第5話 君へのスマイルマーク

 火の中だが、不思議と熱さは感じなかった。

 真っ赤に燃える景色の中、こっちが正解の道なのかもわからず、真っ直ぐに進む。

 何分か歩き続き、開けた土地に出た。

 人がいる。彼女はそこにいた。


「あけみ!」

 

 私の声に驚き、彼女が振り返る。

 急いで近づき、声をかける。


「あけみ、逃げよう」

「ひより、どうしてここに」

「どうしてって、嫌な予感がしたんだ」


 理由になってない。

 さよならした時のあけみの表情が気になったから。ただそれだけだ。

 でも、すすき畑が燃えるなんて、いや燃やすなんて思っていなかった。


「どうして、どうしてこんなことしたの」

「……ひよりには、わかっちゃうんだね」

「わかるさ、違う。もっとわかりたい。あけみのことをもっとわかりたい」

「これで」


 わからない。あけみのことがわからない。

 だから、私はもっと知りたいんだ。あけみのことがわかりたい。分かり合いたい。もっとあけみのことを好きになりたい。


「これで完成なんだよ」


 完成?


「何を言って。完成って、死ぬつもりなの……?」


 あけみは答えず、笑う。

 その表情は嬉しそうで、悲しそうで、胸がきゅっと締め付けられる。


「ひより、ありがとうね」

「まだ、お礼を言うのはまだだから」

「あなたがいなかったら完成できなかった」


 まだ完成していないのに、終わったかのように、さよならを告げるかのように彼女は告げる。

 私は何も言えなかった。

 そんな固まったままの私に、彼女が近づく。

 顔が近いと思った瞬間には、重なりあい、触れ合った感触はふわふわしていて、現実感がなかった。

 離れた彼女の顔がぼやけた。切ない笑み。

 視界がぼやける。

 あれ、可笑しい。

 おかし、頭の中も、霧がかかったみたいに、ぼやけたみたいで、あけ、み。

 

「あけみ、わ、私は」

「ひより、本当にありがとう」


 霞む。小さくなる。

 あけみが遠くに行ってしまう。

 真っ赤な景色の中で、彼女が手を振る。「さよなら」と。

 待って、行かないで。約束したよね、一緒にマークを見るって約束した。

 どさっ。

 力が抜け、その場に崩れ落ちた。

 

「あ、けみ、あけみ……」


 地面を必死に這い、手を伸ばそうとするも、力が入らず、声は消えた。

 やがて視界は光を失い、闇へと帰した。


 × × ×

 やけに静かだった。

 地面に寝ている。

 ゆっくりと起き上がり、空を見上げると星が光っていた。

 まん丸の月が今日は赤みがかっている。

 

 地面を踏みしめる感触。

 気だるい体。ハッキリしない夢の中のような感覚。

 

 でも、確かにあったことなんだ。

 まだ彼女がいる気がする。いた気がする。いなくちゃ駄目だ。いてよ、笑ってよあけみ。

 

「……」


 目の前の光景を無視することはできない。

 黒こげの大地。すすき畑だった場所。彼女と一緒に、この1カ月スマイルマークを作り続けた思い出。

 すべては火にのまれ、彼女は消えた。


 地面に水滴が落ちる。

 雨ではなく、私の目から出ていた。


「うわああああああああああ」


 声にもならない声をあげる。

 泣いて、泣いても、気持ちは消えない。

 いつまでそうしていたか、わからない。



 風が吹いた。すすぎはもう揺らがない。


 × × ×

 次に目を開いたときは、知らない場所だった。

 真っ白な部屋。私、一人がベッドに寝ていた。

 体を動かそうとすると体が痛い。

 頭を触ると包帯が巻かれていた。


 何があったのかを思い出そうとしたら、真っ白な服を着た女性が入ってきた。


「目、覚ましたんですね」


 初めて会った人。

 なのに、知っている気がした

 声、顔、雰囲気。

 気になり、尋ねてしまう。


「何処かで会ったことありますか?」

「いえ、ない……と思いますが。大丈夫ですか?」


 心配される。

 いよいよ私は駄目かもしれない。


「ここは病院です。倒れていたんですよ」

「えっ、病院」

「火事現場にいたんですよ。命に別状はありません。でも何で1人、夜にすすき畑にいたの?」


 すすき畑。火事。

 思い出される、夜のこと。

 あけみ。

 体が震える。

 あけみ、あけみ!

