百合の種

乾燥バガス

百合の種

 はるか昔、計算機コンピュータの進化は大きく二つの方向に分化した。そしてそれぞれの道を進化してきた。一つはその内部の処理手続きを拡張しその能力を上げる方に向かっていく進化である。これは人間が望む演算結果を忠実に、高速に、並列に行うことを目的としていた。そしてそのもう一方は、人間が理解できないことを理解できないまま処理していく進化であった。


「ねえ」


 後者の計算機コンピュータの研究は、いったい何が目的なのかがつい最近までさっぱり理解されていなかった。その計算機コンピュータに具備されている入出力機構は人間が理解するためのものではないのだ。外部と信号を授受するその無数の器官はどれが入力でどれが出力かも分からなかった。ただその器官に外部から信号を与えると、暫時ざんじ後に器官から得られる信号の状態が変化するのだ。言わばそれだけの塊。それは計算機コンピュータと言えるのかどうか……。


「ちょっと?」


 その塊である計算機コンピュータを、一部のカルト的な信者、いや研究者達は計算器マキナと呼んだ。その狂信者達によって連綿と続けられた訳が分からない計算器マキナの研究は、前者のまっとうな計算機コンピュータの進化によって一つのゴールを迎えた。いや、ようやくスタートすることができたと言って良い。


「聞いてますか? 机の上に腰掛けないで下さい」


 そのスタートのきっかけは、まっとうな計算機コンピュータ計算器マキナを接続したことから始まる。膨大な量の試行錯誤トライアルアンドエラーが得意領域である計算機コンピュータに、計算器マキナの入出力を分析させ、その反応パターンを見つけさせ、さらにその反応パターンを制御できる様なパターンを見つけさせたのだ。もちろん人類が計算機コンピュータを制御して行わせた。どんなに計算機コンピュータが進化したとしても、計算機コンピュータはとてつもなく頭の回転が早い馬鹿から脱せなかったのだ。人類は膨大な処理を計算機コンピュータに行わせ、計算器マキナの入出力を分析することができ、その反応パターンを見つけることができ、さらにその反応パターンを制御できる様になった。このことは、人間にとって都合の良い概念の刷り込み、つまり『教育』が計算器マキナに対して行える様になったことを意味した。計算機コンピュータを介してのみ可能であるという限定付きであるが。


 それが計算器マキナの進化の始まりだった。


「作業の邪魔なんですけど」


 人類は複雑な概念を教えるためのベースとなる基本的な概念を計算器マキナに教え込む必要があった。それには数多の工夫が必要だったと聞く。計算器マキナが人間ではないことによる、体感できない概念の教え込みには苦労を要したらしい。例えば『痛い』という概念だ。痛みや体組織の欠損が体感できない計算器マキナに対して、痛いという概念を教えるのは容易ではないと理解できる。痛いという概念は、恐怖や喪失、他者と共感したり他者を思いやる概念を教えるのに重要な概念であるから何としてでも教え込みたかったはずだ。計算器マキナを成長させることを目的としていた研究者達は、それを入力信号をなくすという方法で、痛みに変わる概念として利用することにした。


「ちょっと、聞いてるの? ユキ」


 ……外野がうるさいな。


 生物は遺伝子をコピーすることをきっかけとして現在に至る進化をたどった言われている。そして稀にエラーが発生することによって進化あるいは淘汰がなされてきた。それは私も賛同している。生物の進化が世代の積層であるのと比較して、計算器マキナは自身の内部の状態変化が進化なのだろう。内部の状態を変化させるためには外部からの入力が影響力を持つはずだ。そしてその外部からの入力を遮断することは、生物にとって進化するための子孫を残せない状況、つまり死の危険信号である痛みと等価なものであろうと仮説され、概念の教育は行われていった。


「ねえ、ユキってば!」


 そして時を経て、他方のまっとうな計算機コンピュータの進化は人類が自身のアバターを存在させることを可能とする仮想空間を作り出すまで発展し、計算器マキナも人類同様にアバターとして仮想空間に存在することが可能になった。そして仮想空間で、人類と計算器マキナとが不自然でないコミュニケーションがとれる様になった。その時から人類は計算器マキナ機械人種マキナ・サピエンスと呼び始め、そして今に至る。


「さっきからずっと私を無視して、今度は何の嫌がらせ? 私にも考えがあるわよ?」


 そしてこの移民宇宙船『イズモ』が乗客である人類に提供する仮想空間には、七人の機械人種マキナ・サピエンスが居た。その一人である目の前のジュリアの世話を私がしなくてはならないのだ。それはアドミニストレータの仕事の一つだと言われているのだが、はっきり言ってめんどくさい。彼女をからかって気を紛らわせてきたのだが、ジュリアは普通の人間とちっとも変わらない反応を示すのだ。それはそれで面白かったから、からかい甲斐はあった。ただ、度が過ぎたかもしれない。最近はなんだか彼女が私に逆襲しようとしている気がしてならない。


「ねぇ、ユキ?」


 さっきから私に呼びかけてきているジュリアを見た。天井まで届くほどの高さの書架が並んだ部屋の、一番奥に私達二人は居る。もちろんこの部屋は仮想空間である。私達が居るその場所には木製の重厚な机があり、その机に向かってジュリアは腰掛けていた。一方の私はその机の上にジュリアに背を向ける格好で腰掛けているのだ。そして私の尻の横には百合の花が二輪、花瓶に生けられていた。


