第25話「ここにある」
何が原因かは分からないが、壁が突然壊れた衝撃で、馬車の荷台にいるカインはひっくり返ってしまった。
木製の硬い荷台にボロボロの体を打ち付け、カインは言葉にならない悲鳴をあげる。
「どうしたの、カイン!」
「わ、分かりません! 急に壁が壊れて……!」
改めてカインは壁を見上げる。
自分たちが逃げてきた壁から少し視線を右に移した、おそらく魔力砲台があるだろう場所が壊れていた。
ガラガラと崩れる壁の周辺で、兵士たちが慌てふためているのが見える。
「魔力砲台が、壊れた……!?」
「よく分からないけど、この僥倖を逃すわけにはいかないわね。カイン、周囲からの追手は!?」
言われて、カインは荷台から身を乗り出そうと動こうとするが、
「――ッ!」
全身に激痛が走り、カインはその場で倒れてしまった。
アルテマとの戦いで今までとは比べ物にならないほどに
むしろ、今まで動けていたのが奇跡。
興奮状態で体が自覚していなかった疲労と痛みが、心の中に生まれたわずかな安堵によって一気に押し寄せてきた。
全身から汗が噴き出す。
得体のしれない寒気が、全身を包み込んでいるような感覚だった。
だが、まだ安心するには早いのだ。
「動けよ、体……っ!」
「カイン、大丈夫……?」
「大丈夫、まだ動けるか……ら……?」
話しながらその違和感に気づいたカインは横に向く。
そこにいたのは、プラチナのような鮮やかな銀色の髪をした、緑色の瞳をした少女。
「リズ、ちゃん……?」
リズはあのとき、王国に帰るように言ったはずだ。
それなのに、馬車の中に忍び込んでいたのか。
「ど、どうして……!」
戸惑うカインの目をまっすぐに見て、リズは言う。
「リズも、一緒に行きたい……」
素直に頷くことはできなかった。
カインたちについていくということは、いつでも命を狙われる危険と隣り合わせになるということだ。
ボルドに預けて、平凡な日々を送る方がいいに決まっている。
間違いなく、それが正解だ。
でも。
「カインとルフィアと、一緒にいたい……!」
涙がにじむその双眸は、馬車へと差し込む朝日を浴びて宝石のように輝いていた。
特別な理由なんて、なかった。
ただ、一緒にいたかった。
あんなにも温かい居場所を、失いたくなかった。
それだけだった。
涙を拭ったリズは、立ち上がって馬の手綱を握るルフィアの元へ。
「え……? リズ!? なんでいるの!?」
思わず離しそうになってしまった手綱をルフィアは握りなおした。
リズは馬車に揺られながらもルフィアの隣に行って、
「さっき、あっちの門とあっちの門からお馬さんたちが出ていって、兵隊さんたちが追っていってた……から、まだリズたちのところ、来てない……!」
言葉を詰まらせながらも、身振り手振りでリズは言った。
だが、それで十分だと言わんばかりにルフィアは口角を上げた。
「カイン! このまま南にある森を抜けてガルル川へ向かって一気に進むわ! 森に入ってしばらくしたら休ませてあげるから、それまで揺れるのに耐えてなさい!」
「は、はいッ!」
カインが返事をした瞬間、ルフィアは手綱を振って馬車の速度を上げる。
舗装されている道ではないため、先ほどよりも振動が増し、ぐわんぐわんと体が揺れる。
動くだけでも激痛なのに、この揺れは相当ヤバイ。
カインは顔を真っ青にしたまま必死に耐えているが、
「あ、あのっ、できればもう少しだけ振動が少なくなるように……」
「つべこべ言わない! 私の弟子でしょうが!」
「分かってますけど! 頑張りますけどさすがにこれはぁぁああああああ!!」
断末魔を上げてのたうちまわるカインを、リズは心配そうにのぞき込む。
リズが見ているのでやせ我慢をしようとするカインだったが、あまりの痛みに意識が飛んでしまった。
そして、次にカインが目を覚ましたときには、もう馬車は止まっていた。
ずっと隣にいてくれたのだろう、カインの手を握りながら、体を枕にしてリズが眠っていた。
リズを起こさないようにゆっくりと体を起こすと、荷台の外から声が聞こえた。
「あら、起きたのね」
「あ、師匠……?」
「もう森の中よ。ある程度奥に来て、追手もこないみたいだから止まったの」
ルフィアがいうには、壁があれだけ壊れている状態でどこにいるのか分からない自分たちを探し続けることはあまりないだろうとのことだった。
アルリガード王国の強固な守りに綻びが生じているのに、それを放置して多くの兵士たちを外に送り出すことは考えられない。
それに、軍将も副軍将も大けがをしているのだ。
これ以上被害を出すのは避けたいはずだ。
「僕たち……逃げられたんですね」
「一応ね。指名手配なのは変わらないから、まだまだ楽な生活はできないだろうけど」
それでも、逃げ切った。
城の中で追いつめられたあの絶望的な状況から、逃げ切ったのだ。
カインは深く息を吐いた。
「こんなに濃い数日は、師匠が魔王を倒したとき以来かもしれないです」
「そうね。私もどうなることかと思ったわ」
話しながら、カインは静かに荷台から降りた。
外ではルフィアが簡単な食事を作ってくれていた。
ボルドが数日分の食料を積んでいてくれたらしい。
本当に頭が上がらないわ、と小さくルフィアは笑った。
「リズはこんな時間まで頑張って起きていたから、多分しばらく起きないわ。あの子の分は準備してあるから、あなたも食べなさい」
