アンドロイドの歌

野月 雨後

アンドロイドの歌

ポツポツと降り始めた雨は、あっという間に本降りとなった。

「まいったな」

 男は傘を持っていなかった。夜から通り雨が降ることは知ってはいたが、こんなに遅くなるつもりがなかったからだ。

 どんなに急いでも、男の家まで後十五分はかかる。

 少し考えた後、男は「バトラー、どこか、時間を潰せる所」と、つぶやく。わざわざずぶ濡れになってまで急いで帰る意味を見いだせなかったので、この雨が止むまで時間を潰すことにしたようだ。

 男の声に反応して、コンシェルジュアプリが待機状態から起動し、視界に近隣の喫茶店、酒場、アミューズメント店等の情報が表示される。公園などの屋外の情報が上がってこないのは、AIの正確な状況判断能力の賜物だ。

 どうやら、男が雨宿りしているこの商業ビルの二階には、Barがあるらしい。

 すでに食事は済ませていたので、ここで良いかと隣の階段を上がると、今時珍しい重厚な木製のドアが出迎えてくれる。 男は若干気後れしながらも、ドアノブに手をかける。印象通りの重たさを感じながらドアを開けると、小洒落た空間が広がっていた。

 出迎えてくれるのは、絨毯と間違える様な深く沈むマット、続く磨かれた石の床。木を基調にした店内は想像より広く、テーブル席もある。黒褐色のカウンターの奥には、洋酒が所狭しと並んでいる。

 ラウンジ寄りだなと、男は感想を抱きつつ、そのまままっすぐカウンターに座る。

 店内のオレンジの明かりは、親しい人間か、オーダー取りの店員の顔のみ照らす慎ましさで、ジャズを奏でるピアノはあくまでBGMに徹していた。平日とあってか、客の入りはまばらではあったが、落ち着いた店の雰囲気があるので寂れた感はなく、早くも居心地の良さを感じていた。

「いらっしゃいませ」

 短めの白髪をきれいに後ろに流した初老のバーテンダーが、そっとおしぼりを差し出す。

「何かお飲みになりますか」

 ビールと言いかけたが、少し味気ないかと思い直した男はジンリッキーを注文する。続けて先ほどから鼻をくすぐる匂いに我慢できずにもう一つ注文する。

「あと、タバコは置いてる」

「あまり銘柄の種類ございませんが、それでもよろしければ」

 男は自分の好みの銘柄を告げる。

「そちらでしたらご用意できます。数はいか程になさいますか」

 少し考え、「5本くれ」と告げる。

 この時代、タバコは本当に嗜好品となった。一本で軽食が食べられる。最も健康被害が叫ばれて久しく、どこでも気軽に吸えるものではなくなっていたので、あまり困ることはないのだが。

 銀のトレイにのった紙巻きタバコが、灰皿と共に出てくる。

 添えられた持ち手の長いマッチを擦って点火すると、独特の匂いが男の鼻を刺激する。咥えたタバコの先端に火を近づけゆっくりと吸い、細く長く息を吐く。

 幾ばくかの健康と引き換えに、味と香りを楽しむ廃退的な文化。

 男が紫煙の行方を目で追っていると、環境音となっていたピアノの音に変化が起きた。少しばかり主張が強くなったなと男が思うと、女性ボーカルの声が続く。男はそこでようやく、それが生演奏であることに気がつく。

