

 涙が溢れ出る。家の前だというのに、人目もくれず、泣いてしまう。

「石田さん……石田さん、石田さぁああああん!!」

 彼が死ぬことは分かっていた。あの少なかった荷物で察していた。それでも……彼と幸せな家庭を築きたかった……

 そして、もっと彼と笑い合っていたかった……

 彼がここをたった日のように空は明るく澄み渡っていた。

 そしてその日の正午、天皇陛下により日本の敗戦がラジオを通して伝えられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

命をのせたラストレター 氷堂 凛 @HyodoLin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説