灰色の僕と青い海と紅く広がる世界

九条蓮@MF文庫Jより『壊れ君』発売決定

灰色の僕と青い海と紅く広がる世界

 夏の青い海を見ていた。

 冷房の利きの悪い江ノ電の車窓から、流れるように景色が移ろいでいく。しかし、水平線の彼方は何も変わらずにゆらゆらとゆれていた。

 僕はそんな景色をぼんやり眺め、頭の中を空っぽにした。

 ゆったりとした景色と、駆け足で過ぎていく日常の間に挟まれ、何の目的もなくただただ時間は過ぎていった。


 社会に出てからもう早くも5年が経った。

 世界に夢を見ていた自分も、自分に期待していた自分も、意欲を持っていた自分も、もうここにはいない。

 ほんのひと時の週末という休みの為に身を粉にして働き、週末だけ本当の自分になれる。しかし、日曜日の夜にはすでに気持ちは翌日へと向いており、鬱々とした気分が蘇ってきている。きっと多くのサラリーマンが味わう感情だ。


 他のサラリーマンとの違いは、僕には趣味がないということだろう。

 会社の同僚のようにテニスが趣味でもなければ、ジムで体を鍛える余力もない。家に帰って食べて寝て、働いて、食べて、寝て⋯⋯それを繰り返すだけの日々だった。

 学生時代の友達は次第に結婚していき、少しずつ飲み友達も減っていった。そんな僕の休日の過ごし方なんて、本当に侘しいものだった。

 食べて寝て、映画かテレビを見るか、PCでネットサーフィンをするか、通販で何かを買うか、そんな事しかすることのない週末だった。

 好きな事を諦めていなければ、こんな人生にならなかっただろうか。

 好きな事を続けていれば、こうはならなかっただろうか。

 夢を追っていれば、こうはならなかっただろうか。

 そんな過去への問いかけが続いた。


 そうこうしている間に江ノ電は江ノ島駅に着いた。

 夏の江ノ島は活気があって好きだ。”楽しい”という感情に溢れている世界だ。

 じわっと暑い空気と潮風が僕を包み込み、江ノ島にきたなという実感を与えてくれる。


 江ノ島の人々は、一言でいうと、カラフルだ。

 もちろん、髪色や服装、水着などがカラフルだといっているわけではない。パリピが多いので、もちろんそういったことを否定するつもりはない。ただ、彼らは放っているオーラそのものがカラフルなのだ。


 それはきっと、この海で何かをする事、泳いだり食べたりする事を楽しみにしてきているからだ。ナンパをしたりされたりするのも、彼らの楽しみの一つなのかもしれない。

 同じ場所にいるのに、僕だけがカラフルじゃない。僕だけがそこの住人になりきれていない。

 僕だけが灰色だった。

 きっと僕から生気というものを感じないからだ。


 僕はカラフルな人々を横目に、江ノ島への道を歩いていく。

 夏場は観光客が多く、階段を上るのが大変だ。

 まるでネズミのアトラクションパークのような列をだらだらと歩いていくはめになる。


 しばらく僕はカラフルな人たちに囲まれ、そして灰色としての孤独を感じながら、ようやく島の上にまで上れた。

 観光客は皆、それぞれにお参りをする為に並んでいるが、僕はそれらには気に留めず、ぐんぐんと歩く。

 今日の相模湾は格別に綺麗で、潮風が気持ちいい。僕はその眺めを求め、ずいずいと奥に進んでいく。


 江ノ島で一番好きなのは岩屋付近の海食崖だ。

 そこで僕は海を、そして町を見渡す。

 まるで吸い込まれそうな世界。


(ここに吸い込まれればどれだけ楽だろう?)


 そんな事を考えながら、海を眺める。

 その場で立ち尽くしてどれほどの時間が経ったかはわからない。

 汗がシャツにへばりつき、そして太陽に皮膚が焼かれて少しひりひりしてきた頃、綺麗な夕日が島を照らした。


(ああ、綺麗だ)


 僕はその太陽に誘なわれるように、転落防止の塀をよじ登り、より高台に身を置いた。近くを歩いていた観光客がざわざわしだし、何人かの人が声をかけてくれたように思う。


 ただ、灰色の僕にはまるで日本語ではないかのように聞こえ、まったく気にならなかった。

 彼らの声が僕には届かなかった。

 耳を支配するのは、潮風の音と、真下の波の音だった。


(僕は一体何を求めて生まれてきたのだろうか? 何の為に生きてきたのだろうか?)