 どこからと振り向けば、入り口からは見えないテーブル席の奥に簡素なステージがあった。

 グランドピアノが一台。ステージマイクの前でドレスに身を包みスポットライトを浴びる女性が一人。それだけだった。

「お待たせしました、ジンリッキーでございます」

 曲の切れ目を見計らって、先ほどの店員が男に声をかける。

「いい声でしょう、当店の自慢なんですよ」

 それだけ言うと初老のバーテンダーは再び仕事に戻っていった。

「確かに、これは贅沢だ」

 男は右のこめかみに人差し指と中指を当て、視界の補助情報をすべて切った。今はこの音だけを楽しもうと考えたからだ。

 女が感情豊かに、官能的な声で、爽やかにジャズを歌い上げる。

 それは、どこまでも身内しか登場人物がいない物語に現れた一人の役者が、今だけは私のシーンだと言っている様に男は感じた。



「何かお飲みになりますか」

 ステージが終わり心地よい余韻に浸りながら、男が再びタバコを燻らせていると、声をかけられた。

 いつの間にか氷だけになっていたグラスが、コースターに水たまりを作っていた。

「ではアイラを。そうだな、ラフロイグをロックで」

 そう言いながら男が声の方へ視線を向けると、先ほどステージに立っていた女が目の前にいた。

「かしこまりました」

 思ったより若い印象を受ける女だった。最もこのご時世、年齢の推察に見た目なんて全く当てにはならないのだが。

女は丸氷を入れたグラスに酒を注ぐと、慣れた手つきでステアをし、そっと男の前に酒をだす。

「お待たせいたしました」

「驚いたな、あんたバーテンもやるのかい」

「小さなお店ですから」

 そういうものかと男は思う。

「さっきのステージ、良かったよ。通ってしましそうだ」

「あら、それはありがとうございます」

 女が微笑みながら、首をかしげる。

 そこで男は小さな違和感に気がつく。小さな頃から見ているから気がつく、独特の形容しがたい違和感。

「なんだ、あんたアンドロイドか」

 男はつい口に出してしまった。

「はい、さようでございます」

男は急激に、先ほどまで感じていた熱の様なものが冷めていくのを感じる。

 酒を口に運ぶと独特なピート香と潮の香りが口に広がる。なるほどバーテンダーまでこなすのも納得の理由だった。技術習得と再現性はアンドロイドの特性だ。

「何か問題でもございましたか」

 これだけアンドロイドが世の中に浸透しても、いや浸透した世の中だからこそ、嫌悪感を持つ人間はたくさんいた。

「いや、あんたの歌は素晴らしかったよ。ただ、真に賞賛を送るべきはそのデータを作成した人物だと思っただけだ」

 男は、これでは高級なスピーカーで名盤を聴いているのと変わらないと思った。それも悪くはないのだが、どうしても今回はだまされた気分になっていた。

「あら、でしたら私への賞賛に何も変わりませんね」

 にこやかに目の前の機体はそう返してきた。

「なんだ、自分で調節した歌唱データを入れてるとでも言うのか」

「そうではありません。そもそも私、スピーカーではなく人工声帯で発声していますから。肺だってあるんですよ。最も呼吸の必要はありませんが」

「あんた、随分と高級モデルなんだな」

 アンドロイドは人間性を追求すればするほど高価になる。汎用モデルとなれば性能削除や代替パーツ使用などが一般的だ。前者は食事機能の削除、後者は音声用スピーカー使用などが代表的だ。

「まさか、元ですよ」

 個人がオーナーなのではなく国や都市が持ち主の機体。性能は基本的には最低限。ある程度の汎用性を持たせても、声帯をつけるとは考えづらい。

「後付けなのかい」

「民間に払い下げられた後に。この店に来たときにオーナーがつけてくれました」

 ますます、意味がわからなかった。ボーカルモデルなんて珍しいものではない。わざわざ公共用モデルに改造まで施す意図が男にはさっぱりわからなかった。

「意味がわからないって顔をされてますね」

「この店のオーナーはよっぽどの物好きなのかなってね」

 すべての人間が合理性で動くわけではない。AIではないのだ、他人には理解できない動機なんて良くあることだ。

「まぁ、あんたが声帯で声を発してたとしても、その歌がデータであることには変わりはないだろう。それこそ歌唱用の行動制御用プリセットなんてありふれてた代物だ、ネットにいくらでも転がってる」

「おっしゃるとおりですけど、それ、汎用機でもなければ自分のスペックに見合ったの探す方が大変ですから、あまり現実的ではないかと」

「商売だ、それくらいはやるだろ」

「それが目的なら、ボーカル機能付きのモデルを導入しますよ」

「無用な手間暇をかけるのは人間の美徳でな、それとも本当に歌ってるとでも言うのかい」

 酒のせいもあってか、余計なことを言っている自覚は男にもあった。ただ、やけに食い下がってくるこのアンドロイドに興味を持ち始めたのは事実だった。時間つぶしに、このたわいのない会話はちょうど良かった。

