11-3
風が吹いていた。
瞼を上げると砂が入ってきた。収まるのを待ってから、改めて眼を開いた。
一面の黄土色。ともすると、橙色にも近いかもしれない。その色は、私のよく知るものだった。荒野の色だ。
わたしは、乾いた地面に、うつ伏せになっていた。
記憶が上手く繋がらなかった。或いは長い夢でも見ていたような気になった。けれど、周りに落ちている銀色の残骸や、背後で煙を上げている拉げた金属の塊を目にして、ここが現実の延長なのだと知った。
身体は動いた。けれど左腕は、力を込めると鉛弾でも撃ち込まれたような痛みが走った。わたしは歯を食いしばりながら、腕は使わずに立ち上がった。
立ってみて、視界が狭いことに気が付いた。右側が暗いのだ。
前髪のせいかと思い、首を振っても変わらなかった。左腕を押さえていた右手を使って払おうとしても、結果は同じだった。
ただその時、右の指先に妙な感触があった。
見下ろした指先が、赤黒く濡れていた。更に、同じ色の滴が数滴、掌に落ちた。
左側で何かが光った。
地面に突き刺さる銀色の破片が、わたしの姿を映していた。
顔の右半分が血で濡れたわたしの姿を。
たぶん、もう右の瞼を上げることは出来そうになかった。動かそうとする意思は通じず、痛みさえ感じられなかった。
片方だけ残った眼で、辺りを見回した。
煙を上げる金属は、わたしたちの乗っていた〈船〉なのだろう。その向こうの地面には、長い距離を引き摺ったと思しき太い轍が刻まれていた。
船の近くの地面に人影があった。正確には、人の上半身、だけど。
ベルダーシュだった。仮面は取れたのか、元々付いていなかったのかわからなかったので、船室で一緒にいた彼女かは判断できない。見上げた金属に引っ掛かる形で、もう一体のテラーズの姿があったので、たぶん、わたしと喋っていた彼女なのだと思う。いずれにせよ、もうわたしの話し相手にはなりそうになかった。
大地を渡る風の音に混じって、声が聞こえた。
呻き声だった。
左眼を地面に走らせると、残骸の陰に、微かに動いているものが見えた。
近付いていくと、ブーツの爪先だとわかった。〈名なし〉の姿を思い浮かべながら、残骸を回り込んだ。けれど、わたしの予想は――期待は、あっという間に泡となって消えた。
残骸のつくる影の中に、仰向けで倒れていたのはブッツァーティだった。
全身を至る所に打ち付けたのか、顔は血まみれ、手足はあらぬ方向へねじれていた。それでも、胸は浮き沈みを繰り返し、血と土で汚れた唇は空気を取り込もうと動いていた。
感覚のなかった右眼が、一度だけズキリと痛んだ。
影の中から虚ろな眼差しが、こちらを向いた。
「よう……また会ったな……」
周りの地面と同じぐらい、乾いた声だった。意識が朦朧としているのか、呂律が怪しかった。
「殺すかい、俺を……? 殺せねえだろ……」
彼の顔で、刀傷が縮んだ。わたしの心を燃やすために存在するような笑み。
腰のホルスターから銃を抜いた。父の拳銃だ。どんなことがあってもこの身から離れなかった奇跡を味わうことも忘れ、わたしは銃口をブッツァーティへ向けた。
彼は影の中で、ニヤけたままだった。
撃鉄を起こし、狙いを定める。
「撃ってみろ……」
引き金に指を掛ける。
「お前には無理だ……お前に俺は殺せねえ……」
奥歯を噛み締め、人差し指に力を込めた。
――けれど、そこまでだった。
その小さな金属を引き絞ることは、何十メートルも幅のある谷を飛び越えるのと同じことだった。
撃ってしまえば、却って彼を苦しみから救うことになるとか、そんな余計な言い訳は浮かばなかった。ただ単純に、わたし自身の問題として、引き金を引くことが出来ない。それだけのことだった。
随分長い間、そのままでいた気がする。
影はいつの間にか移動していた。今やわたしの足元からも、ヒビ割れた地面の上を斜めに伸びていた。夜の闇よりも深い黒だった。
咳き込むような音がした。
渇いた笑い声なのだと、遅れて気付いた。
「ざまあねえ」ブッツァーティの掠れ声が呟いた。
頭の中で、何かが弾けた。
〈マザー〉の声が聞こえた。
引き金を引くのは、最後でも遅くない――。
その声を、耳を劈くほどの銃声が掻き消した。
立て続けに六発。
辺りに轟く残響が風に吹き流されても尚、わたしは引き金を引き続けた。乾いた金属の音が耳に届いたのは、しばらく経ってからだった。
ブッツァーティの、安い硝子細工のような眼差しがこちらを向いていた。瞳の中で光が揺れ、やがて目の端からこぼれ落ちた。こんな風に表すと綺麗なもののようだから付け加えると、口の端からは涎が垂れていた。
「失せなさい、悪党」わたしは言った。
地面の上で小刻みに震える、父の敵に。
六発の銃弾を受けても形を変えない、己の影に。
「――失せなさい」
真っ青な空には、〈天の揺りかご〉の破片が燃え尽きながら作る白い筋が、いくつも走っていた。
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