第6話-b 独白

 その日は冬に備えて細々とした準備をしていた。冬を前に、町へ行って必要なものを購入してこなくてはならない。雪が降ると麓まで降りるのは一苦労だ。だから雪が降る前に済ませなくてはならない。馬を全ての家で飼っているわけではないので、町へ出かけるときは他の者の分も代わりに購入して来るのが、毎年この時期の私の仕事だ。。

 希望を聞き、金を預かる。全ての取りまとめを今日中に終わらせ、明日町へ降りる段取りになっていた。

 一番近くの町までは、馬でも五日かかる程度には離れている。ときどき町から商人が品物を売りに来たりもするが、彼らが扱うのはおおむね生活必需品で、ときどき変わったものが混じっている程度だ。

 だから、頻繁には購入しない衣類や仕事用の道具類は、どうやっても町まで買いにいかなくてはならない。町が寂れる前なら鍛冶職人もいたのだが。

 私が木札に、頼まれたものと預かった金額をまとめているときだった。アナンヤが子供二人を抱えながら、血相を変えて町へと駆け込んできたと知らせがあった。森でマガンに襲われたらしい。

 広場へ走るとアナンヤと兄妹が落ち着きなく騒いでいる。外に出ていなかった住人のほとんどが広場に顔をそろえて、三人を取り囲んでいた。

 アナンヤは興奮冷めやらぬようにいかに巨大であったか、いかに恐ろしい体験であったか、いかに自分が子供たちを守るために勇気を奮ったかを唾を飛ばす勢いで語り続けていた。彼女の女友達の何人かが一生懸命宥めすかし落ち着かせようとしているが、効果はあまりないようだった。

 同時に子供たちまで一生懸命にしゃべろうと口を開くのだからもはや収拾もつかないだろう。

 彼女の言うことはいつも支離滅裂で、言っていることを理解するためには、根気よく順序立てて聞き出してやらねばならない。

 その役目はいつも私に回ってくるのが納得がいかないが、適役のはずの町長や神主でさえ、アナンヤには手を焼いていた。

 私が広場に到着すると、みな安堵したような顔で期待の目を向けてくる。

 アナンヤの傍に案内され、膝をついて話しかける。アナンヤは即座にさきほどまで大声でしゃべっていたことを、新参の私に対してものべつまくなしに語って聞かせようと意気込んだ。

 私は手を上げてそれを制すと、いつ、どこで、なにをしていたのかをまず聞き出した。同時に、同じことを二人の子供にも質問する。アナンヤはいつでも大げさに話す癖があるため、どの程度真実に近いのかを確かめる意図もあったし、怖い体験をした幼い兄妹の気持ちの整理もしてやらねばならないと思ったからだ。

 それから、そこで何を見て、何が起こったのかを聞く。私の話し方を普段アナンヤはあまりにも落ち着きすぎていると非難するが、町の人々が私に期待しているのはその落ち着きだった。アナンヤに言わせると、私はいつも話の腰を折るのだそうだ。

 狙い通り、彼女は私との会話で徐々に興奮を収めていく。

 よくよく話を聞いて総合すると、栗拾いに家族ででかけ、籠いっぱいに集まったので休憩しているところに、突然マガンが現れたとのことだった。午前中いっぱいをかけて集めたのにもったいないと彼女はため息をついたが、マガンに出会って命があったのは奇跡としかいいようがない。

 本来はこの辺にはいないはずの動物だった。凶暴で狡猾、動く物はなんでも襲う生き物で、全長は熊以上もある。人里にでたときは領主や国に討伐を依頼しなくてはならない相手だ。

 動きも素早くアナンヤのような女性が、子供を抱えて逃げ切れるような相手ではない。だからこそ、話を聞いた皆は彼女の話が信じられなくて、私を呼んだのだろう。

 彼女はいつでも話を誇張するのだから。

 私は皆が疑問に思っている点、つまりどうやって逃げ切ることができたのかを聞くと、誰かが逃がしてくれたのだという。襲われて、もう駄目だと思ったとき、死を覚悟したけれど、自分は子供たちだけでも逃がしてやるつもりだったと声高に言い募るアナンヤを制して、私は詳しく話を聞く。

 もう逃げられないと思い、崖から飛び降りるかどうかというとき、見えない誰かがマガンに向けて矢を射たのだという。彼女たちから獣の注意をひきつけるために石をぶつけ、三人に逃げるよう指示をだしたのだそうだ。そのおかげで自分たちは辛くも逃げ切ることができたのだと、アナンヤは身振り手振りを交えて臨場感たっぷりに話した。

 その逃がしてくれた人はだれかわからないのかと、神主が聞いたが、分からないという。幼い兄妹も同じようにわからないと首をふる。聞いたことのない声だったそうだ。アナンヤは神様かもしれないといい始めた。

 これにはさすがに神主も困惑した顔をしていた。

 同時に私の心には一抹の不安がよぎった。それは予感のようなものだった。

 私は彼女の息子と娘にも、まだ子供ではあったが、話を聞いてみると、彼女の話と大きな齟齬そごがないことがわかった。子供であることを差し引いても、三人の見聞きしたものが一致している点は無視することができない事実だ。

 助けた声の主は誰なのか、今この場にいない者の名前が次から次へと挙げられるが、どれもそういった勇敢な行動をする人物としてはふさわしくない。この村で戦える男はそう多くはないのだ。