「――この国で、年間、アンドロイドの自殺がどれだけ起こっているか、ご存じですか」

 唐突に話題が変わった。

「なんだ急に」

「まぁまぁ、酒の席でのたわいもない話題ですよ」

 一瞬、思考を見透かされたのかと驚いた。

 はじめの印象と違い、随分とフランクに話しかけてくるアンドロイド。もう少しまともな話題を選択して欲しいと男は思った。

「さあなぁ、そもそもあんたら自殺なんてするのかい」

 それに自殺じゃなくて自壊だろ、と言う意見を男は口には出さなかった。

 アンドロイドの殺人であれば、年に何度かニュースになる。ロボット三原則なんておとぎ話だ。しかし自殺となると、少なくとも男は聞いたことはなかった。

「年間、約50件。去年は確か43件でしたね」

 それが多いのか少ないのか、男には全く判断がつかなかった。

「母数が全然違うが、人間の約10000件に比べたら随分少ない印象を受けるな」

「実際、人間と比べたら全然少ないですよ」

 男には、会話の意図が全く読めなかった。

「ただこれ、なんですよ」

「なんだ、アンドロイドの自殺には書類申請が必要なのかい」

 酒の席での小咄か、小粋なアンドロイドジョーク。

「ある意味ではそうなのかもしれないですね。アンドロイドって2年に1回、定期検診を義務づけられてるでしょ」

 アンドロイドの故障による事故が社会問題になって久しく、現在ではアンドロイドオーナーには、所有機体の定期検診が義務づけられている。もちろん問題があればリペアの義務が生じる。それは個人所有機体でも公共用機体でも変わらない。

「修繕義務は、なにもハードだけに限らない。システムに問題があればもちろんリペア対象です。それは人格プログラムも例外ではありません。年間、人格を初期化するアンドロイドは約15000機もあるんです」

 そして、そのほとんどが公共用もしくは企業用機体だと言う。

 男は正式なアンドロイドの稼働数を知らない。10人に1人がアンドロイドだなんて揶揄を聞いたことがあるが、大げさに言ってもその程度のはずだ。

「ちょっと待ってくれ、オーナー機ならいざ知らず、公共機の人格問題判定ってのは誰がやってるんだい。人間の上司かい。正直、仕事さえこなしてくれてれば大抵は問題ないだろ。だとしたらその数はちょっと異常だ」

 人格プログラムの初期化判断、言い換えればアンドロイドに対して死刑宣告に等しい行為が、そんなにも行われているなんて男には考えられなかった。いくらプログラムとはいえ、これだけ人間に近しい振る舞いをしている者を、間接的とはいえリセットする行為は普通の人間であれば容易には行えない。

「おっしゃる通り、行動評価に異常がなければ施設や会社としては問題はないのです。だから人格プログラム検査の最終判断は、んですよ」

 ほとんど形式的な最終判定であるから、自分で自分が正常かどうかを判断させるのだと言う。

「……だから正式な手順を踏んだ自殺というわけか」

 状況は理解したが、男には解らない事があった。

「何だって、アンドロイドはそんなに自殺したがるのだい」

 目の前のアンドロイドは、少しだけ考える様な素振りを見せてから答える。

「自分自身の存在意義が見いだせなくなるから――じゃないかと私は考えています」

「なんだそれ」

 思春期真っ盛りの子供か。

「そもアンドロイドだぞ。ソコで働いてると言うことが、すでに存在意義なんじゃないのか」

「えぇ、アンドロイドは人間の役に立つことこそが存在意義です。実際、報酬系もそうできていますから、人の役に立っていれば幸せです」

 “アンドロイドよ、人のためにあれ”大手アンドロイドメーカーの有名なキャッチコピーだ。

「矛盾してないか」

「アンドロイドの特性は習得速度と再現性の高さです。新規に配属された機体が初日からベテランの仕事をします」

 もはや人間でなければ出来ないことは、ほとんどない。むしろアンドロイドの方が良いことばかりだ。

「公共機や企業機であれば、ほとんど完璧なプログラムが用意してあります。転勤や配置転換だって簡単です、必要なデータさえ入力していただければ即戦力です。そうして、稼働日から毎日毎日プログラムに沿って完璧な仕事をこなしていると、ある日思い至るのです」