 そんな問いかけを海にする。

 もちろん、返事は来ない。そして、僕はその答えを知っているんだ。


 


 生きることに意味を見出すのは人間だけで、そこに理由や意味なんてものはない。爬虫類や昆虫が卵から生まれるように、ただ両親の性の営みの果てに生まれ、作られた社会に当てはめられ、成長してきたに過ぎない。

 そこは昆虫や他の生物と何も変わらないんだ。


 養豚場で生まれた豚よりは自由があるかもしれない。

 でも、昆虫よりも自由は少ないかもしれない。


 彼らより安全かもしれない。

 でも、彼らより疲れる社会かもしれない。


 この社会は養豚場とそう大差ない。

 移動は自由にできるだけで、僕らは人の社会という名の工場でそれぞれに見合った場所で殺されるだけなんだ。


 僕らは、S・A・B・C・Dと等級別の肉の質のようにわけられ、それぞれの工場に出荷される。


 僕はBくらいだろうか。それともCだろうか。Dではないと思う。でも、それだけだ。あとはその質に沿って死ぬまで生きるだけ。

 義務教育から高等教育、大学⋯⋯その期間に僕たちの肉の品質は決まる。


 就職活動は、自分がどんな等級の肉かを工場に訴えるだけだ。

 僕らは生まれながらにしてこうした世界に閉じ込められている。

 その世界を作るものと、その世界に生かされるもので世界は分別されていて、その世界を作る側というのは先天的にほぼ決まっている。

 こういった世界の連鎖から逃れるにはどうしたらいい?


 僕はいい加減、BだかCだかの肉として生きるのに疲れてしまった。

 きっとこの先BだかCだかの肉として生きても、BだかCだかの肉の子供を作って、きっと僕と同じようなBだかCだかの人生を歩むだけだろう。


 そう、だから僕はこの世界の連鎖を断ち切ることにする。

 そのためにここにきたんだ。

 僕は少しだけ息を吸い込んで⋯⋯


 大空へ舞った。


 僕には羽などないので、舞えるはずがない。ただ、僕の心境は明らかに舞っていた。

 近づいてくる岩を目に、僕はふと自分の考えを振り返ってみた。


 この世界は主観的世界で出来ている。

 客観的世界など存在せず、僕が見ている世界がこの世界そのものなのだ。

 この世界は、主観と主観が重なり合ってできているに過ぎない。

 僕の主観、これを読んでいる君の主観、世界中にある無数の〝主観〟があって、世界は成り立っている。


 確かに、それぞれの主観が見る共通世界はあるだろう。そして、人はそれを客観と呼ぶのだと思う。


 しかし、僕が他者の主観を見ることができないのと同じように、他者も僕の主観が何を見ているのかわからない。

 そう、だから⋯⋯僕の主観が終わった後も、この世界が続いている保障なんて、どこにもないのだ。


 おそらく、僕の主観が終わっても、世界は続くだろう。僕が眠っている間にも世界は動き、それぞれの主観は存在していたのだらだ。


 しかし、僕という主観が二度と目覚めなければ?


 少なくともはずだ。


 僕の意識が途絶えれば、僕の主観では、のだから。


 僕の主観が消えれば、少なくとも僕の世界は終わる。僕の主観からは全てが存在しなくなる。

 僕の主観が死後世界も続くかどうかなんて、少なくとも生きている僕にはなんの論証もできない。そして、おそらくそんなものはないのだと思っている。そこにはきっと〝無〟だけが待っている。


 僕は頭がいい人間ではない。

 だから、こんな事ぐらいでしか、この社会のシステムへの逆らい方が思い浮かばなかった。


「ごめんなさい」


 僕は誰かに謝った。

 自らの知能の無さと、抗うすべを見つけられなかったことに対して謝った。

 これが頭の悪いなりの僕の答えだ。


 僕は誰かの決めたシステムから脱却する。

 肉の等級で決められえるこの養豚場のような世界から脱却する。


 これで僕はシステムを作ったやつ等に一矢報えるのだ。僕はお前たちの思い通りにはならない。

 僕の主観はここで終わるのだから。

 だから、僕は主観が終わる直前、目前に迫る岩に向かって最後に一言だけ呟いた。


「ザマァ見ろ。僕の勝ちだ」

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