秩序ある海、秩序なき陸

以下のお題をいただいて書きました。

「ラクダ」「アノマロカリス」「泡」



 ◆



 『カンブリア爆発』という言葉を聞いたことがあるだろうか。


 現代から遡ること約五億年前――カンブリア紀と呼ばれる地質時代に起きた、生物の多様性が爆発的に拡大したことを指す言葉だ。この爆発が、食物連鎖・弱肉強食といった、今となっては当たり前となっている生態系の基礎を築いたのだ。


 母なる海に『弱きは食われ強きは食う』といった秩序をもたらしたもの、それこそがカンブリア爆発。


 カンブリア紀以前――エディアカラ紀と呼ばれる――には、秩序なき秩序が海に敷かれていた。そこには弱きも強きもなく、軟体かつ軟弱な生物たちはただ、海底の砂を這いずり回っては、微生物を食べて暮らしていたのだという。


 争いなきこの時代を、『エディアカラの楽園』などと呼ぶ者も少なくない。食うか食われるか、殺すか生きるか、勝つか負けるか、そういった類のものは海に満ちていなかったからだ。


 だが、『楽園』などちゃんちゃらおかしい。


 闘争こそ、生存戦略こそ、進化には不可欠だ。海という場を離れ、新たな生き方を陸に求めたからこそ、哺乳類が生まれた。より効率よく食事にありつくため、より効率よく動くため、類人猿はその手先を器用にしてきた。


 こうして、今の我々、人類がある。

 だのに現代の人間どもはそのことを忘れ、やれ平和だのやれ平等だのと戯言を吐いているのだ。


 だが俺は違う。

 水の一滴すらないこの砂漠という海の中、俺はアノマロカリスとなるのだ。


 アノマロカリス。

 カンブリア紀最大級の生物かつ、捕食者の頂点だ。

 欲しいがままに欲し、食いたいがままに食い、生きるがままに生きてきた、海を制した生物。弱肉強食の秩序が敷かれた際の頂点、いわば初代王者とも言える。


 そんなアノマロカリスを、俺は目指す。

 眼前に広がる砂漠には、俺たちと俺たちを乗せたラクダ以外の一切がない。地平線は陽炎でぼやけ、遥か上空には照り付ける太陽があり、足元からもその熱気が照り返す。


 人類手つかずの地、それがこの砂漠だ。

 俺はここに一国を築き、新たな生態系を敷く。


 かつてのカンブリア爆発で誕生した、生物としての秩序、それを俺は取り戻す。強きが勝ち、弱きが負ける、生物として当たり前の秩序――それを忘れた現代人に、進化する余地はない。


 かつて人類が陸を求めたように、俺はこの砂漠を求めた。

 今は従者数人とラクダ数頭しかいない地だが、これから子を為し、人民を増やし、そして秩序を敷く。


 新たなカンブリア爆発をここで引き起こし、俺はアノマロカリスとなる。


 今俺の目の前は、光で満ちている。

 明るく、頭がぼやけるほどの光だ。

 興奮のあまり、思考も中々まとまらない。

 揺れるラクダの感触も今はなく、背中は焼けるように熱い。

 視界の先には、太陽、太陽、空、空。

 指先には砂、砂、砂、砂。

 カンブリアの光、光、光、爆発爆発爆発爆発――




「おいおい、しっかりしてくれよ兄貴」

「いきなりラクダから落っこちるなんてどうしたんですかい」

「だめだ。完全に暑さにやられちまってる。目は虚ろだし、ああもう泡まで吹いちゃってるよ」



 カンブリア紀の爆発によって敷かれた生物の秩序。

 その秩序から逃げたものの末路は、言うまでもないだろう。


 秩序ある海から逃げ出した人類は、今も太陽の光に身を焦がし続けている。

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