心の臓を捉える足

「ムカデ」「ハートキャッチ」というお題をいただいて書いた短編です





 背中に百足むかでが走るような感覚に陥ることが、私には多々ある。


 こそばゆく、むず痒く、なんとも言えぬ感覚。

 言葉で言い表せぬ微妙な感情に襲われた時、私の背中には百足が這う。


 百足には実際に百もの足はないそうだが、私の背中に巣くう百足には、千も万も億も足があるように思えて仕方がない。きめ細やかな肢体が、不規則な間隔で何度も私の背中を撫でる。その度に私は喉の奥に杭が打たれたように、息を詰まらせるのだ。


「お前って、全然喋んねえよな」


 茜が差し込む放課後の教室、退屈そうにペンを回す彼の声を聞いている今もまた、私の背には百足が這っていた。

 窓の外からは、ひどく乾いた夏の土が陸上部員たちによって蹴り上げられ、砂塵が舞っている。その塵で霞んでしまったかのように、彼の瞳もまた濁っていた。


「ごめんなさい」

「え、ごめん聞こえなかったわ」

「なんでもないです」


 文化祭の実行委員を半ば押し付けれられた私と彼は、こうして二人、放課後に居残ってまで作業をしている。クラスの出し物の案出しをせよ、とのことだ。

 私たちがこの命を受けたのも簡単な話で、中々にひどいものだ。面倒な係は誰もやりたがらず、友人もおらず滅多に喋ることもない、それでいて拒否をすることもなさそうな私にその役目がやってきた、それだけのこと。


「お前も、断れよな。嫌なことは嫌って言えよ」


 一方で彼は、係決めの日にたまたま学校をサボっていたせいで、こうして面倒な役目が回された。


 背中に百足の這う、物言わぬ私。背中に哀愁を携えた、不良少年の彼。

 会話の成立しない私たちに案出しなぞ上手くいくはずがなく、こうして遅くまで机を並べて、ただ陽が沈むのを眺めているのだ。


「なあ」


 巻きあがる砂塵の中に、彼の低い声が混じる。

 その度に、私の背中に這う百足はよく蠢く。


「おい」


 しかし、どうしてだろう。

 いつもは息苦しいこの感覚も、彼によって生じたものは、どこか心地がよい。喉は潰れ、体はむず痒く、背には百足が這う。それはいつもと変わらないのだが、何故か心の底から嫌だとは思えなかった。


「いい加減、なんか喋ってくれねえかな。俺、ここ数日お前と一緒にいるけど、お前の声聞いたことねえんだけど」


 彼の声には、私の背にいる百足を活性化させる効果でもあるのだろうか。彼の声を聞く度に、彼が私に声をかける度に、背中の百足がつぅと這う。


「わ、わたしは」


 いつもはそこで終わるのだが、私は、なんとかして彼に応えたかった。

 だから、蠢く百足を振り払って、喉に刺さった杭を抜き、震えた声を絞り出す。


「お化け屋敷とか、いいと、思う」


 沈みかけた夕日と私たちしかいない教室に、静寂が訪れる。がさがさと這う虫の音すらなく、ただ私の背中にいる百足だけがやけに疼いた。


「へえ」


 そして今日、背で蠢く巨大な百足は、とうとう私の中にまで侵入してくることとなる。



「案外、可愛い声してんじゃん」



 今日の百足の這う場所は、私の背だけにあらず。

 無数の足はとうとう、私の心臓すら捉えた。

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