第6話-c 独白

 暗い暗い闇の中からゆっくりと浮かび上がるような感覚があった。

 目覚めるとそこは自分のベッドだった。身動みじろぎをした瞬間に全身に痛みが走った。思わず呻き声が零れた。

 ふと横を見ると、クリシュナが椅子に腰かけて眠っている。

 なんとか町まで歩いて帰ってくることができたのは覚えている。夜中に突然傷だらけで帰ってきた僕を見つけたクリシュナが、とても驚いた顔で何かを言っているのが分かった。

 その後のことは思い出せない。

 起き上がろうとして、上半身に力を込めると、背中が激しく痛みベッドに倒れ込む。首と右手だけでゆっくりと自分の体を確認する。あちこちに包帯が巻かれていた。自分の状態をみて、よくもまぁ生きて帰ってこれたものだと自分で自分を褒めたくなった。それくらいひどい状態だった。

 椅子に腰掛けて眠るクリシュナが頑張ってくれたのだとわかる。

 感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになった。

 本当に、よく生きていた。死んでもおかしくないケガだったし、死んでしまうかもしれないと覚悟はしていた。それでもやはり、こうして安全な場所で冷静になると、恐怖で全身が震えた。

 恐れを振り払うように頭を振ると、きつく目を閉じた。

 知らぬ間に僕は眠りに落ちた。

 


 次に目覚めたとき、クリシュナはすっかり起き出していた。

 僕が目を覚ましたことを目ざとく見つけると、状態を細かく検分するように覗き込んできた。

 僕は声をかけようと口を開いたが、掠れた音とともに空気が吐き出された。クリシュナはすぐに手で僕を制すと、何も言うなと言うように首を振った。

「無理をするな。ひどい怪我だった。しばらくは動かないで寝ていた方がいい。」

 僕は言われたままに頷く。

「昨日の昼にアナンヤとその子供たちが血相を変えて町へ駆け込んできた。マガンに襲われたのだと言う。鋭い爪と牙を持っている。なんと言えば伝わるのか、とにかく巨大な生き物の名だ。普通の人間が森で遭遇して助かるような相手ではないのだ。だが三人が三人とも怪我もなく帰ってこれた。奇跡的なことだ。アナンヤは神のおかげだと言っていたが、私はそうは考えていない。」

 そう言って言葉を切ると自分をじっと見つめる。真実を探るように。

「お前がやってくれたのだろう?倒せたのか?」

 そう言って言葉を待つクリシュナに一つ頷いてみせると、顔を伏せてほっと息をついて、小さく無茶をする、と呟く声が聞こえた。

 再び顔を上げたとき、その目には一つの決意が伺えた。

「アオバ、お前にも話したいことや聞きたいことがあるかもしれない。でもどうか私に先に言わせて欲しい。」

 そういって神妙な顔で椅子に着く。

「アナンヤはあれでも私の子供のころからの数少ない友人の一人なのだ。お前のおかげであの家族は、ひいてはこの町の全員が救われた。」

 クリシュナが僕の目をまっすぐに見ながら言う。

「ありがとう。町の皆に代わって礼を言わせてほしい。本当にありがとう。」

 そう言ってクリシュナが胸に両手を置く。この世界での感謝の印だ。僕は間抜けな顔をしていたかもしれない。

「私は、お前が何をしてくれたのか知っている。どれほど感謝しても仕切れないだろう。お前がいてくれて本当に良かった。この町に来てくれてありがとう。心からそう思っている。」


 息をのむ音が自分ののどから聞こえた。

 そして、その瞬間、すべての苦労が報われたように感じた。

 ギルレンたちの失敗から、僕は自分のすることに何か見返りを求めようとは思っていなかった。親切にしても、必ずしも親切で返されるとは限らない。だから、こうやって感謝されるなどとは期待していなかった。


 そうだ。

 たしかにあのとき、見返りを求めて行動したわけじゃなかった。ただ守りたいと思った。この世界で僕が知る人の数はあまりに少なくて、その数少ない人たちが少しでも幸せでいてくれるなら、それが自分にとっての一番の幸せであるような気がした。

 結局は自分のためのようなものかもしれないけれど、周りの人が幸せであることが、僕には一番大切だと思われたのだ。

 この世界では人は容易く死んでいく。季節二つ分以上もこの町で暮らし、僕はいくつかの死を見た。なす術もなく緩慢に、または雲ひとつなく晴れた日に唐突に、あるいはあらゆる手を尽くしながらも何の甲斐もなく死んでいく。

 人々は避けられないと知り、ただひたすらにその哀しみを受け入れ耐えるしかない。

 僕が感じているように。

 だから、助けたいと思った。突然の哀しみに直面することがどれほど辛いことかを僕は知っているから。

「アオバ、お前は立派だ。本当に。ありがとう。」

 そういってクリシュナは僕の手を握った。力強く。それは、クリシュナが力を込めて握り込むほどに、僕にとって、彼がいかに僕を信頼しているかという証明となった。


 あぁ、僕は、本当は誰かにありがとうと言って欲しかったのだ。


 感謝されることなど期待していなかった。誰も、僕を厭いこそすれ感謝などするはずがないと思っていた。

 そう思い込もうとしていた。

 けれど。

 本当は……。


 耳に届いた言葉こそ、本当に欲しかったものだと気づく。

 胸の奥でガラスの割れるような音が小さく響いた。

 そして僕は思い出した。他人とはこんなにも温かいものだったのだと。

 僕の手を握る大きな手の力強さを僕は感じていた。

 今までのことが、一時いちどきに頭の中に思い出された。

 矢継ぎ早に様々な光景が、この世界で意識を取り戻してから経験してきた、いろいろなことが、一気に眼前に映し出された。

 大変なこともあったけれど、それ以上に美しいものをたくさんみてきた。

 それでも、思い出に棲む僕はいつも、一人きりだった。

 何を見ても、何をしても心は虚しいままだった。喜びも感動も全て自分ひとりの中で完結し、この思いはどこにもつながることなく、世界に溶けて消えていくだけだと思っていた。

 そうやって、誰ともつながることなく、一人で死んでいくのだと、そう思っていた。感じたことも考えたことも、全て僕が死んでしまえば、初めからなかったように霧散していく。

 だから。

 だから僕は……。

 自分の両手を見る。力強く握られた手を。


 両の目から何か温かいものが零れ落ちるのを感じた。

 なんだろうと下を見ると、手の甲に雫が光っていた。

 後から後からとめどなく涙はこぼれた。

 涙の粒が幾筋も、僕の頬に温かい流れを作るのがわかった。

 クリシュナの目が大きく見開かれるのをみた。

 何か言わなくてはと思ったけれど、取り繕う言葉は言葉にならず、ただしゃくり上げる音となって僕の口から漏れた。後から後から、止めようと思っても止めることのできない嗚咽だけが、喉を通り口をついて出てきた。

 そうすると、突然クリシュナが僕を抱きしめた。父親が子供にするように。



「よくやった。」



 止めどなく、後から後から涙が頬を伝った。


 自分の居場所を見つけたのだと、思った。

 

 

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ゴブリンに転生してしまった…… たろう @under_sorrow

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