 町長や町の男どもが訝し気に首を捻っている傍で、娘のサラエが何か言いたそうに、でも大人に囲まれて言い出せずにいる表情をしていることに気付いた。

 何か伝えたいことがあるのかと、私はできるだけ穏やかに話しかけると、我が意を得たりといった表情で、逃げるときに小さな人を見たのだと話し出した。緑色をした小さな人が自分たちを逃がしてくれたと。

 そのときの私の衝撃をなんといったらいいのか。顔に出さないように精神力を総動員しなくてはならなかった。心臓が大きく跳ね、眉が片方吊り上がったのがわかった。

 口々に人々が、サラエの母と兄も含めて、それは見間違いだと言い募った。ここにくるまでの道中でも主張したけれど、母にも兄にも否定されていたのだろう、悔しそうな顔で本当に見たのだと躍起になって主張する。

 私は気が気ではなかった。

 マガンなど、一匹を相手にするのに腕に覚えのある者が何人も必要になるほどに凶暴だ。すばしっこいだけの非力なアオバ一人でどうにかなるような相手ではない。

 もちろんこれだけでは確証が得られたということにはならない。しかし、私には確信があった。

 無事でいるのか殺されてしまっているのか、私は心の奥でそればかりが気になっていた。

 結局、町の外に出ていた人全員を集めたが、だれ一人欠けることなく集められ、みんな無事であることが確認された。そして、誰一人としてマガンに遭遇していないこともわかった。

 誰が三人を助けてくれたのかわからないまま、これから数日は決して森へ近づかないこと、私の町への買い物は延期すること、町の入り口に見張りを立てることが取り決められ、集会は解散した。

 私はすぐにでも森へ行きたかったが、例え行ってもできることはないのだとわかっていた。アオバが無事であるはずだと、全く慰めにもならないことを自分に言い聞かせ、家へと戻らねばならなかった。

 長い一日だった。日はすっかり短くなったのに、これほど夕暮れの到来を遅く感じたことはなかった。しかし、日が暮れても待てど暮らせどアオバはもどってこなかった。

 いつもなら日が暮れると同時に帰ってきて、いつものように手を洗い体を清め、夕食の手伝いをしてくれる。なのに、その日はいっかな帰ってこなかった。

 私はじりじりするような焦燥感にとらわれ、食欲も全くわかなかった。夜の仕事も手につかず、眠ることもできず私は待ち続けた。外で待とうかと思い、家の中で待っても同じだと思いなおす。立ったり座ったりを繰り返した。

 そうして自分の不安を落ち着かせるため、外の空気を吸おうと思った時、外へとつながる扉に何かがぶつかる音がした。

 私は跳ねるように椅子を蹴飛ばして立ち上がると、大股に扉へ近づいて開けた。何か重いものがひっかかったように扉は動かなかった。

 力をこめて扉を押し開けると、隙間から洩れた光の中に小さな足が片方見えた。誰のものかはすぐにわかった。私は即座に力を込めて扉を開けた。

 全身血だらけのアオバが扉に寄り掛かるように座っていた。

 

 その後のことは断片的にしか覚えていない。できる限りのことはした。何度呼び掛けても反応はなかった。息があることを確認し、体をきれいにし、針と糸で傷口をぬいつけ、できる全ての処置をしてベッドに寝かせたときには、東の空が白み始めるころだった。

 私はぐったりしてベッドの傍の椅子に身を投げ出していた。こんなに必死になったのはいつぶりだろうか。

 この小さな体でどれほどの無理をしたのか、想像することさえ恐ろしい。爪痕が生々しく腕と背中に刻まれていた。細かな傷は数えてもきりのないほどあった。両の足は皮膚がさけたところに土が入り、見るも無残な状態だった。

 いつも腰につけていたナイフが見当たらず、矢筒には一本の矢もなかった。私が与えた服もボロ切れになり果てていた。辛うじて弓だけを抱えていた。

 死んだように眠る横で、私はなす術もなく座っているしかなかった。


 命がけであの兄妹を守ったのだと、私にはわかった。

 私は一日つきっきりで看病をした。それが、自分にできる全てだった。

 私はただ祈った。これほど真剣に祈ったのは、妻と息子が死んでからはないことだった。

 時折苦しそうに声を上げる横で、私は考えていた。

 どれほど恐ろしく、どれほど痛かったか。これほどちっぽけな体で、巨大な相手に立ち向かうために、どれほどの勇気をふるったのか。

 もしアオバが目覚めたら。きっと目覚めると信じている。もし目覚めたら、言ってやらねばならない言葉があった。

 孤独の中一人、誰に愛されるでもなく、誰に褒められるでもなく、誰に頼られるでもなく、誰に信じられるでもなく、それでも、人のために戦うことのできるその勇気と気高さに、私は報いなければならない。何も知らないあの三人に代わって。死なずに済んだ町の皆に代わって。

 誰が知らなくても、私だけは知っている。唯一人私だけが真実を知っていて、私にしかしてやれないことだ。

 小さく声を上げ、身じろぎを繰り返している。目覚めは近いかもしれない。

 その誇り高い魂に、私は畏敬の念を抱かずにはいられない。

 アオバはただのちっぽけなゴブリンなどでは決してなかった。

 

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