10

 薄暗い。白い天井。鼻を突く医薬品のにおい。ぼそぼそと聞こえる人の話し声――

 目が覚めた。

 ぼんやりと一士は周囲を見回す。

 ベッドは上半身から角度が変わっていた。助かった、と一士は麻酔ボケした頭でそう思った。身体を起こすことでさえ億劫に感じるほどの倦怠感。それが、じくじくと一士の身体を蝕んでいたのだ。あれから何時間が経過しているのか一士にはわからなかったが、どうやらそれほど長くは眠っていなかったようだ。身体はまだ各所で悲鳴をあげている。

時刻は夜なのか、右手にはカーテンの閉まっている窓、左手には無機質な扉。調度品は彼女の寝ているベッドの他には、部屋の隅の棚の上で、淡く光を発しているテレビのみ。話し声の正体はどうやらそれのようだ。絵に描いたような病室。

 無機質な扉が開き、山内が現われた。

「おや、お目覚めですか、一士様」

 ぼんやりと一士はうなずいた。それを確認して山内はナースコールを押し、部屋の隅の棚へと近づくと、テレビの向きを調節し始めた。

「もし、お目覚めにならなければ、こちらからお声をかけるつもりでございましたので」

 調整が終わったのか、山内は一士のそばに立ち、そう告げた。

 一士はうなずき、視線をテレビへと向ける。

 三波がその箱の中にいた。彼女の背後には護衛役なのか、皇師の儀礼軍服に帯刀し、サングラスをかけた青年がひとり。数少ない数冠者の生き残り、〝刀神〟椒四郎政宗。

 机をはさみ、相対しているのは井乃原まもるだ。そして彼女の後ろにも同じような役回りで、サングラスをかけ、夜色のコートをまとった少女が立っている。元、数冠者の〝毒蜂〟、柄沢九音であった。彼女のそんな服装を、一士は初めて見た。

 休戦協定の書類。その条件に、三波は目を通しているのか、うつむいて表情がうかがえない。同時にその内容が読みあげられていく――皇師の解散、主上の蟄居、柄沢一士の連盟による監視、戦争犯罪者の要求……

 同時にふたりはサインし、多くのフラッシュがたかれる。それに応えるようにふたりはカメラへ笑顔を向け、握手を交わす――

 目の奥がじわりと痛んだ。一士はテレビを見ていられない。思い出したように傷が、右腕の傷が痛み出した。井乃原に消し飛ばされて、今もどこかの空間をさまよっている右腕の、そのつけ根が痛み出した。

「うう――」

 いつ部屋に入ったのか、そばに立つ看護婦が手に持った注射器を一士の左腕に刺していた。それと、まだ身体に残っている麻酔のおかげか、一士は意識を失うように眠りに落ちた。


   *


 拝啓、柄沢一士様。

 ぶしつけですが、わたくしはこの年になって初めて、こういった封書というものをしたためます。初体験なのです。そのためこういった手紙の書き方というものをほとんど知りません。知っていると言えば、始まりと終わりの言葉ぐらいでございます。職業柄、これが作戦報告書や、命令書といったものなら勝手知ったるなんとやら、なのですが。

 おそらくなれなれしい文体が多々、目につくと思われます。どうかご容赦下さい。

 一士様、遅ればせながらおけがの具合はいかがでしょうか。あれから、あの戦争からもう一年がすぎました。〝天京〟もずいぶんと復興が進み、徐々にではありますが、戦争以前の人口と街並み、そして活気を取り戻しつつあります。ですが、いえやはりと言いましょうか、皇師側の戦没者を悼む碑は、どうあっても作らせてはもらえないようでございます。

 さて今回、わたくしが手紙をしたためておりますのはほかでもありません。三波様の処刑が執り行われたことを、お伝えするためでございます。直接に会ってお話できるのが、一番ではございましょうが、元、皇師兵であるわたくしは、一士様に近づこうとするだけで捕縛されてしまいます。おそらくこの手紙にも検閲が入ることでしょう。ですが、できうる限り詳細にお伝えできるよう、努力するつもりでございます。

