未来の人
船の小さな窓から地球の様子は見えていたが、俺は
近づくにつれ存在感を増す星に気を逸らされたくなかった事もある。だが、今、地上からたった四百五十キロしか離れていない眼前に、母なる涸れた惑星は
「眩しすぎ……」
いつかの朝に見たように、太陽のきつい反射光で白茶けた黄土色の星は目に痛い。
半径、約六千四百キロ、外周約四万キロの惑星。
視界の全部を覆うと言っても過言ではない威圧感を前にして、地球へ落ちていくような錯覚すら覚える。地球から遠く離れた宇宙コロニーでの船外活動とはまた違った感覚に、俺は呼吸を整えた。
あれはもう、命など生まない涸れた星だ。
「ラフィ、なぁ、あの白いゴミみたいのは……」
「あぁ……あれ? 雲よ」
「雲? 地球には雲が発生しているのか?」
「そう、そこまで回復してるの。近くで見ないと分からないものでしょ? さ、課題を終わらせてしまいましょう」
「了解」
再度腰部のテザーやセーフティテザーを確認して、ヘルメット内に表示されたヘッドアップディスプレイの数値を見つつ移動を開始する。
あらかじめロボットによってマーキングしていた偽デブリ跡を目視、報告。簡易補修の必要性の判断をしつつ、本当に危険なデブリ跡がないか、ロボットが補修した部分に問題は無いかチェックする。
本物のデブリ跡があれば報告し、必要であれば後にロボットか職員による対処を行う。
予定の工程は滞りなく進み、新たに数ミリのスペースデブリが当たった跡を発見した事でも評価がついた。当たったデブリは極小でもへこみ跡はそれなりの大きさになる。
「OK、ではこれで課題の全工程は完了ね。帰還準備を始めてくれる?」
「了解」
ラフィとも再確認して帰還準備を始めようとした時、ヘッドアップディスプレイにノイズが走った。直ぐに受信具合を見ながら報告する。
「ディスプレイにエラー発生。音声に問題はないですか?」
「アクシデント? こちらにエラー通知はないわね。グラフィーラの方は?」
「私の方にもノイズが出ています」
だとしたら俺単体のエラーではないのか。
教師の声がヘッドホンから響く。
「数値の表示は?」
「今の所、ノイズでやや見にくい状態ですが問題は――」
言いかけたとたん全ての表示が消えた。
息が詰まりかける。大丈夫。落ち着け。
左腕に装備しているサブディスプレイの表示は生きている。消えたのはヘッドアップのみだ。酸素や冷却水パイプを始めとした生命維持装置も問題ない。横を見ると、ラフィが「こっちも大丈夫」と合図を送っていた。
ステーション内の教師に報告する。
「ヘッドアップが完全に沈黙」
「バイタルモニター、音声通信に問題はないし。頭部のカメラも動いている。帰り道のナビはなくても行けそう?」
「ルートは複雑ではないので、覚えてます」
「了解。時間の余裕はあるからゆっくりでいいわ」
そう返信が来てラフィに「行こう」と合図を送った時、ヘッドアップディスプレイに強い光が灯る。
目を細めつつ何の異常かと視線を向けた。その時、目の前の惑星が大きく変貌していた。
青い。どこまでも深く
この青は……大気の青だ。
更に青い瑠璃色の水を湛えた惑星の表面に、太陽光が
雲間には、深い緑の形状のものが見えた。
青い部分と塗り分けられた緑のヵ所が、大陸と呼ばれていたものだと気がついたのは一呼吸置いてから。けれど緑の部分は全体のごく限られたもので、星は、ただ青いとしか形容ができない姿に
闇の宇宙空間に浮かぶ、青い宝石。
……俺の目が、おかしくなったのか。
「これは……」
「およそ千年前の、土色じゃない地球」
「えっ!?」
「誕生日の贈り物。一分の一スケール。実物大の地球儀です!」
あ、と思い出した。今の今まで忘れていた。
先週、寝ぼけ頭の朝の食堂で、ラフィとそんな話をしていた。
そんな話をしていたが……。
俺は思わず頭を――ではなくヘルメットを抱えて俯いた。
「いったいどうなって……そうか、ヘッドアップディスプレイか!?」
「ご名答。かなりリアルに表示できているでしょ? 驚いた?」
実物かと思うほどに。
だが、これはすごく問題だぞ……。
「驚いたが……驚いたがお前、大事な実習で何やってんだよ!」
「怒らないでよ。ちゃんと緊急事態の計画表は先生に出して、許可は貰っているんだから」
「許可……?」
絶句している俺の耳に、くぐもった笑いを堪える声が聞こえてきた。
高性能のマイクらしく遠くではしゃいでいるチームメンバーの声も聞こえる。という事は……これ、全部、教師もクラスの奴らも一緒のサプライズ計画だったということか!?
