記憶の人

 人の親から生まれた子は、誕生日というものを大切にするらしい。


 親となる生体から新たに増殖、分離する生体。

 その個体の自発呼吸が可能になった日。

 俺にとって誕生日……というものは、人工子宮から排出された記録日でしかないわけで、特に感慨を持つような育ち方はしていないんだけれど。まぁ、同じ実習チームのメンバーだし、彼女が楽しそうにしている所に水を差す理由も無い。

 それより目下の感心事は、誕生日を過ぎることで将来を決めなければならないこと。


 地球は今、人が住めるような星ではない。

 もちろんシェルターに隔離されたコロニーに人はいてもそれはあくまで研究のためで、文化的で健康的な暮らしとは言い難い。だから生まれた子はコロニーの地球の表面重力と同じ1G環境内にて、成長期の終わりまで育てられる。

 骨や筋肉、内臓の成長、その他様々な生活習慣の獲得にどうしてもが必要なのだ。


 無重力下では受精卵が成長する過程にも影響を及ぼし、哺乳類に関しては大きく出生率が下がる。特にバランスや方向感覚を司る器官が正常に発達しなくなる。

 そして成長期を経たならば、その後、四年をかけて生涯暮す星へ適応する訓練を行う。


 1Gより比較的重力の軽い星へは移行しやすいが、重い場所には行きにくい。育った重力より二十パーセントほど重い星なら適応できる可能性があるものの、それを超えると生き続けることができなくなる。

 骨の強度の問題ばかりではなく、下半身に下りた血液や体液を上半身――心臓などに送り返す力が無いのだ。

 もちろん機械を使って一時的に対処する方法はあるが、その星で一生を自由に暮す、という点においては難しい。だから月で生まれ育った子は地球に降りることができない。



 十六歳で生涯暮す星を決める。



「生まれる前から決められているよりはいいか……」


 太陽系外惑星で生きる事を運命づけられた子供は、生まれた時からいずれ至る星の環境に合わせた大気成分や重力下で育てられる。その子たちもまた、生涯地球に降りることは無い。


 俺はどこで生きたいのだろう。

 将来何をやりたいのか。

 誰と、暮すことになるのか……。





 そんなことをつらつら考えているうちに日々は過ぎて、あっという間に船外活動実習の日が来てしまった。


 人類が初めて地球から月に向った時、月の周回軌道に乗るまで約三日かかったという。今はその距離を一日とかからず行くことができる。正確には、月と同じ公転軌道から地表より高度四百五十キロ上空を飛行する宇宙ステーションまでだ。

 ここで数日の実習――という名の、ステーション保守点検作業をするのが今回の目的。所謂いわゆる、人件費の節約というやつだ。

 まぁ、でも、実際、宇宙に暮らしている間はスペースデブリとの縁は切っても切れないわけで、少なくとも自分のくらい補修できなければ死んでしまう。通常はそれ専用の巡回ロボットが破損個所の報告や簡易補修をするのだけれど、ロボットだって百パーセント完璧じゃない。知識と技術は持っていて邪魔にならないというのが実習の理由だ。

 それは、とても、理解できるのだけれども。


「うぅぅ……やっぱり酔ってきたわー」


 同じチームの一人が顔を青くして俯いた。

 施設全体に人工重力を発生させるだけの設備がないステーションでは、重力と遠心力の作用から無重力状態になる。ここに至るまでに船外訓練は幼い頃から定期的に行っているが、やはりどうしても、平衡感覚を感受する前庭機能の弱い者はいるのだ。


「酔い止め飲んだの?」

「飲んだ……さっき……」

「じゃあ、そろそろ効くから。とりあえずベルトで固定してると、気持ち落ち着くよ」


 ラフィが他の子と一緒に体調不良者を休憩室へ連れていく。

 メンバーは生徒十人と付き添いの教師が二名。ステーションに常駐の職員も十名ほどいる。二人一組で行う船外実習は生徒の体調を見てシフトが組まれるから、事前に準備した組み合わせや順番が変わる可能性もある。


 俺としてはさっさと終わらせて、手の空いた職員にステーションの話などを聞いてみたい。

 このままコロニーに居続けることを願うのか。月や火星、小惑星帯や他の衛星に移住するか。それともずっと船暮らしを選ぶのか。望んだとおりの進路に進めるかは別問題として、目標ぐらいはいい加減に決めなければ。


