百合の種
乾燥バガス
百合の種
はるか昔、
「ねえ」
後者の
「ちょっと?」
その塊である
「聞いてますか? 机の上に腰掛けないで下さい」
そのスタートのきっかけは、まっとうな
それが
「作業の邪魔なんですけど」
人類は複雑な概念を教えるためのベースとなる基本的な概念を
「ちょっと、聞いてるの? ユキ」
……外野がうるさいな。
生物は遺伝子をコピーすることをきっかけとして現在に至る進化をたどった言われている。そして稀にエラーが発生することによって進化あるいは淘汰がなされてきた。それは私も賛同している。生物の進化が世代の積層であるのと比較して、
「ねえ、ユキってば!」
そして時を経て、他方のまっとうな
「さっきからずっと私を無視して、今度は何の嫌がらせ? 私にも考えがあるわよ?」
そしてこの移民宇宙船『イズモ』が乗客である人類に提供する仮想空間には、七人の
「ねぇ、ユキ?」
さっきから私に呼びかけてきているジュリアを見た。天井まで届くほどの高さの書架が並んだ部屋の、一番奥に私達二人は居る。もちろんこの部屋は仮想空間である。私達が居るその場所には木製の重厚な机があり、その机に向かってジュリアは腰掛けていた。一方の私はその机の上にジュリアに背を向ける格好で腰掛けているのだ。そして私の尻の横には百合の花が二輪、花瓶に生けられていた。
「何よ、あたしの愉悦の思考時間を邪魔するって言うの?」
私は右後方に居るジュリアに視線を向けて言った。背後の机の上についた私の両腕に体重がかかる。
「思う存分思考したければこの部屋から出ていけば良いじゃない。ここは私が作業するための空間よ」
つまんないことを言うジュリア。
「あたしが此処から出ていったら、あなたをからかう人間が居なくなるじゃない」
「私をからかうことが必須みたいなことを言わないで下さいよ。そんなことより、少し相談があるのだけれど、ちょっとの間で良いから話に付き合ってくれる?」
「何? 場合によっては高いわよ。」
私は右脚を左脚の上に組み、ひねった体をジュリアに向ける。先程無理に首だけを後ろに向けていたが、これで少しは楽になった。
「何が高い……。まぁ良いです。ユキ達人類は、いえ生物は世代を重ねる事によって進化してきたのですよね?」
「いきなり何? まぁ、そうね。
唐突に、なんの脈絡もなく小難しい話を切り出すのは、私がジュリアをからうときに良く使う手だ。
こいつ、私の真似をしてきたのか?
「私はいつもあなた達の事に興味がありますよ? それにあなたとの会話で無理やりそのことを考えさせられることも有りましたしね」
ん? 何だ? 今ジュリアは『達』ってわざとに弱く発声したのか?
「……それで?」
「そして生物の一部は、進化の加速の為に多様性、つまり遺伝子コピーの際に発生するエラーの確率を上げるために接合生殖を経て、有性生殖の道を選んだ」
「かなり乱暴に言えばそうだと言えるわね。選んだというか、その道が有利に働いて、結果として残ったってことだけれども」
「まぁ今はあえて『選んだ』って言葉を使って話を続けるわね。そして、その最も進化した種が人類なのよね?」
「たまたまよ、たまたま今の人類が残ったの。それで?」
「高度に社会が発展した人類は、その選択してきた道を『愛』って呼んでいると思うの」
また変な方向に論旨を持っていったわね。愛だなんて……、面倒くさい。
「人類の愛はそうかも知れないわね。子孫を残したい進化の過程で刷り込まれてきた衝動なのに、それを倫理的に制御するために『愛』という言葉と意味を浸透させたい一部の人間にうまく利用されてきたのかもしれないし、あるいは案外人類文明を支えてきた本質であるのかもしれないけど、あたしはそこに興味はないわ。それに愛と言えば神様にも愛が有るらしいじゃない、それは人間のそれとは全く別の意味になるのだろうけれど、それはどう考えるのよ。」
「神様の愛は無差別の愛でしょ? 人間の差別的な、つまり
「直接の子を生き延びさせること以外に、近親の子孫を残すことで遺伝子を後世に繋ぐ生物の戦略も有るわ。同性愛もその一種だと言う説もあるわよ」
「そうらしいわね。でも、私が言いたいのはそこじゃ無いのよ」
「どういうこと?」
「ご存知の通り、
ジュリアは百合の
「まあ、それは当然でしょうね」
「私達
「もちろん知ってるわよ」
「そんな
ジュリアは百合の
僅かな悪寒が尻の辺りから背中を駆け上った。
「……何かしらね? それをあたしに考えて欲しいって言う相談なの?」
「いいえ……」
ジュリアは今度は百合の
「じゃあ何よ」
「
ジュリアが少しとろんとした目でこっちを見ている。左右で組んでいた手を解いたジュリア。その左手がすぅっと私の方に寄ってくる。
こいつはマズい!
「だったらあなたが私に
私はジュリアのセリフが言い終わる前に机から飛び降り、その部屋の出口に向かって駆け出した。
――冗談じゃない。ノーマルの私にその大役が務まる訳がない。
私が扉に近づこうとした時、ジュリアが言った。
「私の作業を邪魔するあなたをこの部屋から追い出したいから、私がこんな事言ったと思ってるでしょ?」
え?! そうなの?
「それは間違いですよ!」
やっぱりマズい!
締めた扉の向こう側から、「逃さないわ」という声が聞こえた気がした。
――おしまい。
◇ ◇ ◇
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百合の種 乾燥バガス @BlackSugar
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