今ここに重力があったなら、俺はきっと座り込んでいただろう。
「な……なんだよ、もー。マジびっくりしたじゃないかよー」
「ふふっ、大成功!」
「大成功っていうけど、ラフィ……これ、ディスプレイに映ってるだけの
「あ、やっぱり?」
「やっぱりじゃないぞ」
悪びれない声が返る。
重力があったなら、ああぁっ! とか声を上げてひっくり返りたいぐらいの気分だ。どれだけびっくりしたと思っているんだよ。
一方当然のツッコミを入れられたラフィは、何やらごそごそと持ち出して「はい」と突然、俺の手に小さな物を乗せた。
「そう言われると思ってミニ版も作ってみました」
「うわっ、ちょっ!」
あまりに急で取り落としそうになる。
「しっかり握っていてねー」
「こんな所で渡すなよ! デブリになったらどうするんだ!」
見てみると、一片が三センチほどの銀色のキューブ。
俺がしっかり握るのを確認してから一面を軽くタッチした。すると目の前に、握りこぶし大の地球が浮かび上がる。目の前のヘッドアップディスプレイに映っているのと同じ、どこまでも青い地球の姿だ。
「で……同じようにタッチを繰り返すと、月との二球儀やコロニーも含めた三球儀? のパターンも組んでまーす」
地球の横に月が現れて、くるくる自転と公転を始める。
俺たちが暮す宇宙コロニーは羽虫のように小さい。
「この地球と月のサイズでこの距離なら……地球に月、落ちるぞ」
「もぉっ! そこはディフォルメしたデザインってことで許してよ!」
宇宙空間に浮かぶ小さな地球儀を、もう片方の手で触ろうとするもすり抜ける。
触れないから3D映像だと分かるが、物体その物があるかのようにすごくよく出来ている。
これ……俺が言ってから作ったのなら、もしかして寝ないで作業していたんじゃないかと思うのだが。計画表やら先生方に許可を取りつけたりだとか、ここに至るまでの作業は決して軽くなかったはずだ。
俺の手元を眺めるラフィが呟いた。
「命が生まれたことに感謝してね……って、お母さんの遺言」
「ラフィ……」
「だからユゼフの誕生日には、絶対何かを渡したかったの。今日じゃないけれど数日繰り上げって事で、いいでしょ?」
「それはいいけど……どうして俺を?」
そういう話なら、「私の誕生日を祝ってね」という事になりはしないか?
普通に疑問に思って訊いたのだが、ラフィは鼻息荒く言い返した。
「……それは、どうしても!」
「は? どうしてもって何だよ……」
「私がそうしたかったんだからいいでしょ! それより、ね、こんな綺麗な姿、今度は小さな地球儀じゃなくて見てみたいと思わない?」
「まぁ……」
勢いで押された。
押されたまま、もう一度視線を上げる。今はヘッドアップディスプレイに映っただけの、青い地球が目に映る。手元の小さな地球儀と、眼前に広がる世界とを見比べて俺は呟く。
「やっぱり実物大がいいな」
「でしょ? だから、ユゼフも手伝ってね」
「は……はぁぁあ!?」
「もう将来行く星決めちゃってた?」
「いや、まだ、何も……」
「よしっ、じゃあ一緒に、実物もこの地球儀と同じになるように、がんばるぞー! おー!」
腰に片手を当てて、もう片方の手を高く上げる。
なんだかもうそんな姿を見ていると、嫌だとか検討する時間をくれといういう気分はすっかり失せてしまった。何よりこの青い星が本当になるなら、やってみたいという気持ちが俺の中から湧き上がってくる。
「……わかった。手伝うよ。けど……何世代先の話やら……」
「白髪が生えるころには見られるかもよ?」
そんな直ぐの未来か。
肩から力が抜ける思いで思わず笑う。
そこに、ヘッドホンからのんびりした教師の声が流れてきた。
「おふたりさーん、酸素とバッテリーが残っている間に帰っておいでよ」
しまった、会話は筒抜けだった。
あぁぁ……これは戻ったら、色々突っ込まれそうだ……。
その日俺は、未来でも、ずっと俺の隣にいる事になる人から地球儀を貰った。
未来の人から貰った地球儀 管野月子 @tsukiko528
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます