9
閃光の中、一士は理解した。井乃原まもるもおそらく理解したに違いない。なぜなら彼女達は〝四つの対なる神〟に選ばれた、〝調律者〟なのだから。
閃光が収まれば竜神の姿はなく、そこにはふたりの〝調律者〟がいるのみであった。
「どうやら……」
恐ろしい倦怠感の中、一士はつぶやいた。
「妹背同士の戦いは無理なようね」
「こればっかりは、あたしも知らなかったわ」
ゆらりと、井乃原まもるが立ちあがり、言葉をつなげる。いつのまにか彼女は、形を成した槍をたずさえていた。
「でも――だからこそあたしは譲れない! あんなクソ親父に負けるわけにはいかないのよ!」
叫び、井乃原まもるはかき消えた。おなじみの空間転移。
(性懲りもなく――)
一士は、動けなかった。
微小な空間の引き込み。そのささいな兆候を、一士がいまさら見逃すはずもない。たしかに彼女は感じとっていた。だが――
(こ、この、背中の痛みは――)
一士が振り向きかけた、その瞬間。現出した井乃原は斬撃を加え、即座に空間転移を行って、その姿をくらませた。
一士がそれに気ついたのは二撃目を左腕にもらった時だった。傷自体はそう深いものではない。だが、このまま同じような傷が生まれ、相応量の血を流していけば一士が昏倒することは間違いなかった。
(――チリも積もればなんとやらって、感じかしら)
井乃原は反撃を恐れている。だからこそのこの戦術。相手に致命傷を与えるような斬撃ではなく、相手に反撃させる暇を与えない命中率を無視したごり押し。空間転移の全力使用。使用者にかかる負担は半端なものではないはずだ。それでもこの戦術を選んできた――井乃原は本気だ。
ほんの数瞬の思考……もう数えられないほどの傷が、流れ出る血が、一士の戦装束をあでやかに彩っていく。血風が舞い、一士の視界がかすんでいく。
反撃どころか、避ける暇さえ一士には与えられなかった。このままでは切り刻まれた糞袋と成り果ててしまう。一士の中では、とっくの昔に恐怖の感覚は麻痺して、それとは別のとてつもなく大きな感情が一士の中で幅をきかせ、彼女が倒れることを許してくれなかった。
雨あられと降り注ぐ斬撃の中、一士は決意した。
「ああ!」
〝天眼〟を起動――奥の手は最後までとっておく。それが戦いの基本だ。
彼女の瞳に映るのは現世ではなく、〝天眼〟の世界。
現出した井乃原は一士の正面。
止めとばかりに繰り出すは、白金の穂先。
その先には一士が心の臓。
終わる。すべてが――
させない。させてたまるか。私はまだ――
「おまえが七生をぉ――」
諸手で握った小太刀を、一士は真っ向に振り下ろした。
手応えと悲鳴。散らばる兜の破片と赤い液体。
「痛い、痛いぃ、」
槍を投げ出し、両手で顔を押さえる井乃原。その場でうずくまり胎児のように身体をまるめる。鮮血に染まる甲冑がひどく鮮やかだった。
「井乃原まもる……」
「あなたはこんな思いを、人にさせ、」
どん。
身体をよろめかす衝撃とともに、小太刀を握っていた一士の右腕がひじの辺りからごっそりと消えうせた。
「え、」
そのことを一士が理解したと同時に、彼女の喉から耳を塞ぎたくるような絶叫がほとばしった。その切断面は傍目にはひどくきれいで、てらてらと肉色に輝いている。
「あんたには――」
のたうっていたはずの井乃原が一士のそばに立ち、ささやくように言葉を紡いでいく。
「わからないわ。生まれた時から、強いオーガナイザーであることを強いられてきた私の気持ちなんて。この戦争だって、あたしが強いことを証明するには、もっとも手っ取り早い方法だってみんなに言われて――あたしは、あたしにだって、」
砕けた兜の隙間に見える井乃原の顔は、一士が思っていたよりもずいぶんと若い。むしろ幼いといってもさしつかえがなかった。おそらくまだ二十代も前半だろう。
(似て、いるの……? 私に?)
井乃原まもるは、その配下のオーガナイザーにとって精神的な大黒柱であったのだ。強い井乃原まもるに、彼女の部下達は自分達を重ねることで強いオーガナイザーを再現しようとしていた――それは〝天眼〟を持ち、〝四つの対なる神〟とチャンネルし、市街民の期待を一心に受ける一士の立場と、ひどく酷似していた。
「……でも、あんたは――〝天眼〟を持つ柄沢一士はあたしを止めてくれなかった。失望したよ」
井乃原は転がっていた槍を構え、まっすぐに突き込んだ。白金の穂先が一士を狙う。確実に終幕となる軌跡。出血でぼんやりした一士にでさえ、そのことがよくわかった。もうどうにもならないのか――
「そこまでよ!」
ひどく懐かしい声が響き、それを詞とした流域が展開された。オーガナイザーが世界を誘導することによって、エネルギー恒存原理をぶっちぎり、物理法則をもぶっちぎるこの流域にとって、もっとも大切なことは区域・対象をしっかりと指定しなければならない、ということだ。もし間違えれば味方に攻撃系の、敵に防御系の流域を、といった手違いが起きてしまう。そういった意味でオーガナイザーの能力の中でもっとも修練を重ねなければならないのが、この流域といえた。
――満身創痍の一士を、薄く、なめらかな水の皮膜が包んだ。
穂先の激烈な衝撃は吸い込まれ拡散し、皮膜は耐え切れずに爆発する。
一士の視界を、あたたかい水蒸気が覆った。
「大丈夫、一士?」
視界が晴れると、一士のそばにスーツ姿の三波がいた。柑橘系の香り。肩までの黒髪を風にさらし、きつく結ばれた口元。珍しく化粧をしている。それでも眼下の隈は隠せていない。
そこに、三波がいた。一士のよく知っている、三波がそこにいた。
「柄沢三波……邪魔をするなぁ!」
砕けた兜の隙間から、井乃原の苦々しげな顔がのぞいている。
「護国連盟が盟主、井乃原まもるよ。私、柄沢三波は皇師総司令官として、あなたに停戦を申し入れるわ」
「停戦?」
「そうです。すでに護国連盟への打電は済んでいます。あとはあなたの判断のみ」
その時、一士は気がついた。自分達を取り囲むように半円を描く皇師兵の存在を。その半分が光学迷彩で姿を隠している。だが、そのすべてがあからさまに殺意を放っていた。
「――ちっ、」
井乃原が宙に浮く。三波は一士を庇うように身構え、がちゃがちゃという無骨な多重奏が、周囲から一斉に響いた。
「……わかった。だが――憶えていろよ、柄沢三波。邪魔したおまえをあたしは許さない!」
そう言い残して、井乃原がかき消えた。
同時に歓声が爆発し、明けゆく夜空に銃声が木霊する。
緊張の糸が切れたのか、一士がくずおれた。
(三波……私、約束、守れたの……かな……?)
「メディック、急いで!」
どこか遠くで三波がそう叫んでいる――そこで一士の意識は途絶した。
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