〝天京〟と護国連盟とのあいだで結ばれた休戦協定は誰の目にも明らかなように、それは我々皇師側の人間にとってひどく理不尽なものでございました。皇師の解散、主上猊下の蟄居、一士様に対する連盟管理下における常時監視、といったものは目的が明確であるだけにまだ、理解はできます。ですが――戦争犯罪者の要求……これだけはどうしても理解できません。攻めてきたのは、あちらからであるはずなのに、いったい誰に罪を被せようというのでしょうか――もっとも、この理不尽な要求に関して三波様は最後まで、交渉期間の最後まで決して首を縦に振ろうとはなさいませんでした。ですが、おそらくこの時にはすでに三波様は考えておられたものと、僭越ながらわたくしは推測します。

 三波様は、交渉期間の本当に最後の日において、自らを戦犯として護国連盟へと出頭なされることを、決意なされました。自らをして悪役となることを決意なされたのです。三波様が最後の日にそれをみなにおっしゃられたのは、おそらくこの交渉を途中で放棄することをよしとしなかったから、自らの手でこの戦争を終わらせるためであったものと思われます。

 そして裁判は一方的に進み、弁護人による答弁が行われるでもなく、一方的に判決を言い渡され、あっという間に三波様は銃殺刑に処されることとなりました。わたくしは傍聴席におりましたが、このような裁判、わたくしは初めて見ました。

 処刑の日取りは恐ろしいほど早くに決まりました。それは裁判が行われてから一週間と経たない、異例の日取りでございました。井乃原まもるの配下が戦争より一年も経過していることから、急いだため、というのがもっぱらの噂でございますが、わたくしは知っています。三波様がそう望まれたからなのです。覚悟が揺らぐ暇を与えないため、とおっしゃられました。その時、わたくしは死に急ぐ必要はない、といった意味のことを申し上げ、説得を試みました。しかしそれは三波様のかたい決意を確認するだけでございました。

 三波様が処刑なされたのはご存知かもしれませんが、この春の終わりのことでした。屋外にて、恐いくらいに澄み切った青空のもと、三波様は椅子に座らされ、目隠しをされ、後ろ手に縛られておられましたが、それでも毅然と正面を見つめておられたのがとても印象的でございました。幸運にもわたくしは最期までおそばにいられましたので、三波様が遺された言葉を一士様にお伝えできます。

 執行人の方が決まり決まった文句で訊ね、うなずいた三波様はこうおっしゃられました。

「ひとりのオーガナイザーとして戦う理由を手に入れられたことを、私は幸せに思います。また今まで自分にかかわってくれたすべての人々に、ありがとう、を。そして最後に、」

 たとえそれが歴史の上で極悪人の遺した言葉となろうとも、わたくしは決して忘れるつもりはございません。

「一士――あなたの〝天眼ひとみ〟には、すばらしい世界が見えていますか?」

 そして、刑が執行されました。


 一士様、わたくしがあなたにお伝えできるのは、ここまでです。このような冗長な文章につきあって下さって、本当にありがとうございました。またいつか、必ずお会いいたしましょう。      敬具 山内清男


     *


 殺風景な部屋だった。白い扉、白い壁、白い天井。調度品といえばベッドと小さな机くらいしかない。その小さな机についていた一士は、片手で便箋を封筒にしまった。流れるようになめらかで、手馴れた感の伝わってくる動きであった。

 色の落ちた、漆黒の髪。セミロングだった髪はいつのまにか当時の三波を追い抜き、髪留めでまとめなければならない長さとなっていた。

「私にはもう……」

 椅子から立ち上がり、一士は窓へと向かう。日当たりのいい南向きの窓には、目立たないかたちではあるが鉄格子がはめられていた。

「三波、あなたとの約束しかないから――」

 窓によりかかるように一士はうつむき、ばちんと髪留めがはじけた。同時に髪の色が栗毛へと変容し、うるんだ瞳が透きとおっていく。

「ああ――」

 一士は見た。〝天眼〟の世界を。それはそう遠くない未来の世界だった。



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ナンバーズ・ストーリー 川口健伍 @KA3UKA

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