第23話

 マヤが目を覚ました時、身体を柔らかく包み込むベッドの中にいた。朦朧とした意識の中、周囲に視線を向ける。純白の布団、汚れ一つ無い部屋。高級感のある家具や装飾品。マヤにはどれ一つ見覚えがなかった。

 身体を起こして布団から出る。敷かれているカーペットは軽く沈む程に柔らかく、マヤに宙に浮いているかのような感覚にさせた。自らの服装を見れば成人式に着たドレスではなく、これも真っ白で刺繍等のないシンプルな、足首まで長いワンピース。自分の身に何が起こったのか、マヤはまるでわからなかった。

 ここがどこだかわからない。保護されたのか、監禁されたのか。いずれにせよ、ここから脱出する選択肢を選ぶ可能性を考え、武器になるようなものがないかとマヤはそのまま周囲の探索に入る。

 朝日が差し込む窓は壁に埋め込まれていて開くものではなかった。外を覗くと三階程の高さからハダルの街を見下ろしていることがわかった。見える範囲で建物を確認し、自分がいる位置を考える。



「……商店街。ギルド。だから、北西?」



 街の北西は貴族やエアリアス教の施設等が建てられている場所だ。スキル付与の儀式で起きた被害者ということでここに運ばれたのだろうとマヤは推測し、ここにいるのは自分だけだろうとも考える。



「神聖術……か」



 右手を顔の前まで上げて、じっと見る。自分に付与された特別なスキル。これによりエアリアス教から重要人物として扱われ、ここにマヤ一人だけ運ばれたのだろう。

 現状に歯嚙みしながら、マヤはスキル付与の儀式を思い出す。黒い竜巻の中で助けを求めるノア。自分はノアを助けることが出来たのだろうか。それがわからないから怖い。自分が置かれている状況よりも、ノアの安否がわからないことの不安がマヤの心を蝕んでいた。

 そこに部屋唯一の出入口である扉から、ノックする音が鳴る。マヤの身体に緊張が走るが、そのまま動かないことを選択した。まだ事を荒立てる必要はない。保護されたのであれば、危害を加えるようなことはしないはずだという判断だった。



「失礼致します」



 扉を開けて中に入ってきたのは、黒い修道服に身を包んだ女性だった。髪は見えず、顔と手のみが肌を出している。女性にしては背が高く、マヤよりも拳二つ分は上だ。窓際に立って女性を警戒する視線を送るマヤの姿に、女性はにこやかに微笑んだ。



「良かった、目を覚まされたのですね。聖女様がここに運び込まれてから既に翌日になっているのですよ」


「……貴方は?」



 既に成人式から一日が経過している。マヤはそのことに驚きながらも、表情に出さないよう務めながら女性に問いかける。すると女性は深々と頭を下げた。



「申し遅れました。私はシュリー=エルアノと申します。聖女様の身の回りのお世話を任されました。どうぞシュリーとお呼び下さい」



 頭を上げた女性――シュリーは再び笑みを浮かべた。しかしマヤはシュリーの言葉に再び困惑していた。

 聖女様といのは、マヤのことを言っているのだろうか。過去に聖者様と呼ばれた人々と同じスキルを授かったという理由だろうか。そうだとしても、マヤ自身は聖者と呼ばれる存在には崇高な人物であると想像していた為、マヤ自身が聖者として扱われる等とおこがましいのではないかと考えた。



「聖女様には状況をご報告する必要がおありでしょうが、まずは腹ごしらえと致しましょう。食事をお持ちしますので、少々お待ちください。食後に司教様よりご説明が入りますので」



 失礼致しますと再び頭を下げたシュリーが、扉を閉めて退室する。再び一人になったマヤは、突然降りかかった情報を頭の中で整理することに精一杯だった。

 もしかしたら、事態はマヤが考える以上に大事になっているのではないか。部屋にテーブルとセットで備えられていた椅子に座り、マヤは考え込む。

 推測していた通り、マヤは聖者……聖女としてここに運ばれた。スキルを知っているのはエアリアス教の者と魔法研究所のスキル専門家のみ。シュリーの服装を見ても、恐らくはエアリアス教が保護したと見て間違いないだろう。

 問題はスキル付与の儀式の前後と、ノアの安否。しばらく悩んだ結果、マヤは何もしないことを選んだ。これからエアリアス教の者から話を聞くことが出来るのだ。それを聞き、感謝を述べて帰宅すればいい。同じ街にいるのだからここを離れても問題ないだろう。

 そう決めてから一つ深呼吸をしたところで、再び扉がノックされる。扉が開いた時、食事を乗せているであろうカートを押してシュリーが入り、その後ろから見知らぬ男性が入ってきた。

 服装はフーリーエと同じ色合いの、立襟の背広姿。顔を見る限りフーリーエよりは若く感じられ、柔和な笑顔を浮かべているがしかし、その視線はマヤを品定めするかのようで不快感を与えていた。



「おお! 目を覚ましましたか聖女様。どこか身体の痛むところ等はありませんか?」



 オーバーリアクションでマヤに問いかける男性。服装を考えるとフーリーエと同じく司教なのだろう。シュリーと同じく聖女と呼ぶが、マヤは警戒心をそのままに無言で男性を見据えていた。