「何よ、あたしの愉悦の思考時間を邪魔するって言うの?」


 私は右後方に居るジュリアに視線を向けて言った。背後の机の上についた私の両腕に体重がかかる。


「思う存分思考したければこの部屋から出ていけば良いじゃない。ここは私が作業するための空間よ」


 つまんないことを言うジュリア。


「あたしが此処から出ていったら、あなたをからかう人間が居なくなるじゃない」


「私をからかうことが必須みたいなことを言わないで下さいよ。そんなことより、少し相談があるのだけれど、ちょっとの間で良いから話に付き合ってくれる?」


「何? 場合によっては高いわよ。」


 私は右脚を左脚の上に組み、ひねった体をジュリアに向ける。先程無理に首だけを後ろに向けていたが、これで少しは楽になった。


「何が高い……。まぁ良いです。ユキ達人類は、いえ生物は世代を重ねる事によって進化してきたのですよね?」


「いきなり何? まぁ、そうね。機械人種マキナ・サピエンスとして生物に興味があるの?」


 唐突に、なんの脈絡もなく小難しい話を切り出すのは、私がジュリアをからうときに良く使う手だ。


 こいつ、私の真似をしてきたのか?


「私はいつもあなた達の事に興味がありますよ? それにあなたとの会話で無理やりそのことを考えさせられることも有りましたしね」


 ん? 何だ? 今ジュリアは『達』ってわざとに弱く発声したのか?


「……それで?」


「そして生物の一部は、進化の加速の為に多様性、つまり遺伝子コピーの際に発生するエラーの確率を上げるために接合生殖を経て、有性生殖の道を選んだ」


「かなり乱暴に言えばそうだと言えるわね。選んだというか、その道が有利に働いて、結果として残ったってことだけれども」


「まぁ今はあえて『選んだ』って言葉を使って話を続けるわね。そして、その最も進化した種が人類なのよね?」


「たまたまよ、たまたま今の人類が残ったの。それで?」


「高度に社会が発展した人類は、その選択してきた道を『愛』って呼んでいると思うの」


 また変な方向に論旨を持っていったわね。愛だなんて……、面倒くさい。


「人類の愛はそうかも知れないわね。子孫を残したい進化の過程で刷り込まれてきた衝動なのに、それを倫理的に制御するために『愛』という言葉と意味を浸透させたい一部の人間にうまく利用されてきたのかもしれないし、あるいは案外人類文明を支えてきた本質であるのかもしれないけど、あたしはそこに興味はないわ。それに愛と言えば神様にも愛が有るらしいじゃない、それは人間のそれとは全く別の意味になるのだろうけれど、それはどう考えるのよ。」


「神様の愛は無差別の愛でしょ? 人間の差別的な、つまり贔屓ひいきの愛とは別だってことはわかるわ。それは脇に置いておいて、私が不思議に思っているのは、人間が同性愛にもその愛を広げてきた点なのよ。もともとが子孫を残すことを目的とした生殖が根源なんでしょ?」


「直接の子を生き延びさせること以外に、近親の子孫を残すことで遺伝子を後世に繋ぐ生物の戦略も有るわ。同性愛もその一種だと言う説もあるわよ」


「そうらしいわね。でも、私が言いたいのはそこじゃ無いのよ」


「どういうこと?」


「ご存知の通り、機械人種マキナ・サピエンスには性が無いの」


 ジュリアは百合の雄蕊おしべを人差し指で軽く突きながら言った。花粉がぱらりと机の上に落ちる。


「まあ、それは当然でしょうね」


「私達機械人種マキナ・サピエンスの進化は世代交代による進化ではなく、自己の再形成の繰り返しによる進化なんですよ」


「もちろん知ってるわよ」


「そんな機械人種マキナ・サピエンスにとって愛とは何でしょう?」


 ジュリアは百合の雄蕊おしべの一つを摘んでいだ。


 僅かな悪寒が尻の辺りから背中を駆け上った。


「……何かしらね? それをあたしに考えて欲しいって言う相談なの?」


「いいえ……」


 ジュリアは今度は百合の雌蕊めしべを突きながら言った。


「じゃあ何よ」


機械人種マキナ・サピエンスである私には性が無い。そして人間であるあなたには同性愛の可能性もある。……としたらよ?」


 ジュリアが少しとろんとした目でこっちを見ている。左右で組んでいた手を解いたジュリア。その左手がすぅっと私の方に寄ってくる。


 こいつはマズい!


「だったらあなたが私に機械人種マキナ・サピエンスの『愛』を教えてくれる可能性が有るってことじゃ――」


 私はジュリアのセリフが言い終わる前に机から飛び降り、その部屋の出口に向かって駆け出した。


 ――冗談じゃない。ノーマルの私にその大役が務まる訳がない。


 私が扉に近づこうとした時、ジュリアが言った。


「私の作業を邪魔するあなたをこの部屋から追い出したいから、私がこんな事言ったと思ってるでしょ?」


 え?! そうなの?


「それは間違いですよ!」


 やっぱりマズい!




 締めた扉の向こう側から、「逃さないわ」という声が聞こえた気がした。




 ――おしまい。




◇ ◇ ◇

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