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 あれから三十年近くが過ぎた。

 荒野の人々は、まさか自分たちの命が吹き消されようとしていたとは露にも思わない様子で、今も日常を生きている。たぶんこれからも、空の向こうのことだとか、そういった本当のことを、彼らは何も知らずに生きていくことだろう。

 わたしたちが、〈マザー〉の期待したような道を歩めているのかは怪しい。むしろ、滅び去ったかつての〈人間〉たちと同じ轍を踏んでいるようにも思える。

 この短い間に、大きな争いが二度あった。かつて地球で暮らした人々が〈戦争〉と呼んでいたのは、こういうものを指すのだろう。別々の〈正義〉を掲げた二つの勢力が、武器を手に手に殺し合った。お互いに疲弊して、蟠りを残したまま握手を交わし、時が経てばまた睨み合う。そんな不毛なことが繰り返された。弟たちがそれぞれの戦いに一人ずつ出掛けていって、結局二人とも帰ってこなかった。

 家の牧場を切り盛りするのはわたしの仕事だった。

 幸いにして、どこかへ嫁ぐといった浮いた話もなく、サミィを初めとして働き手にも事欠かなかったので、特に支障がなかった。皮肉にも戦争によってソートの需要が増して、規模を広げることにも成功した。今も売り上げは増加中で、経営は父の代よりも順調に進んでいる。

 こういうことを言うと負け惜しみのように思われるかもしれないけれど、わたし自身、台所で働くよりも商談に出向く方が性に合っていた。今では、結婚に縁がないのは、右眼に掛けた眼帯のせいにしている。

 トマス=ブッツァーティが縛り首にされたと知ったのは、二つの戦争の合間だったろうか。新聞記事で読んだのだ。

 因果なことに彼はヒンクストン・クリークで捕まり、同じ街で刑に処されたらしい。銀行の金庫を破ろうとして仲間の裏切りに遭い、呆気なく捕まったのだそうだ。

 判事の調べで、同じ街で過去に犯した殺人が露見して、裁判もそこそこに縄に首を通すことになった。頭に麻袋を被せられる直前、彼は死刑台の上から観衆を見渡し、鼻を鳴らして嗤ったと、記事には書かれていた。

 〈ナサニエル・ヨークの虐殺〉は名前だけが歴史に残り、その実体は誰も知らないままとなった。虐殺を実行したという〈青い騎兵隊〉は結局その後、姿を見せていない。今では親が、言うことを聞かない子供を脅すための文句で使われる程度になっている。

 元々その役目を担っていたベルダーシュらテラーズの面々は、ローブを脱ぎ捨て、仮面を取り、今では街で普通に暮らしている。

 全員同じ顔を持つオルタナ(何も知らない人々はアンドロイドをこう呼び続けている)であることが一目瞭然ながら、その性能と、無表情だが男女問わず誰の眼にも眉目秀麗と映ることから妙な人気を集め、いつの間にか、彼女を傍に置くことが一種のステータスと見做されるようになっている。

 ドレスもタキシードも似合うものだから、伴侶として迎える人も少なくはないらしい。その容姿にのめり込むあまり婚約を破談にした令嬢の話や、あらぬ手出しをしようとして〈禁忌〉修正一条の餌食になった男もいた。少なくとも、わたしはそうした〈見栄え〉とは無関係に、昔のよしみで彼女を秘書として、それから〈右眼〉として雇っている。

 いつだったか、わたしは訊ねたことがある。

「いいの、人間の下働きで? あなたたちだけで暮らすことも出来るでしょうに」

「五百年も同じ面子で顔を合わせてきたのだ。いい加減に飽きた」

 そういうものなのだろうか。

 因みにこのベルダーシュは、わたしが地上に戻ってから現われた個体だ。ちゃんと〈記憶を同期している〉らしく、わたしも覚えていない船が墜落した際の様子を事細かに語ってくれた。この物語を記せたのも、半分は彼女のお陰だ。

 〈名なし〉の行方は、一向にわからなかった。

 あの日、硝子越しに見た姿が最後だった。

 仕事で方々出掛ける合間、各地で目撃情報を集めた。けれど、めぼしい知らせは得られなかった。訊けば訊くほど、もうどこにもいないのでは、という思いが膨らんでいくほどだった。ベルダーシュが、各地に散らばった彼女の仲間の眼を使っても、彼らしき人物が目撃されたことは一度もない。

 それでもわたしは、彼が同じ空の下にいると信じている。

 五百年もの間、たった一人で、この赤い大地を彷徨い歩いた彼である。きっと今も、黒ずんだマントをはためかせながら、どこかを歩いているに違いない。

 根拠のない願望だ。

 だけど一度だけ、こんなことがあった。


 その日は二十数年前に〈マザー〉が息を引き取った日だった。

 わたしはシロクシナダの花を摘み、両親と弟たち、それから彼女が眠る墓へと向かった。

 彼らの墓は小高い丘の上にあり、そこからは牧場を一望することが出来る。

 振り向くと、所々に、人工筋をしならせながら走り回るソートたちの姿があった。草原を渡る風が、草花のにおいを運んできた。

 オリガ=ブルガーコフの名が刻まれた墓石の前に立った時、思わず声が漏れた。

 そこに花束が置かれていた。

 この辺りでは見かけない、赤い花だった。

「あなたが置いたの?」わたしはベルダーシュに訊ねた。

「いいえ、マスター」彼女は言った。「私も、他のアンドロイドたちも、そのような行動はとっていません」

 それから彼女は花束をじっと観察した。

「これは低緯度帯のものです。少なくとも、ワイルダー周辺には自生していない」

「飛んできた、というわけではなさそうね」

「花束の形を取っていますから。それに距離があり過ぎる」

 わたしは肩を竦め、自分で持ってきたシロクシナダの束を赤い花の隣に置いた。

 通りがかりの旅人が置いていったのかもしれない――。この時はまだ、そう思っていた。寄ってくれれば、お茶の一杯でも出したのに。

 ふと隣を見やると、わたしの家族の墓には花束が手向けられていなかった。

 手持ちの花が足りなかったのかもしれない。まあ、そういうこともあるだろう。

 そこまで考えた時、頭の中で何かが弾けた。

 通りすがりの旅人が、そもそもオリガ=ブルガーコフの墓に添えるために花を持ってきたとしたら?


 風が吹いた。

 草花と共に、別のにおいが混じっていた。

 油と火薬と、土のにおい。

 わたしは顔を上げ、周囲を見回した。

 雪を被った山々から森林、草原。全ての方向へ目を走らせ、或るものを探した。

 地面の緑と空の青の丁度境目に、それは見つかった。

 見間違い、と言われれば納得してしまいそうなほど、遠くにあった。

 二本の脚。わたしにはそれが、ソートの後ろ姿に見えた。

 背中には、誰かが乗っていた。

 細かいところまではわからない。

 けれど、色は見分けることが出来た。たぶん馬上の人は、マントを羽織っていた。

 遠目には黒にも見えるマントである。

 その本当の色を、わたしは知っている。


〈了〉

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熒惑のストレンジャー 佐藤ムニエル @ts0821

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