「ユゼフの順番はどう?」

「え? あ、あぁ……元々の予定は四番目ですが。体調は問題ないのでいつでも行けます」


 三十代のベテラン教師は頷いて、手元のタブレットに視線を落とす。


「そう、じゃあパートナーのグラフィーラとトップ行ってもらうかな」

「了解しました」

「ふふっ、地球低軌道上は初めてだよね?」


 ラフィが声を掛けてくる。

 直ぐに準備に取り掛かる俺に続いてラフィは楽しそうだ。どんな状況でも気持ちをプラスに保つことは重要だとしても、この実習にという要素はない。


「前回の低軌道上実習がデブリ回避で中止になったからな。けど、船外活動時間の目標値は超えているから、経験不足で足を引っ張るって事は無いと思うぞ」

「たのもしー」


 軽い声で答える。

 ぴったりと体にフィットしたスーツに、軽くまとめた赤い髪。悪戯っぽく笑う緑の瞳。無駄のない動きで装備のチェックを進める。


「私、今日の実習、すごく楽しみにしていたの」

「そっちこそ低軌道上は初めて?」

「ううん、何度か。お母さんとの面会はいつもここだったから、その時にね」


 ラフィの母親は地上コロニーで地球のアクア計画に従事していたはずだ。

 なるほど親がいるという事は、こういう経験も数多く積むことができるのか。そう思うと、チクリと胸の奥が嫌な感じで疼く。こいつは……嫉妬というものかもしれない。

 そう自覚すると次の言葉が続かなくなる。

 これから宇宙空間に出てパートナーとして二人きりで作業をするのだから、感情で判断を鈍らせるわけにはいかない。コロニーを卒業したなら二度と会わない、別々の道に行くことになる相手だとしても、こんな場所で事故を起こして人生を終わらせるわけにはいかないのだから。


「そ、そういえばラフィの母さんって美人だよな。前に課題の打ち合わせしていた時、モニターでちらっと見た」

「そぉ? うれしー」

「将来はやっぱり、地球行きを目指してるんだろ?」

「うん、お母さんの研究を受け継ぎたいから」


 そう言って、かぽっとヘルメットをかぶりロックする。

 顔面を覆う分厚いガラスは施設内の明かりを反射させて、ラフィの表情が見えにくくなる。

 俺は言葉の違和感を感じて訊き返した。


「継ぐも何も、一緒に研究するんじゃないのか?」

「うー……ん、生きていたならそれもできたんだけれどね」


 生きていたら?

 どういう意味だ? まさか、亡くなった?

 それは聞いた事が無い。

 だってモニターで話していたのは半月ほど前の事だぞ。


「ユゼフが居た時に話したの、あれが最後だったんだ」


 最終チェックを終えたラフィは、「うん、準備完了!」と、いつもと変わらない口調で言った。





 エアロックでスーツ内窒素の排出と百パーセントの酸素吸入をしつつ減圧を行う。その時間を使って再度、実習の手順や調査地点を確認していく。万が一に備え教師一名はこのエアロック内でゼロ気圧のまま待機しているが、船の外に出るのは俺とラフィだけだ。

 元々俺の体は気圧変化に順応しやすいデザインが施されているし、宇宙コロニーを出た時から純酸素吸入と〇・七気圧に体を順応させていたから全く問題ないはずだ。それなのに……胸の奥がざわざわする感覚が治まらない。


 ラフィはいつもと変わらない口調でいる。母親の話を振ったのは俺の方だ。

 こんな大事な実習で、ドジをやるわけにはいかないというのに情けない。


「ユゼフ、ちょっとバイタル乱れ気味だけど大丈夫?」


 ヘルメット内の無線を通じて教師の声が届く。

 俺はすぐに返答する。


「問題ありません。許容範囲内と判断しますが、反応に遅延はありますか?」

「大丈夫のようね。異変があればすぐに報告を」

「了解」


 ラフィがジェスチャーで「サポートは要るか?」と訊いて来る。

 俺は「今は必要ない」と返してから、ハッチを開けて宇宙空間に出た。






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