 彼女は消えた。いなくなった。

 でも受け入れられなくて、初対面の人に縋ってしまう。


「ひ、一人じゃない」

「え」

「あけみ、あけみは無事なんですか?」


 看護師さんが目を見開いた。


「あけみって、もしかして」

「知っているんですか?あけみを、望月あけみを知っているんですか」

「知っているわ。忘れるわけない。だって、あけみは私の大事な妹だから」

「あけみのお姉さん……?」

「ええ、望月みか。あけみの姉です」


 お姉さんの声が震えていた。


「あなたはあけみちゃんを知っているんですね」


 初対面な気がしなかったわけだ。

 看護師さんはあけみのお姉さんだった。

 病院にいたのは、入院しているわけではなく、働いていたからいたのだ。

 そんな看護師のお姉さんに、あけみはわざわざスマイルマークを届けようとした。

 難病にかかっているわけではない、のにだ。


 あけみのしたかったこと。病院で働いているお姉さん。燃えたすすき畑。

 やっとわかった気がした。


 彼女はすべてを無くそうとしたわけではない、

 なら、行かなくちゃいけない。


「お姉さんお願いがあります。屋上に、屋上に連れていってください」

「な、何言って、あなた大怪我なんですよ」

「お願いです、あけみの願いなんです」

 

 お姉さんをじっと見つめる。

 揺らぐ瞳は覚悟を決め、やがて頷いた。


 × × ×

 風が吹く。


 思わず息を呑んだ。 

 屋上からは、彼女の目論見通りバッチリ見えた。


 スマイルマーク。

 

 焼け焦げたすすきが黒くなり、刈り取った部分だけが白く残り、スマイルマークをつくっていた。


「あけみちゃん……」


 隣のお姉さんが金網を強く握り、眼からは涙が流れていた。

 これがあけみのしたかったこと。


「あけみ、届いたよ」


 スマイルマークに負けじと笑ったが、感情は溢れ、止まらない。

 目から溢れる想いは、コンクリートに落ち、色を変えた。


 × × ×

 見上げる空はどうしようもなく、青く透き通っていた。


「あけみちゃんは1年前に亡くなりました」


 気持ちが落ち着いたお姉さんと、屋上のベンチに座り、話をする。


「元々身体の弱い子だったんですが、急に病気が悪化して、一カ月もしないうちに……。私がここで働いてから二人暮らしでした。とっても仲良しでした。あけみちゃんが私の生きがいでした。あけみちゃんが大きく育って、笑ってくれるだけでよかった。あの子がいなくなって私の心はぽっかり空きました」


 お姉さんがベンチから立ち上がり、外を眺める。


「あの子が励ましてくれたんですかね」


 屋上からはスマイルマークがはっきりと見える。

 確かに、あけみの言う通りだった。すすきのままだったら、こんなに綺麗に見えなかっただろう。燃えて、黒くなって、初めて完成だったのだ。


「スマイルマークはお姉さんとの思い出と、あけみは言っていました」

「覚えてくれていたのね」


 あけみは何だったんだろう。

 幽霊。

 で、片付けてはいけない気がする。

 すすきを刈って、私と手を繋いで、そして口づけ……、思わず唇に手をあててしまう。

 そう、覚えている。確かにあけみはいた。

 もう死んでいるはずなのに、あけみはいた、私と一緒にいたのだ。

 

「冬に違う病院に移ることが決まったんです。だから急いでくれたのかな」


 時間がない、とあの子は言っていた。間に合わすために彼女は必死だった。

 お姉さんが、私に向かい、頭を下げる。


「ありがとう。あけみちゃんの願いを届けてくれて。あけみちゃんといてくれて」

「私は、そんな大層なこと」

「いえ、あなたがいてくれたから、またあけみちゃんに出会えました」


 笑った顔があけみにそっくりで、姉妹だなと感じる。


「本当にお姉さんなんですね。笑顔がそっくりです」

「そうなの?私達そんなに似てない姉妹だったわ」

「そんなことないですよ。笑顔にどきっとさせられます」


 何度もドキドキさせられた。この想いは、嘘じゃない。あけみがいたから、この気持ちはある。 

 お姉さんはくすくす笑い、答える。


「あけみちゃんは私の大切なかわいい妹よ。そんじょそこらの男にはあげません」

「これは手厳しい。ただ私は女ですけど」

「そうね、あなたにならあけみちゃんを任せられたかな。あの子普段はなかなか笑わないのよ」

「そ、そうなんですか」


 クールな見た目だったけど、そのギャップからか、笑顔の印象は強い。


「私だけに見せる笑顔だったのに。ちょっとだけ嫉妬しちゃう」


 でも、すすき畑の中で笑う彼女は、もういない。いなかった。

 

