アイスコーヒー

赤城ハル

第1話

 平日のお昼、私は駅を出て、見舞いの品を持ち吉祥寺の街を歩いている。空は私の今の心境とは反対に晴天だった。太陽の光が眩しすぎて、なるべく日陰のあるところを歩く。

 吉祥寺というと若者の街とイメージが強い。ただ若者といっても中学生や高校生とかではなく大学生や専門学校生が多い。原色の強いカワイイを追求した街ではなく、やわらかな色合の多い、大人っぽさのあるオサレの街だ。それでも何か歩きづらさというものがある。それは年齢というものではない。私だってまだまだ若い。その問題は若者が学問に身を削ぎ、未来を信じて順風満帆に突き進もうとする輝きが見ていてつらいのだ。

 彼らは何も間違ってはいない。私もそうだった。賞を取り、もう未来は約束されたのだと思っていた。

 恥ずかしくもそう思っていたのだ。


 風の噂で先生が大怪我をしたというのを聞いて見舞いに伺うことにした。しかし、なかなか足を運ぶ勇気もなく、なんだかんだで二ヶ月も経ってしまった。

 そんな申し訳なさもあり、私は今、先生のご自宅にてソファーに縮こまって座っている。

 言い訳苦しいが、卒業してから伺ってないんだし。それになんか会いに行く必要あるのかなと思うわけで。……まあ、それ以外にも理由はあるわけなんだけど。

「敷波さんは今、お仕事は何を?」

 先生がキッチンでコップにアイスコーヒーを注ぎながら聞く。いきなりジャブなしのストレートがきた。

「え、えっと、今も、パッケージの、CG、加工を」

 私はしどろもどろに質問に答える。美大で油絵一筋頑張って、賞まで取ったのにパッケージのCG加工の仕事とは。しかもパッケージがグラビア等といったもので。別段、今の仕事を馬鹿にしているわけではない。ただ美大を卒業しておいて画家にはならず、油絵とは関係のない仕事についたことに情けないと思うわけで。

