僕がいない世界は

巴菜子

第1話 僕がいない世界は

 もし、今僕がこの世界から消えたとして、次の瞬間から世界はどう変わるだろうか。


 どうせ大して変わりはしないだろう。クラスですらも影響力のない学生風情が1人消えたところで、起こる問題も何も無い。

 僕程度の人間の代わりなら、きっとこの世界はたくさん持っていて、もしここで僕が消えたところで不具合はでないのだろうと思う。いや、代わりなんて必要ですらないかもしれない。僕は、今現在この世界にとって必要不可欠な人間でもなければ、将来世界に役立つことをしたいというような向上心がある人間でもない。

 まあ、だからといって死ぬ必要はないとは思う。そんなことで死んでしまうのなら、世界はきっと自殺志願者で溢れてしまう。僕は家族が好きだ。愛されて育ってきた。友達にも恵まれた。いじめられることもなかった。

 生まれてから17年、幸せに育ってきた。それなのになぜか、今僕は学校の屋上にいる。立ち入り禁止の紙が貼られている、鍵のかかった扉をわざわざ開けて、1人で屋上に立っている。

 この学校の屋上にはフェンスが無く、その代わりに壁が高くなってはいるのだが登れないことはない。ただ、ちょっとでもバランスを崩せば地面に真っ逆さまだ。

 小学生になったあたりから、高いところに登るたびにここから飛び降りてみたいという衝動に駆られるが、死にたくはないのでもちろん飛び降りたことはない。そもそも、あいつのガードが固すぎてしたくてもできない。僕が、高いところに登るたびに飛び降りてみたくなるという話をして以降、高いところにいるときは絶対に隣から離れないようになった。

 その話をするまでも、僕がなにかしてはいけないことをしたり、危ないことをしようとしたときにはすぐに駆けつけて怒ってきた。今だって、いつもならあいつが駆けつけてくるはずなのだ。開けてはいけない扉を開けて、屋上の壁によじ登ろうとまでして。なんで、なんであいつは来ないんだろう。


 なんであいつは、ここにいないんだろう。


 なんで、来てくれないんだろう。


 校則を破って最悪死んでしまうような場所にいるのに、なんで怒らないんだろう。


「田倉くん、何してるの?危ないよ」


 また来た。


 仲良くした覚えもないのに、むりやりあいつのいた場所に来ようとする。こいつは、世界が補充したあいつの代わりなのだろうか。


 だとしたら言ってやるさ。


「別に。死ぬつもりはないから帰れば?」


 あいつと代わりは別物なんだよ。


 代わりは代わりでしかない。代わりがあるからって今あるものが無くなって良い理由にはならない。今あるものを大切にしなきゃならない。代わりは、無くなったものにはなれないんだから。

 だから、僕も無くなっちゃいけないんだろうな。他人と関わってきた以上、無くなったことが知られてしまうから。代わりが必要になってしまうから。誰かに、喪失感を持たせてしまうから。限界まで大切にしなきゃならない。