「お姉さん」

「はい、あけみの王子様」

「ちゃ、茶化さないでください」


 お姉さんをじっと見つめる。

 あと1つだけ、私にはしなくては、いけないことがある。


「行きたい場所があるんです。教えてくれないですか」


 風が吹き、髪がなびいた。

 


 × × ×

 教室の扉を開けると、皆に注目された。

 1週間ぶりの学校。頭の包帯はまだとれていないので、嫌でも目立つ。


「ひより!」


 ともかの声に、手をあげる。


「やあ、久しぶり」

「何が久しぶり!よ。心配したのよ、火事現場にいたって、入院したっていったいどうしたの!?」

「ごめん、心配かけたみたいだね」

「馬鹿、本当に馬鹿」

 

 ともかが涙をこぼし、予想外の出来事に私は慌てる。


「え、泣かないでよ」


 ともかが教室の床に膝をつき、子供のようにわーわーと声を上げて泣く。


「ちょっと、ちょっと大げさな」

「な、泣いてなんかないわよ。泣いてなんか」


 ともかが本格的に泣き出し、おろおろしてしまう。彼女がこんな風に泣いたのは初めてで、どう対応したら良いかわからない。

 生徒たちが「なんだなんだ」と集まり、落ち着かない。


「ちょっとついて来て」


 教室にいるのは、気まずすぎた。

 ともかの腕を掴み、無理に立ち上がらせ、教室の扉から出ていった。


 × × ×

「落ち着いた?」


 団子屋の前の椅子に、ともかと隣り合い座っている。

 もう泣き止んだが、頬を膨らませ、下を向いている。今度は怒っている。

 

「もう怒らないでって、ここは私がおごるからさ」

「私がどれだけ心配したと思って……」

「ごめん、本当にごめん。何も言わずに、心配かけすぎた」


 謝罪とばかりに、みたらし団子をともかの前に差し出す。


「うまく話せないことばかりで、本当に色々あって……」


 彼女がみたらし団子を手に取り、大げさな動作で口に運んだ。

 

「これでチャラになると思うなよ」

「うん、ごめん」


 そういって、置いてあった団子を、2個、3個と手に取り、どんどん口に入れていく。

 運動部は良く食べることで……。


 すべて団子を食べ終え、やっと話を振ってくれた。


「聞いていい?」

「うん」

「単刀直入に聞くけど、いったい何があったの?」

「信じてもらえないかもしれないけど、ある女の子がいたんだ」

「うん」


 望月あけみ、という女の子がいた。

 幽霊が出ると噂のすすき畑で、鎌を持った彼女に出会った。


「その子と1か月すすきを刈ってミステリーサークルみたいなものを作っていた」

「ミステリーサークル?すすきってあの燃えた場所でのこと?」

「うん、そこ。不思議な子だった。無口なようで、意志の強い子で、笑顔がどこか切なくて」


 綺麗で、可愛くて、予想できない言葉と動作が面白くて、彼女と過ごした日々はかけがえのないものだった。


「ひよりはその子のこと……」


 空を見上げる。好きだった。彼女と一緒にいる時間が大好きだった。

 でも、

 

「あけみは1年前に亡くなっていたんだ」

「えっ」

「すすき畑の噂は本当だったのかもしれないね」


 小さく笑い、「もしくは私の妄想か」と呟く。


「だから言ったでしょ、信じてもらえないかもしれないって」


 ともかが黙り、下を向く。

 彼女なら信じてくれるかもしれない、そう思ったがやっぱり難しいみたいだ。


「見てみたい。そのあけみさんとつくったミステリーサークル」

「へ」

「あそこから見えるんでしょ。連れていって」


 ……荒唐無稽な話を信じてくれた。疑わず、私の話を聞いてくれた。


「しょうがないな」

「早くいきましょう、太陽が沈んじゃうわ」


 せっかちな友人に感謝し、再び病院の屋上に向かった。


 × × ×

 あけみのお姉さんに許可をとり、屋上から眺める。

 ともかがぽつりと述べる。


「スマイルマークだ」

「ええ、あれをつくっていたんだ」

「妄想じゃないよ。確かにいたんだね、あけみさんは」

「どうかな」

「わかるよ」


 あけみがいなかったら、スマイルマークをつくるなんて思いつかなかった。しかし証明するのは難しい。

 けど、この友人は断言する。


「大雑把なひよりだけじゃ、あんなに綺麗につくれるはずがない。私が言うんだから絶対よ」


 褒められていないのに嬉しい。

  