「ありがとうございます」
言われるまま、カインはルフィアから食べ物を受け取った。
表面を軽く焼いたパンに、燻製肉を挟んだ素朴なサンドイッチ。
ご馳走とはお世辞にも言えないが、カインにはやたらそれが美味しく感じた。
「なんだか、落ち着きますね」
「じゃあこれもどうぞ。もっと落ち着くわよ」
ルフィアは温かなスープの入ったコップを手渡してきた。
パンを食べて乾いた口に、しっとりとした薄味のスープが流れ込む。
「……ふう」
「頑張ったんだから、今ぐらいちゃんと休んでおきなさい」
「そうですね。これ以上はさすがに辛いです」
カインは子どものように笑った。
ルフィアは微笑んでカインの頭を撫でた。
「本当に、よく頑張ったわね」
「な、なんですか急に」
「嬉しいのよ。あのカインがこんなにたくましくなってくれて」
「あのカインってなんですか、もう」
カインは不満そうに唇を突き出した。
「だってそうじゃない。五年前は体も細くて気弱で、そこらへんの犬にも負けそうな感じだったのに」
「それは、まあ、そうですけど」
昔の自分が弱かったことは否定できない。
というよりも、別に今も強くなった感覚はない。
どちらかといえば、多くの人に支えてもらって運よく勝てたのだ。
カインはため息を吐いた。
「もっと、強くならないとですね」
「うんうん。向上心は大事よ、カイン」
親のように優しい笑顔を見せるルフィアは、でもね、と続ける。
「改めて見ておくべきものも、あるんじゃない?」
言って、ルフィアは馬車の方へと目を向けた。
視線の先にいるのは、すうすうと寝息を立てるリズだ。
目をわずかに細めながら、ルフィアは言う。
「あの子ね、あなたのことが心配だからってずっと隣にいたのよ。あんな時間にあんなことがあって、すごく眠いはずなのに、頑張って起きてたの」
「そう、なんですか」
小さく呟いたカインに、ルフィアは穏やかに、
「あなたが救ったのよ」
それだけ、ルフィアは言った。
カインが未熟であることは間違いないし、これからも鍛錬を積み重ねなければいけないのは知っている。
それでも、ここに確かにいるのだ。
カインが救えた、一人の少女が。
「僕が、救った……」
「そう。救えた人がいるということは、あなたにとって大きな力になる。あなたの手を取ってくれた人を忘れなければ、あなたは正しい道を進んでいける」
強いから勇者なのではない。
誰かを救える力を持つ者だから、勇者なのだ。
ふと、リズを眺めるカインの視界に、ギールから受け取った盾も見えた。
彼も、カインが救った人の一人だ。
あの盾があれば、想いがあれば、見失わずに進んでいける。
「……僕、頑張ります。これからも」
「よし! さすが私の弟子! 応援してるわよ」
にっこりと微笑んだルフィアは、パンと手を叩いた。
「さあ、そうしたらまた進むわよ。兵士が来ないだろうとは思うけど、万一のこともあるからね」
「あの、これからどこに向かうんですか。ガルル川の方へ行くと言ってましたけど」
「最終目的地はダンダリアだけど、さすがに遠いから次はミューレアへ向かうわ」
「ミューレアって、確か水運都市の……?」
「ええ。ここからガルル川に沿って西に行けば数日もせずにミューレアに着けるし、あそこはいろいろな国へ続く川もあるから、移動も楽になりそうなのよね。それに、あそこにも知り合いがいるから」
ルフィアはアルテマから呪いのナイフを作った魔法使いがダンダリアにいるという話を聞いたことを伝えた。
そこへ行くための中継地点として、ミューレアへ行こうというのだ。
「あの、知り合いの人って……? 僕の知らない人ですよね、多分」
アルリガードに引き続き、カインはミューレアへも行ったことがない。
おそらく、ルフィアが十代の頃の知り合いだろう。
だが、ルフィアは少しだけ渋い顔をした。
「え、ええ。まあ……私もあんまり会いたくないんだけどね」
「……? どういうことですか?」
「行けばわかるわ。ほら、馬車に乗りなさい」
ルフィアに背中を押されて、カインは馬車の荷台へと乗り込む。
まだ寝ているリズを起こさないように、カインは腰を下ろした。
カインが座って間もなく、馬車が動き始めた。
ガタガタと、小刻みに体が揺れる。
カインはそっと、寝ているリズの頭を撫でた。
その隣には、ギールからもらった盾。
こんな感覚は、初めてだった。
今更になって、彼らを護れたという実感が、救えたという自覚がやってくる。
ようやく、勇者になるための一歩を、踏み出せた気がした。
そして、踏み出したこの道を違うことのない指針が救えた人たちの想いなのだ。
カインは腰に差した剣に触れた。
救えた
救えた想いが、
託された想いが、
「ねえ、師匠」
「ん? どうしたの?」
「何があっても、最後の最後まで、師匠のこと、護りますから」
「当たり前じゃない。幸せにしてくれるんでしょ、私のこと」
「はい! 師匠はこの世界で一番、大切な人ですから!」
そう言って、カインは満面の笑みを浮かべた。
想いの全てが込められた剣を、大切そうに握りしめて。
勇者の弟子は想いの全てをその剣に さとね @satone
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