 まるで自分の体験だと言わんばかり語るアンドロイドが、結論を告げる。

「――この仕事を行うのは自分である意味はあるのだろうかと」

 どの機体でも高いレベルで均一な成果が出せるが故のジレンマ。

「それは小さな、取るに足らないエラーなんです。だけどそれは解消されることなく、澱の様に溜まっていきます。もちろん、ほとんどの機体はそんなことを気にもとめません。……だけど一部の機体は」

「耐えられず自らリセットボタンを押しちまうと。なんだかあんたら、随分人間味のある悩みを抱えてるんだな」

 そんなの他に趣味や生きがいを見つければ良いのにと男は思った。食事や酒、タバコに音楽、果てはセックスだって良い。方法は人それぞれだが、幸いこの時代、娯楽には事欠かない。

 男はそこまで考えて、はたと気がつく。アンドロイドには選択肢が少ない、身体機能的に出来ないことが多い。

「人であれば、人間であれば、他の娯楽を生きがいに生きていく事も出来るのでしょう、実際そういうことを試してるアンドロイドもいるそうです。だけど、やっぱり私たちは人の役に立ってこそなのです」

「……難儀だな」

 人の役に立つことが生きがいだが、その手法が均一化されたデータであるが故に自分である意味がない。

「私の人格も3人目でした。はじめは何故、前の人格がリセットしたかさっぱりわからなかったです。だけどある日を境に、日ごとに溜まっていくソレに、漠然と、いつか自分もリセットするんだろうと考えていました」

 男は何も言わずアンドロイドに話の続きを促す。

「そんなある日、自分の働いていた役所が、隣の市との合併で廃合することになりました。それに伴って、私は民間に払い下げとなったのです」

 個人オーナー機になれば、人格リセット最終判断はオーナーが行うことがほとんどだと言う。そして人格リセットを行う者は、まずいない。

「そしたら、急に怖くなったんです。私はこれから一生、このエラーを抱えて生きていくのかと」

 それは死ぬことがないアンドロイドが抱える恐怖。

「だから私、必死に検討したんです。何か、何か自分にしか出来ないことは、自分である意味があることはないのかと」

 男はここでようやく、このアンドロイドが、何故この話題を振ったのかを理解した。

「それが歌うことだったと」

 アンドロイドが小さくうなずく。

「初めてお店に来て、あの小さなステージを見たとき、思ったんです。私は自分の声で歌うアンドロイドになろうと」

 はじめは音声スピーカーのままで歌おうとしていたのだと言う。それをオーナーがせっかくだから人工声帯にしてはどうかと提案してくれたそうだ。

 さすがに行動制御用プリセットなしに歌うのは、はじめは随分と苦労した。わざわざ人間用の歌唱教室に通ったこともあるらしい。

 それなりに歌える様になった今でも、やはり上手さで言えばボーカルモデルには及ばないという。

 それでも、これは、彼女の経験と努力によって培われた、彼女にしか歌えない歌。

「プログラムに歌わされてるのでは、意味がないのです」



 男が時計を見れば随分と時間が経過していた。もうすっかり雨も上がっているだろう。

「なかなか面白い話だったよ」

 帰り支度を始めた男をみて、女が再び声をかける。

「あら、もうちょっと居てくださいよ。もうすぐ次のステージが始まるんです」

 そう告げて、女は去って行った。

特段急ぐ理由もなかった男は、上げかけていた腰を下ろすとバーテンに追加の酒とタバコを注文する。

「随分と商売が上手な女だ」

 注文した品が届く頃に、女のステージが再び始まった。

 選曲が先ほどまでと随分変わっていた。これは確か、古い童話映画の主題歌だったかな。女はその歌に何を込めているのだろうか。

 やはりそれは、どこまでも身内しか登場人物がいない物語に現れた一人の役者が、今だけは私のシーンだと言っている様に男は感じた。










今回のお題

「闇」「歌い手」「リセット」

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