Miraculum

 嵐が過ぎた翌日は、荒天が嘘のように穏やかな風が吹き、空は雲ひとつなく晴れ渡ったという。

 園庭の池の端は一面、薄く桃色を帯びた白い花びらで埋め尽くされたそうだ。それはまるで、雪原のように。


 春は足早に過ぎ、時間と共にいくつもの季節が過ぎていく。私は相変わらず、向日葵ひまわりにも、秋桜コスモスにも、ましてや雪兎にもなれなかった。


 そして本当の雪が園庭の地面を覆うのを見守り、震えながら冬将軍が力を弱めるのを待つと、また春が来て、そしてもう、過ぎようとしている。





 学園の新たな一年が始まった。私達の木から一つ、二つと花びらが落ち、枝には若葉が芽生え始める。

 見慣れた深緑のローブ姿が私達の下までやってきて、山吹色の守護光彩ルクス・プラエフェクトゥスをそっと放った。以前の防護魔法より強い。

 覚えたばかりの魔法をかけに来て。相変わらず、優しくて——心配症なんだから。







「そんなに不安がらなくても、もう大丈夫よ」

「わっ!? うわ、桜子っ?! びっくりした……」


 私の方を振り返った葉太は、驚き過ぎたのか、杖を手から滑り落とした。慌てると大仰なところ、バカロレアの頃から変わってない。

 つい笑ってしまったら、葉太は頬を掻いて言い訳っぽく言った。


「でもさ、花がいくつか落ちちゃったから、心配で」


 満開を過ぎて葉桜になった若枝を見上げ、葉太が呟く。


「平気よ。葉太のおかげでもう、どこも痛くもないし、透明にもなってないでしょ」


 葉太の方へ手のひらを広げて見せ、くるりと回ってみせる。人間の女の子の足が地面を蹴った。




 学園長の言葉は本当だった。


「魔法のは、対象の本質を知ること。見かけだけでなく中身も」


 あの日、葉太は私の正体を知り、私の本当の名前を知った。


 でもそれだけじゃない。強い変化魔法メタモルフォーゼの発動には、対象に近い力の媒介が必要だと葉太は言った。対象わたしに最も近い力。それは——お日様のルクス


 悪鬼を前に私が発した強い光魔法ルチェオは、花を咲かせる私たちが身の内に溜め込むお日様の光だ。後から学園長に尋ねたところ、私の光魔法ルチェオが異様に強いのは、桜としての私が常にお日様の光に守られ、それによって生きているからだという。


 変化魔法メタモルフォーゼに関する葉太の見解は正しかったのだ。

 最大級のルクスの発動と、術者である葉太が私の本質を見出したこと——この二つが重なった。


 魔法は成功した。


 あの日、消えるすんでのところで、私はこの身体につなぎ止められた。そして私の本体が花びらを落とし、葉桜になっても、葉太の持続的な変化魔法メタモルフォーゼを受けた私は、人間の女の子の姿を失わずにここにいる。


「それより秋田先生、授業、遅れちゃいますよ。今日は私の班の実験発表なんですからね」

「あ、もうそんな時間? やばい」


 研究が成就した葉太は晴れて学位を取得し、学園の正規教官になった。私の方はといえば、前よりきちんと魔法を身につけるために全教科を基礎科目から学び始めた。ただし、光魔法ルチェオの講師だけは続けているから、葉太とは教師と生徒であって、同僚でもある。

 いまだに信じられない。あの時の私のルクスが、葉太の魔法を媒介したなんて。


「本当に、すごい偶然だったわね」


 揺れる若葉の間にまだ残る花を見つけ、ふと思ったことが口から漏れる。すると、横にいた葉太が呟いた。


「そういえば、学園長に言われたな。『研究魔法が偶然に成功した』って報告したら」

「え? なんて?」


 葉太の顔を覗くと、恥ずかしそうに口に手を当ててしまう。しかもそのまま何か言いながらそっぽを向かれた。


「……って」

「なに? 聞こえない」

「偶然、じゃなくて、運命の……奇跡だって」


 耳の裏まで赤くなっている葉太と同じく、私の顔も熱くなってきた。学園長ったらもう、相変わらずこっちが恥ずかしくなる。

 頭の上で、太い枝兄さんたち細枝妹達がうるさくはやす。本当にみんな、面白がってるんだから。二人でここにいるとしょっちゅうからかわれちゃう。


「ほら葉太、もう急ごう」

「あ、こら。授業が始まったら『秋田先生』」

「そこ、あんまりこだわらないの!」


 春風がそよいで、園庭を抜けていく。お日様はそろそろ初夏に向かって活発になってきた。




 季節はまた巡る。でも私はきっと、ずっと、ここにいる。



 Fin.

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葉桜の君に——白い花弁をつなぎとめよ 蜜柑桜 @Mican-Sakura

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