 それでも、思ってしまう


「じゃあなんでそんなとこにいるの?扉をこじ開けてまでして」


 代わりがあるのなら


「やってみたかっただけ。高いところが好きなの、俺」


 代わりでもいいやと


「それじゃあもう降りてきなよ。そこにいたら死ぬ気なくても死んじゃうよ」


 今あるものが傷ついたから


「じゃあ死ぬところを見てトラウマにならないようにさっさと帰れば」


 壊れて周りのものが傷つく前に


「今ここでそれを食い止められなかったんだからどうせトラウマになるよ。だから帰らない。早く降りてきてよ。ほんとに危ないって」


 傷ついたものを捨ててしまいたいと


「分かった分かった。今から降りますよ」


 そう言って降りようとして、ふと思う。「飛び降りてみたいな」と。

 高いところから飛び降りてみたいと言っておきながら、僕はまだ一度もバンジージャンプすらしたことがない。だから、高いところから飛び降りた時の、その感覚を知らない。

 怖いのだろうか。達成感があるのだろうか。ジェットコースターのように内臓が浮くような感覚なのだろうか。どんなのだろうかと、想像が膨らむ。


「田倉くん?大丈夫?」


「大丈夫。すぐ降りる」


 僕が小学生になるまでの夢は、「空を飛びたい」だった。

 バンジージャンプやスカイダイビングとは違い、自分の行きたい方へとその身一つで飛んでいく鳥や蝶に憧れていた。

 頑張れば自分にも翼や羽が生えてくるんじゃないかと本気で思っていた。

 あいつは、空を飛んだのだろうか。地面も何もなくて、ただ空気だけがあるという感覚を、知ったのだろうか。

 僕も、同じことを感じたかった。一緒にじゃなくてもいいから、同じことを感じて、同じ場所に行きたかった。


「良かった。途中で落ちたらどうしようかと思ってひやひやしたよ。じゃあ、帰ろっか」


「は?お前バスだろ」


「今日は歩いて帰る。またどこかで危ないことされたら嫌だからね。最後まで送り届けなきゃ不安だし」


 喪失感なんて知りたくなかった。ここに取り残されたのが悔しかった。


「田倉くん聞いてる?今日は君がなんと言おうと絶対に一緒に帰るから」


「分かった。仕方ないから一緒に帰ってやる」


「え!ほんとに?うわー、びっくり。田倉くんが急に素直になった」


「うるせー。あれ、帰るってお前、荷物は?」


「あっ!教室に置きっぱなしだ。先に行ってて!すぐに取ってくるから」


 でも、知ってしまったから。取り残されてしまったから。あったものは無くなってしまったから。代わりは別物だけれど、それが今あるものだから。それを大切にしなきゃならない。

 無くなってしまったものは戻ってこないけれど。どこにいったのかさえも分からないけれど。思い出ならある。たくさんの思い出が。

 今あるものは、いつ無くなってしまうか分からない。いつ無くしてしまうか分からない。だから、手元にあるときは大切にしなきゃならない。無くなったときに、大切にしたいと思える思い出が残るように。

 傷を触ってばかりいないで、周りにある柔らかいものを探すこと。ついた傷がそれ以上大きくならないように。いつかこの傷が気にならなくなるように。それが、今の俺を大切にするということだろう。


「田倉くんお待たせ!良かった。帰ってなくて」


「帰らねーよ。・・・お前、目、赤くない?」


「そ、そんなことないよ?ほら、そんなことはいいから、帰ろ」


 見せまいと顔を隠す腕をどけて顔を覗き込むと、やっぱり目が少し赤かった。目の周りも、少しだが腫れているように見えた。


「お前、もしかして泣いてた?」


「・・・田倉くんが死んじゃうかと思ってほんっとに怖かったんだから」


 観念したように喋り出したかと思えば、そんなことを言う。


「それさぁ、なんでなの?俺、お前になんかしたっけ?ずっと適当な態度ばっかりとってたと思うんだけど」


「ふふっ。適当な態度って、自覚あるんだ。えっとね、田倉くんがなんだかさびしそうに見えて」


 つい「えっ」と言ってしまった。


「って言えたらかっこいいんだけど」


 そう言ってまたふふっと笑うものだから、なんだか気が抜ける。


「融通が利かないんだよ。人見知りだからターゲットを定めて自分を奮い立たせてからじゃないと他人に声かけられないんだけど、田倉くんにそれを見事に払いのけられたわけ。そこで諦めて別の人に話しかければいいんだけど、それが出来ないんだよ。なんとかしてこの他人と仲良くならないといけないって思ってさ。だからずっと付きまとってたの」


 またふふっと笑う。馬鹿みたいでしょ、と。


「最初、なんで俺にターゲット定めたの?」


「なんとなく」


「は?」


「なんとなく、この人となら喋れそうって思ったの。勘?みたいな感じで、この人と仲良くなりたいって思ったから」


「勘って、はぁ。なんだそれ」


 こうは言ったが、そのなんとなくに俺は救われたわけで。いい加減だけれど、勘って一概に馬鹿にしちゃあいけないんだなと、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕がいない世界は 巴菜子 @vento-fiore

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