Magia VIII

 丈高い白樺の木々の間を、歪んだ人型の塊がうごめいている。闇の中で光るその体色は、血を求めて飢えた色だ。

 まずい。悪鬼マルス・ラルゥアが向かっている先は園庭の方角だわ。

 距離があっても感じる、異常なほど強い邪気。夜に動く悪鬼には、お日様の力を操る光魔法ルチェオしか効かない。それを苦手とする葉太に太刀打ち出来る相手じゃない。


 お願い、速く飛んで……!


 加速の術式を編みながら、私は転移トランスポートした。


 ***


 ——遅かった……


 転移トランスポートには時間差タイムラグが出る。

 夜闇の中に浮き上がる桜の白い花びらが、不気味な紅い色を映す——木の下には、どす黒い暗褐色の悪鬼の身体があり、その正面には——


「葉太っ!」


 桜の根元にくずおれていく葉太の周りに防護と治癒の光魔法ルチェオを放つと同時に、攻撃のルクスを悪鬼の背中へ飛ばした。


「離れなさい!」


 痛みに姿勢を崩した悪鬼がこちらに振り返る。顔と思しきのっぺりとした面の中で、三つの鈍色の目が光った。


「葉太逃げて! 早く!」


 出せる限りの声で叫ぶのに、葉太は目線を上げて苦しそうに顔を歪ませるだけで動かない。違う、悪鬼に動きが封じられているんだわ。

 標的を私に定めた悪鬼が、こちらに向かって一歩、踏み出した。

 それと同時に一陣の風が駆け抜け、私のローブが激しくはためき、真紅の布が翻る。


 嵐が来たのだ。


 地面の草が大きくしなり、葉先から口々に叫び声が上がる。彼らを踏み倒し、悪鬼が私めがけて近づいてきた。一筋、また一筋とルクスを放つけれど、次々に起こる風に煽られてなかなか当たってくれない。

 空に立ち込める雲の層が厚くなり、吹き荒れる風がどんどん太く早くなる。みんなが怯え叫ぶ声が耳をつんざく。満開の花々で重くなった枝が風に弄ばれて上下に揺れる。

 立て続けに起こる突風が、木の先に伸びた若枝を打った。


 ——っ……!!



 白い切片が、枝から離れた。



「っっ……」



 身体に鋭い衝撃が走る。


 一つ、二つ……花びらが池の薄水色の光に照らされて、濃い夜の闇に舞う。


「ぅ……あ……っ……」


 ルクスを放つ私の指が、爪先から透明になっていく。

 私の人の身体からだが欠け始めたのだ。





 悪鬼が片手を振り上げ、それに続いてまた木の枝が上下左右に振られた——他の園庭の木よりも、ずっと強く、激しく、風に揺さぶられている。まるで風がわざと桜めがけて飛んでくるように。


 悪鬼こいつは私の正体が分かってるんだわ……!


 分かっていて、いるのだ。その証拠に、間隔を開けず切るような風がまた桜の枝を鞭打って抜けた。


「っ……ぁぁあっ……!」


 若枝から花びらが剥ぎ取られ、右脚に痛みを感じたと思ったら、今度はすぐに左腿を鋭い衝撃が襲った。


 私の方を見て悪鬼の目が鈍く光る。笑っている。それも、さも嬉しそうに。たまらず地面に膝をついた私を満足そうに見下ろして、悪鬼は金縛りにした葉太の方へゆっくりと向き直る。


 ——やめて……


 はらはら落ちる白い花びらの向こうで、恐怖に固まった葉太の顔が見える。


 ——やめて…………


 身体中が麻痺していく中で、ルクスを身の内に感じた。私の中にだけのルクスに、意識を集中させる。



「やめて……………………っ!!」



 自分の叫び声が響き、悪鬼がこちらを振り返った。


 その途端に、これまでにないほどの烈風が唸りを上げて木を幹ごと大きくなぶる。

 私の頭から足先までを凄まじい痛みが走り抜ける——しかしそれと同時に、強烈な白金の閃光が悪鬼の身体を貫いた。



 ——葉太……



 月のない空の中に、たくさんの花びらが踊る。

 真冬の美しい雪みたいに、風にのって輝きながら、夜の闇の中に舞う。


 ——散る時の私たちは、こんな姿なのね……


 人としての身体がどんどん実体を無くし、五感が鈍くなる中、私はぼやけていく視力で葉太の姿を求めた。金縛りの解けた葉太が私の方へ駆けてくる。


 ……良かった……葉太が無事で……


 意識が閉じていく。私が発したルクスがまだ周りに残っているのを感じる。強いけど優しい、お日様の光。

 その光に包まれて、葉太の姿が見えた。何か言っているみたい。



「待てよ……だ、行くなよっ」


 なんだろう……。


「——き——だから——っと——」


 なにかな……よく、聞こえない……。


「……変化せよ……」


 術式を紡いでいる。何の……?


「……に、ルクスの元に……」


 あったかい……葉太かな。すぐ近くにいるみたい。でももう……気が途切れちゃう……



「——κέρασοςプルヌス!」



 葉太の声とともに、私のすべての感覚が失われた。




 最後に聞こえた——私の、名前——

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