「あなたに出会えて、願いを叶えられてあけみさんは本当に嬉しかったはずよ。妄想なんて言わないであげて」

「うん、ありがとう」


 ともかと一緒にスマイルマークを眺める。

 冬が来て、雪が積もったら見えなくなってしまうだろう。あけみのお姉さんもこの地を去る。

 雪が解けて、春が来たら、その姿はなくなってしまう。

 でも私は忘れない。何があっても、これからどんなことがあっても、この1カ月のことを、あけみのことを絶対に忘れない。忘れることができないんだ。


「会いにいく決心ができたよ」


 小さな紙を取り出す。紙にはお姉さんから聞いた住所が書いてあった。


「今度、私も会わせてね」

「うん、約束する」


 確かめたくない気持ちもあった。

 けど、会いたい。あけみに会いたかった。


 × × ×

 街からは少し離れた、自然豊かな場所に彼女は眠っていた。

 『望月』と記されたお墓の前で立ち止まる。


「会いにきたよ、あけみ」


 持ってきた団子と、すすきを供える。

 静かに両手をあわせ、目を瞑る。


 すすき畑の人影に怯え、帰ったあの日。あの日からあけみはいたんだね。

 ともかに煽られ、もう一度すすき畑に行ったときは、鎌をもっていたあけみがいて驚いたっけ。

 すすきの中で、揺れる長い髪は綺麗だった。

 すすきを刈るのは大変だったけど、どんどんうまくなったよね。

 雨の日でも、すすきを刈ろうとするあけみを私は怒ったね。

 お姉さんのために頑張っていると知り、私はもっと頑張ろうと思ったよ。

 ひよりは特別と言われて、嬉しかった。

 あけみのためにと思って、初めて学校をさぼって、怒られちゃったね。

 一緒に食べたお団子は、何度も食べているはずなのに1番美味しかったよ。

 終わってほしくないと思った。ずっと続けばいいのにと思った。

 抱き着かれて、嫌な予感がした。

 家を飛び出し、すすき畑が燃えているのを見た時は絶望した。ちゃんと言ってよね。

 炎の中を飛び込むなんて、今思い出しただけでも震える。でも、あけみのためなら何でもできた。

 完成させるために、燃やしたんだね。良かった、意味があったんだね。

 ……何でキスしたの?そういうことと思っていいんだよね?

 あけみのやりたかったこと。ちゃんとお姉さんに届いたよ。良かったね、本当に良かった。

 病院の屋上から見た景色は、凄く綺麗だったよ。スマイルマーク。バッチリだったね。

 一緒に見たかった。隣で一緒に見たかった。あけみは、見れたのかな? 


 ねえ、あけみ。私からもあげるよ。スマイルマーク。あけみは頑張ったよ。たくさん頑張った。

 心残りだったんだね。お姉ちゃんのことが、心配だったんだね。

 大丈夫だよ、お姉ちゃんはもう大丈夫。たくさんのものをあけみからもらったよ。

 

 そして、私もたくさんのものをあけみから貰った。

 あけみに出会えてよかった。例え、さよならをするとわかっていても、会えてよかった。


 でも、言えないんだね。答えてくれないんだね。


 あけみ、大好きだよ。


「小出ひよりは、望月あけみのことが好き」


 あけみも私のこと、好きでいてくれたら嬉しいな。

 あけみのこと絶対に忘れないから。君の笑顔。君の声。君の温もり。君からもらったもの。全部忘れない。


 あけみ、ありがとう。 


「……」 

 

 目を開けると、すすきと団子が目に入り、つい笑ってしまう。


「これじゃ、月見だね」


 立ち上がり、あけみのお墓の前から去ろうとした時、風が強く吹いた。

 供えたすすきが宙に舞い、私は微笑んだ。

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夕色コネクト 結城十維 @yukiToy

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