「あら、そうなの」

 先生からしたら挨拶のような質問なのだが、私としてはやはり堪えるものがあるわけでして。

 先生はアイスコーヒーと私が持ってきたクッキーをトレイに載せてリビングに。

「あ、私が持ちます」

 先生は右手に怪我をしてたので、代わりにと申し出た。

「いいのよ。全然大したことないんだから」

 そう言って先生はリビングのテーブルにアイスコーヒーとクッキーを置いた。

「怪我は大丈夫なんですか?」

「本当に大丈夫なのよ。それに怪我じゃなくて前からあった手の甲のこぶを取っただけよ」

 先生は笑いながら答えた。

「でも、……二ヶ月も?」

 右手の甲にはまだ包帯が巻かれていた。

「それがね、手術したのだけど医者がヤブで全て除去できなかったのよ」

 眉を潜めて先生は苦笑した。

「はあ」

 こういうとき、どう反応すればいいんだろうか。

 私はストローを持ち、アイスコーヒーを一口含む。

「さ、クッキーも食べて」

「いただきます」

 クッキーに手を伸ばそうとした時、

「佐藤君も来てくれたわ」

「佐藤?」

「ほらあなたの同期の。猫の絵を描いてた子よ」

「ああ! 彼ですか」

 と、思い出したふりをした。本当は名前を出された時点で彼が頭に浮かんでいた。

 佐藤正人。猫の絵しか描かないやつで美大の変人として有名人だった。劣等生というわけではないが皆から小バカにされていた。それが今では同期の中で一番活躍している。

「彼、すごいわね。美大の時は、猫しか描かないという変なポリシーを持った子が今は猫の絵だけで食っていけてるんですもの」

 少し毒のある言い方で、つい飲みこもうとしていたアイスコーヒーを気管に詰まらせてしまった。

「大丈夫?」

「すみません。大丈夫です。猫ブーム様々さまさまですね」

「何が起こるかなんて本当にわからないわね」

 先生は包帯の巻かれた右手の甲をさすりながら言う。

「怪我ですが、仕事には影響はなかったのですか?」

「だから怪我じゃないわよ。仕事にはあまり影響はなかったわ。もう私の授業なんて、ほとんど座学みたいなものよ。今はパソコンを使ったイラストが主流だからねえ」

 そう言われると返答に窮する。


 帰りに私は井の頭公園へ寄り道した。今日は平日だからか人は少ない。

 私はまず弁財天の神社へと向かった。赤い社が木々の中で際立っていた。赤い欄干のある橋を渡ろうとしたところで橋の上にいる人物を目にして驚いた。

 その人物は佐藤だった。その彼はこちら側へと歩き始めた。

 きっと向こうはこっちのことを覚えていないはず。だから挨拶せず通り過ぎようとした。

 だが、

「敷波じゃないか! 久しぶりだな」

 覚えていた。

「あ、佐藤君。こんにちは」

 私はぎこちなく笑みを返した。

「何してんの?」

「えっと、近くに用事があって。それでちょっと寄ってみたの」

「そっか」

 私は会釈して彼の横をすばやく通り過ぎ、参拝した。後ろからは彼の視線を感じた。どうやら私を待っているらしかった。

 手水舎で手を洗う。その手水舎の向こうには池があり、否応なしに目に入る。澄んだ水面を見ていると、ちょっとだけ涼しい気持ちになれる。そして私には池というか湖のように感じられる。

 本殿に向かい、二礼二拍手一礼して参拝。

 戻ろうと振り返ると、彼がまだ居残っていて欄干に背をもたれさせて私を待っていた。

「カフェでもどう?」

 下手な誘いであった。

「いいよ。この後、予定もないし」


 吉祥寺駅近くのこじゃれたカフェ店の窓際のテーブルにて私達はアイスコーヒーを注文して向き合っていた。アイスコーヒーを注文して、思い返せば先生のご自宅でもアイスコーヒーを飲んでいたことに気づいた。

 でも今日みたいな暑い日はもう一杯飲んでもおかしくないだろう。

「用事って先生の?」

「どうして?」

 そう言ってすぐに少し嫌な返しをしたなと、ちょっとばかし後悔した。

「この前、見舞いに行ったらさ。お前が見舞いにくるって先生が言ってたから」

「もしかして待ち伏せしてた?」

「なわけないだろ。するんだったら駅前とかだろ。弁天さんで会ったのは偶然」

「何してたの?」

「ただの参拝さ。お前は?」

「私もよ」

 私はそう言ってストローに口をつけて、アイスコーヒーを飲む。冷たく、苦い味が体に染み込む。

「動物園の方は行った? 自然文化園の」

「いいや。どうして?」

「あなた、今も猫の絵を描いているのでしょ?」

「あそこ猫いたか?」

「いないはずよ」

「だよな」

「でも動物好きでしょ」

「いや、全然」

 どうしてだろうか。久々の再会なのに会話が生まれないし、続かない。

「あ、でも有名なドーナツがあったはずよね。猫型だっけ?」

「ああ、あれな」

「食べた?」

「食べたよ」

 そしてまた会話が終わる。会話をどうにか膨らませればいいのだけど、どうしてかできない。

 なんとか頭をフル回転させ、

「そういえば猫カフェに連れてかれそうと思ってたけど、あなたもこういうカフェ店を知ってるのね」

「あのな。仕事以外で猫に関わりたくないよ」

 彼はうんざりしたように言う。

「好きじゃないの?」

「昔は普通に好きだったけどな。今はな」

 その言葉に私は驚いた。猫好きの変態だったのに。

「お前は今、なんの仕事してんだ?」

 その質問を受け、私はどっかりと椅子の背もたれに体を預けた。窓に顔を向けると窓から射し込む太陽の光が眩しかった。

「同じよ」

「……同じって、葉山先輩の紹介で入ったあの会社か」

「そーよ」

「繋ぎじゃなかったのか?」

「そりゃあ、私だってすぐに新しい仕事が見つかると思ってたわよ」

 でも見つからなかった。そしてずるずると今の仕事をしている。

「大学の4年間ってなんだったんだろう?」

 ついそう呟いてしまった。

 窓の向こうには以前の私のような活気溢れる若者が歩いていた。

 佐藤君に何かしらの返答を求めていたのだが、残念ながら彼は黙してしまった。

「……楽しかっただけかな」

「俺はそんなにだったけど」

「でも今は好きな猫を描いて食っていけてるじゃん」

「……今は好きってわけでもない」

「そうだったね」

 ストロー持つとアイスコーヒーの中の氷がカランと音を鳴らした。

 彼の猫への情熱は彼が社会人となったことで冷めていったのだ。なぜ社会人になって冷めたのかは分かる。需要と供給に揉まれて、本当に自分の個性さくひんが生み出せなくなったのだろう。クリエイターにはよくあることと学生時代に先生から聞いていた。

 私に至っては作品すら売ったこともないのでどこか羨ましくもある。

 アイスコーヒーを飲み終わった私達はその後、近況報告や世間話もなく、すぐに喫茶店を出た。

「それじゃあ」

「ああ」

 私は駅に彼は雑踏へ消えた。

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