「ああ、失礼致しました。突然のご無礼をお許し下さい。私はアクール=ファタリカブスと申します。私から聖女様へご説明させて頂きますので、どうぞ腹ごしらえをしながらでもお聞き下さい」



 突然演説のように語り続ける男性――アクールと、それに頓着せずマヤの目の前にあるテーブルに洗練された動作で食事を置いていくシュリー。食器の当たる音を極力無くした動きにマヤは感嘆する。シュリーの動作一つ一つが訓練の賜物だとわかり、自分よりもシュリーの方が聖女様と呼ぶにふさわしいのではないかとも考える程だった。

 目の前に置かれた食事。見た目でふかふかに柔らかいものだとわかるパンと、根菜の浮かぶ湯気の立つシチュー。みずみずしい野菜で作られたサラダには白いドレッシングがかけられている。



「……テーブルマナーには目をつむってくださいね」


「もちろんです! 意識して下さるだけでも十分、今後覚えていけば良いだけのことですよ」



 マヤの言葉にアクールが仰々しく頷く。今後、という言葉にマヤは蜘蛛の巣にかかった餌になったかのように拘束されたような感覚を覚えるが、マヤは堂々と食事に取り掛かる。

 食前の簡易的な祈りにアクールとシュリー二人ともの眉がぴくりと動いたことをマヤは見逃さなかった。

 ともあれ空腹を覚えていたのは事実だ。手に取ったパンはやはり柔らかく、手で感嘆にちぎることが出来た。これならスープで柔らかくする必要はないだろうと考え、パンをそのまま口に運ぶ。続いてスプーンを使ってスープを呑むと、乳の甘さが香りと共に広がり、上質な食材を使用して作られていると理解できた。総じて、とても美味しい。

 そのままマヤが食事を堪能していると、シュリーがテーブルを挟んでマヤの正面にある椅子を引き、そこにアクールが座る。マヤからすれば、アクールの笑顔でありながらもねめつける矛盾するような視線を向けられたままではどんな食事も美味しくなくなると考えるが、それも無視して黙々と食事を続ける。



「そのままお聞き下さい。聖女様は現在、エアリアス教の教会におります。ハダル階下で行われた成人式、そしてスキル付与の儀式にて発生した爆発、そして魔力溜まりにより意識を失っておられたのです」



 アクールが語り始め、マヤはスキル付与の儀式を思い出す。突如爆発的に噴出された魔力によりあの黒い竜巻が発生し、魔力溜まりになったらしい。負傷者は多数、しかし死者はいないと聞いてマヤは胸を撫で下ろす。

 しかしマヤにとって肝心なことがわかっていない。マヤは食事の手を止めて食事と共に添えられたナプキンで口を拭い、アクールに問いかけた。



「当日儀式を受けた人の中で、ノア=ファリノスがいます。彼はどうなっていますか?」



 マヤに問われてアクールは笑顔をひそめ、腰のポケットから折りたたまれた紙を取り出して広げる。



「ノア=ファリノス……ノア=ファリノス……ふむ」



 恐らくはスキル付与の儀式で起きた事件の資料なのだろう。そう考えていたマヤだったが、アクールの浮かない表情に徐々に焦りが生まれる。全てわかっているのに言いあぐねているような、もしくはもったいぶって焦らしているかのような素振りに、マヤは少しずついら立っていた。

 紙を再び折り畳みポケットにしまったアクールは、神妙な面持ちでテーブルに肘をついて両手を組み、口を開いた。



「……落ち着いて聞いて下さい。当日に怪我人は皆救助されましたが、一人だけ行方不明者が出ております」



 行方不明者。ハダル会館という限定的な場で起きた中での行方不明者と聞いて、マヤは一つしか心当たりが無かった。

 あの黒い竜巻の中、助けを求めた人影。不明瞭で判断出来ない状況であったが、マヤ自身は確信していた誰か。

 そして、ノアの名前を挙げて行方不明者の話になった。それは即ち。



「…………まさか」


「はい。ノア=ファリノスその人です」



 突き付けられた現実に、マヤは思考を止めざるを得なかった。アクールへと向けていた顔が徐々にうつむき、自然と自らの手を眺めるようになる。

 ノアが行方不明。マヤは再び思い出す。身体が欠けた人影。こちらに伸ばすも崩れ落ちる腕。唯一届いたはずの顔。

 必死だった。助けたかった。あれはノアだったと確信していた。だから――だから、行方不明になった可能性のある人物は、ノア以外に思い浮かばなかった。



「これから医者をお連れ致します。身体が快復するまでは、どうぞこの教会でおくつろぎ下さい」



 マヤの心境を察したのだろう、アクールはそう告げて席を立つ。同じくシュリーもまだ食べかけの食事をカートに下げ、二人が一礼して退室する。



「ノア……」



 二人が去ったことも気にならず、呆然としたマヤの口からぽつりと言葉が漏れる。それが誰かの耳に届くことは無かった。

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一等星《シリウス》の輝きへ-二人は冒険の旅に出る- つしまいたる @itaru8sleepy

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